討論の広場

討論の広場

「近代」について

2005-04-13 05:26:39 | Weblog
「近代」とはいつ始まり、どんな時代的特徴があり、中でも、日本の近代とはどんなものか。大きなテーマである。近代は、人間に個の確立と自由をもたらし(人間の解放)、民主主義を生んだといわれる。同時に、『啓蒙の弁証法』にあるように、近代の理性(合理主義)は、反理性(非合理主義)を生み出した(「ファシズムは近代の産物である」)。近代は、幻想共同体の国家を生み出した。人間は、個を解放したはずの近代の只中で、戦争や差別に翻弄されてきた。国家の罪悪は筆舌につくしがたい。人類は国家(主義)とともに死滅する。そのような予感さえ抱いてしまう。
私が抱える、明治期以降の、被差別の研究、都市下層社会の研究、「こつじき」の研究、象嵌職人の研究。それらに通底するテーマ「近代」。ポスト近代にあるといわれる私たち。今、新たな近代像が立ち現れるのか。「近代」との格闘に終わりはない。(青木)

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (打越)
2005-06-18 15:15:43
『啓蒙の弁証法』のテーマは、エリアスの暴力論やアーレントの全体主義の議論にもつながってると読みました.すなわち、文明化や階級社会から大衆社会への変化が起これば、暴力は生じると・・.暴力が新たに生じる仕組みをえぐりだした三者を尊敬します.



 と同時に、近代との闘いとは相当困難な課題であることを再確認させてもらいました.(打越)
返信する
Unknown (藤田 成俊)
2005-06-18 15:16:52
「近代」については、やはり大変なテーマになってしまいますね。

「近代」が個人の解放と国家、民主主義を産み出したその母胎であるとする言説については、もう一度、ルソー、ホッブス、ロックこのあたりの諸説も踏まえておく必要があるように思えます。



日本においてはこの近代「が」陋劣なる階級政策という言葉に代表される様々な「抑圧」を産んだのか、それとも近代「に」生まれたのか?もし、「が」であれば、我々はやはり一度この「近代」の解剖をやって、その構造の一端でもつかんでいくことが必要なのではないか?



『啓蒙の弁証法』については、私個人はその著書そのものに当るより、アドルノとホルクハイマーがこの著書を書き上げる過程、状況、背景、思考などの著書の原材料そのものの方に興味があり、その素材自体の方がこの研究会では著書より活きそうな気もします。



N・F
返信する