暴走族では、ありません。
今、忙・騒・族から逃げる生活について考え中です。
忙は心を亡くすという意味。
騒は騒がしい。
族は、集団。
なんだか、あまりにも情報が交錯していて、いったいなにがホントに大事なのか、自分は、どう思い、考えていったらいいのか。
人間は迷いながら、成長はするけれど、しなくていいような迷いまで生じているような感じがします。
自分が自分らしく、あるためには、瞑想の時間がいるんだなと、ここ何日か、思うようになってきました。
それには、音楽でさえも騒がしいものになります。
そして集団の中にずっといると、自分の本心とは、違うことがあれば、苦しくなるか、感化されてしまって、自分自身を見失います。
個人は、団体という、大きな塊には、太刀打ちできません。
今読んでいる、矢上裕さんの自力整体の本には、メンタルな部分で、忙騒族から逃れることの大切さが書かれています。
ホントにそうだよな、と思います。
休みの日に、ボケ~っとすることは、自分を取り戻すとても大事な時間。
外界からバリアを張って自分を見つめなおす。
このわけがわかんない時代を乗り越えて行ける、自分自身を作って行かなくちゃ!
ただ今、心の鎖国中(>_<)


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