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お好み夜話-Ver2

福翁夢中伝

新しいお札が発行された。

「ユキチ」センセイから「エイイチ」センセイにバトンタッチとあいなった。

 キャッシュレスだビットコインだ仮想通貨だとかいっても、やっぱりまだみんなお札がいいのだ、現ナマ、現ナマ、いつもニコニコ現金払いサ。

 しかし長年親しんできた「ユキチ」はそうそう簡単にはなくならないハズで、前のお札が使えなくなるなんて詐欺が出てきているというが、昭和の良い子の頃に五十銭硬貨を使ったことがあるオヤジはくれぐれも騙されてはいけない‼️と強く言いたい。

なんだけど、そんなオヤジがひょんなことから金ピカの新札を手に入れてしまった。

 それがこちら👇



しかし人格者の「ユキチ」センセイは自分の肖像を入れた紙幣など決して望まなかっただろうし、まして金ピカの札なんて「バカモン‼️」とお叱りになるだろう。

万札にはあんまり縁がないポンコツオヤジは、すーぐにいろんなことに影響されちまうので、そのうちこの金ピカもプレミアがついたりするかも、なんてアホな夢想をしてしまう。

 現に過去にどっかで入手した「板垣退助」の100円札は、


250円にもなっているのだから(^_-)
 
 
それはともかく「福翁自伝」という「ユキチ」センセイ晩年の口語文体による自叙伝が「青空文庫」で普通に読めるのだが、そのなかに幼少期からの「天性の悪癖」と猛省されている酒にまつわるエピソードが赤裸々に述べられている。

それによると「ユキチ」センセイは幼少の頃、月代を剃るとき頭の盆の窪を剃ると痛いから嫌がり、

「スルト剃て呉れる母が、『酒を給べさせるから此処を剃らせろ』と云うその酒が飲みたさ計りに、痛いのを我慢して泣かずに剃らして居た事は幽に覚えて居ます」

なんて述懐しておられる。

そんなご幼少の頃から勉学に励んだ青年期もお酒とは切れず朝・昼・晩と際限なく飲み続け、32、33歳の頃、こんな飲み方をしていると寿命が縮むと不安感が頭をよぎって朝酒をやめ昼酒もこらえ自重した。

すると友人が

「君の辛抱はエライ。能くも続く。見上げて遣るぞ」

「君がいよ/\禁酒と決心したらば、酒の代りに烟草を始めろ。何か一方に楽しみが無くては叶わぬ」

と親切らしく云ってタバコを勧め、結果

「とても叶かなわぬ禁酒の発心、一箇月の大馬鹿をして酒と烟草と両刀遣いに成り果て、六十余歳の今年に至るまで、酒は自然に禁じたれども烟草は止みそうにもせず、衛生の為め自みずから作せる損害と申して一言の弁解はありません」

ってことになっちゃった。

学校の教科書には絶対に載らないエピソードですな。

ところがまた、「西洋衣食住」という書物のなかで「ユキチ」センセイはこうも言っておられる。

『ビール』と云ふ酒あり。これは麦酒にて、其味至って苦けれど、胸隔を開く為に妙なり。亦人々の性分により其苦き味を賞翫(しょうがん)して飲むものも多し』

 と。

 そのとおり「ユキチ」センセイはこよなくビールを愛していたようで、30代の頃に体調を崩して酒をやめると宣言してからも

「ビールは酒にあらず」

と宣って毎日のようにビールを飲んでいたそうな。

まさに酒飲みの鏡👍

しかしまた「ユキチ」センセイは明治になってから「健康」という言葉を盛んに使って広めたとも云われており、毎朝の散歩と竹刀の素振りをかかさず身を律していたそうな。

ちなみに、1万円札に描かれている「ユキチ」センセイの肖像は慶応大学の資料室にあった明治24年(1891年)56歳のときのものを使用したそうで、生涯を閉じたのは1901年(明治34年)66歳‼️

 と、と、ということはですよ、どっかのポンコツと同じ歳にお亡くなりになったということになり・・・🙏

 

「ユキチ」センセイの酒飲みエピソードばかり探して自らを安心させていた凡人のオヤジだが、ある日こんな本を読んでしまった。

「荒俣宏」最後の小説とのふれこみと

「咸臨丸の渡米目的は、外交使節団の護衛ではなかった」

という本の帯に惹かれてお買い上げして、上巻はあっちゅう間に読んでしまった。

 

 これは、明治31年「福翁自伝」を著した「ユキチ」センセイは脳溢血で倒れたが奇跡的に回復し、

『回顧すれば六十何年、人生既往に想へば恍として夢の如しとは毎度聞く所であるが、私の夢は至極変化の多い「賑やかな夢」でした』

と述べ「福翁自伝」では語りきれなかった幕末から明治の秘話を、晩年の「わがはい」から壮年期の「諭吉」が時空を超えて自らを語り、はては未来の世界からしゃしゃり出てきた作者が新たな事実を述べたりと、「福翁自伝」をより面白くしたという評伝小説。

この上巻でもっとも興味深いのは、巷説知られる咸臨丸の渡米の裏に日本国の領土問題が絡み、船酔いで使い物にならなかった艦長「勝安房=海舟」に秘密ミッションがあったという件。

それと第二話の「討ち入り武士との出会い」ではじめて知った庄内藩と「長坂欣之助」のこと。

戦いは愚かで何も生まないと断じながら、義と民と自然のために官軍と戦い負け知らずの庄内藩を率い、官軍では無視された人道への配慮を重んじ、戦死した敵の遺体も敬意をもって埋葬した士の中の士。

「ご一新」の後「長坂欣之助」は「松森胤保」と名を改め博物学者になり、自転車、水陸両用車、ミシン、飛行機などを試作・構想したそうな。

まだまだ知らない、歴史に埋もれてしまったすごい人がいるんだと感心した。

 

下巻では「時事新報」の創刊、「経済」や「演説」「版権」などの日本語の発明、慶應義塾の教育改革などの話しになり、世間ではすでに大センセイとして奉られていても官僚でもなければ博士でもなく「独立自尊」の面白いおじさんであり続け、ほんとうの文明開化とは家庭も男女関係も職業も、品位を身につけ平等で独立自尊の精神を持つことだと説いた。

そのために教育・本が重要で「無知」こそがいちばんいけないと教育改革を行なった。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」からはじまる「学問のすゝめ」も、今では手軽に「青空文庫」で読める。

「福翁夢中伝」面白い‼️ 読むべし。

 

「ユキチ」センセイのお墓に詣でたことはないけれど、「エイイチ」センセイのお墓は谷中墓地で偶然見つけた。

立派です🙏

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