ひろひろの生活日記(LIFE Of HIROHIRO)

パソコン講習とソフト開発をしています。自作小説も掲載しています。ネット情報発信基地(上野博隆)Hirotaka Ueno

懺悔の5日間

2010年03月27日 10時39分52秒 | 宗教と私と仕事
2010年03月27日
 主は、私に平凡な生活を約束された。その意味は、委ねられた神の力を乱用しないようにするためである。主は、「私や、民が、主から認められた子」であることを認めた。しかし、民が私を「主の子」であることを認めないのを知っていた。それは、試練である。けっして、神の業を使ってはいけない。なぜならば、人として生きる中に、モーゼのような仕草ではなく、本当のイエスの仕草があったからだ。私は、平凡な生活を神の子として約束されていたからである。私は7日間を神の子として振舞った。
 民は、その間、自分が神であると過信し、神の力が宿ったのは、「神の子で有る」からであることを忘れた。イエスやモーゼが行った神の印、それは、善の好意(民に示すため(信頼をうる)民を助けるため(子としての役目)であった。しかし、子は自分自身が神であるかのように振舞う。それは、古い聖書や新しい聖書、神の子であることを忘れてしまたからだ、主は、神の行為を私我のために行ったものに、罰を与えるであろう。そして、民は5日間懺悔し、民は、自分が子であることを思い出だすであろう。その後、主達、私たち、の真の子であることを知るであろう。私も、その罰が軽く受けれるように祈る。真の子でない者は自分の暮らすところへ戻るように。

主達、私、私達が認め、あなたが認めた、あなた方の民の為に…



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