リンリン、草時計

現役リタイヤの暮らし=ガーデニングや本・映画・旅に保護犬.エトセトラ…我が子に伝える『マイ・ライフ』

遺品が伝えるもの=父母の日記から。。。

2018-08-26 | 思い出ばなし
父母の遺品を整理している。
ちょっと前まで、
父のそれは会社関係が主で、母は茶道関係だったけど。。。

今は父母それぞれの遺した日記帳。。。

(個人のものだもの、プライバシーは見ちゃダメ!!!)
(でも、大事な事があるかもしれないから、ちょっとだけ調べて・・)

そんな感じで整理しながら、

時々ハッと手が止まる。。。

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母は平成2年の夏に、父は平成12年の夏に、逝ってしまった。

一人残された父と同居する為に、今の家を建てたのは平成8年。

父の居間や寝室を一番に考えて今の家を建てた・・・・
っていうのは調子よくて(^^;)

とりあえず
陽の当たりそうな場所を父の居間や寝室に当て、

(故に私たちは北側エリア♪)

2階に特別しつらえた部屋は天井までのクローゼットで、
(今は夫のアトリエですが)

壁一面に思い出の品々が詰まっている・・・・。(溜息)

 で、父母の遺品。。。


両親ともそれぞれ日記を書いていて

母のそれは手帳に細かい字故に・・・
細かすぎて、字が読めな~い!!!!!
※どこかのCMみたいだ^^

これはこれで、まぁいっか~(^^;)
(人の心の内を、親子と言えど見ちゃいけないよね?)
そんな気持ちが働く。

で、父の日記はキチンとした日記帳で、
その時々の旅の栞や会社の経費明細なども留められて
(これは会社の記録でもあるから、簡単にスル―だわ)
と思っていたら、

子どもの頃の忘れられない記録があった。。。

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昭和30年の春、父は戦地に赴いた時より酷い事故にあった。
下北沢・井の頭線のホームで転落。。。

当時父は仕事、仕事の毎日で、
毎晩のように取引先の方との飲み会?・・・
で、渋谷からの帰り、
酔っぱらって、線路に吐こうとして?そのまま頭から線路に落ちたらしい。。。

この時の事はかすかに覚えている。
私が小学校入学の春だった。


夜遅く、けたたましく玄関を叩く音がして、近くの交番の巡査さんが。。。
その後、母が青ざめて、
兄に何か言い残してあわてて家を出て行った。

覚えているのは
大好きだった兄が私の面倒を見てくれたこと。。。

朝は前夜のご飯を蒸し器で温めて食べさせてくれ・・・。
結局、その蒸し器は(水が入っていなかったので)まっ黒焦げになり・・・。

後で母は「よくやってくれたわね、ありがとうね」と兄の頭を撫でて・・・
(鍋を焦がしたくせに!)何で叱られないの?と
私は不思議だったけど(^^;)

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翌日からは母の姉妹が駆けつけてくれ、
誰が誰やらよく覚えていなくて・・・(--;)
でも、
みんな優しかったから、我儘放題だったこと。。。


後から母に聞いた事といえば、
「お父さんは土間みたいな所に寝かされていてね・・・」
「もうダメです、言われたけど。。。」

その母も、優しかった兄も、そして父も、もう居ない。


   ..:。:.::.*゜:.。:..:*゜..:。:.::.*゜

父の日記にはこう記してある。

2、3人の医者が取り囲んだところで、
妻は「息があるなら、やれるだけの事をして下さい!」と涙ながらに訴えたらしい。

『出来るだけ冷やすこと』
という意味が分からないけど、
当時の医療では、まずは「冷やす」ことだったんだろうか???

臨時の看護婦さんと母と、
昼夜の交代で、
1週間後、父は意識を取り戻した。

その後、院長から
「貴方は本当は98.8%の確率で絶望だったんですよ」
とも言われたらしい。

そして、喋る言葉が聞きづらくなったことを除けば、
ほぼ全快!!!
奇跡的な復活だったらしい。。。

で、今まで以上に仕事に打ち込むようになり。。。

日記にはこうも記してある。
「所詮我々の一生は悠久の歴史の一頁でしかあり得ない」
「故に、その一日を努めて有効に過ごしたい」


 

何故か涙が止まらなくなって、遺品整理も進まない。(^^;)


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんばんは (mappee)
2018-08-27 22:52:22
お父様も、お母様もおられないのですね
遺品の整理・・・進まないですよね
懐かしさもあり・・・で
皆いろんな人生を歩いてきている事が分かります
幼い頃がよみがえったりして 懐かしいですね
両親が、日記帳を付けておられたなんて・・凄いですね
ゆっくりと、整理してあげてください
懐かしみながら・・・
返信する
Angelaのエルモッサ・ビダ (Angela)
2018-08-28 07:33:45
驚きました。お父様は強運の持ち主だったのですね。ご先祖さまが守ってくれたのでしょう。私の実家ではまだ祖父母の遺品まで蔵の奥に放り込んであります。こうやって整理され家族の目に触れるのは<遺志>だったのだろうと思います。私までしみじみして泣きたくなりました。
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Unknown (ururu)
2018-08-28 13:02:27
mappeeさん、お母さまの事、心よりお悔み申し上げます。
でも、子どもたちに囲まれて、お幸せな人生でした☆

そうそう、皆それぞれ、
自分なりの人生を歩まれて来たんですね。
その人生を後に繋ぐ私たちがいるのではないかと。。。
返信する
Unknown (ururu)
2018-08-28 13:20:14
Angelaさん、ホントに父は強運の持ち主だったみたいです。
父は没落した家で、我が家系を継ぐ期待の星だったみたいですが(笑)

父の日記には自分を守ってくれた(らしい)先祖の記も残っています。。。

先祖の『意志』
重いです。

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