ひろひろの生活日記(LIFE Of HIROHIRO)

パソコン講習とソフト開発をしています。自作小説も掲載しています。ネット情報発信基地(上野博隆)Hirotaka Ueno

キリスト教に見る証の意味

2010年04月29日 08時51分02秒 | Light Night Buddhism(光と闇と仏法)
 聖書には、神の子としての証が数多く出てくる。例えば、目の見えない人の目を治したり、足の悪い人を歩けるようにしたり、貧しい人を救ったりする。これは、人間の能力では不可能かもしれない。しかし、学ぶべきところは、神の子としての精神である。身体の不自由な方、貧しい人を救おうとする精神は一致させるべです。そして、目の不自由な方を助けたり労わったり、貧しい人に援助したりすることは、人間としての証ではないでしょうか?その証が人に認められ、神に認められ、本当の神の証を実現できる可能性を秘めていると思います。仏の証もそう言うものだと思います。
 精神の一致、それが大切では、ないのではないでしょうか?
みなさんは、どう思われますか?

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 神、仏の名前 | トップ | エクセル漢字問題(無料中) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Light Night Buddhism(光と闇と仏法)」カテゴリの最新記事