悪魔の囁き

少年時代の友達と楽しかった遊び。青春時代の苦い思い出。社会人になっての挫折。現代のどん底からはいあがる波乱万丈物語です。

若葉と青葉と紅葉と

2016-08-10 09:23:44 | 日記
第一話【小さな目】


私の生まれ育った江戸川区南部は東京村に近い町だった。
私の幼馴染や上級生にはカッパに近いガキ供らが、沢山住んでいた。
この頃は?~昭和40年代は、公共事業や民間設備投資などの資材運搬の流通網は川にあった。
そして、荒川から船堀を通り、宇喜多町を抜けて、葛西に入り下今井から、新中川を繋ぐ新堀川が流れていた。
台風などの増水や、子供らが川で遊ばない様に、危険防止の為に堤防を高くして流れていた。
しかし、新中川に合流する50Mほど手前から、私の住んでいる辺りは、15メートルほどの護岸があった。
そして、大型船が着けるように堤防が低く出来ていた。
かぁちゃんや近所の奥さんたちは満潮になり、水が止まると桟橋に降りて洗濯をしていた。
一度かぁちゃんは、洗濯していて濡れた桟橋で足を滑らせて川に落ちたことがあった。
また、大型台風が近づいて来ている情報が流れた時に、トラック3台で自兵隊が来た。
450号線バス通りの新川口橋坂下だったので堤防が破れると、周りの民家は浸水地帯だった。
この頃は、地主や大金持ちは高台で二階建ての豪邸に住んでいた。
しかし、貧乏人は、平屋建ての借家が多かったために、一階は床上浸水で水浸しになった。
そして、避難場所もなく、450号線バス通りの新川口橋に逃げた。
しかし、記憶に残るような大地震はなかったような気がする。
向かい側の堤防は高かったが、特に、低い私の家の前の堤防に土嚢を積んでいた。
トラックから土嚢を下ろし堤防の前に並べると、部隊隊長の号令で、高い方から低い方へと土嚢積みが始まった。
それを、近所の住民は見ていた。
『ご苦労様です』
『大変ですね』
『これが仕事ですから』
『土嚢が流されることはないのですか?』
『25キロは入っているから大丈夫ですよ』
坂上の奥さんが持ってみた。
『結構重いんですね』
『奥さん!これなら、安心でしょ』
『そうですね』
『風も強くなってきたし、明日の朝から来るみたいなので、川には近寄らないようにして下さい』
『有難うございました』
土嚢を三段ほど積んだ気がする。
次の年に、堤防を高くするために工事が始まった。
そして、従来のコンクリートの堤防に穴を開けて芯になる杭が打てれていた。
潮の流れが緩やかになり満潮近くなるとガキどもが泳ぎだした。
すると、興味本位で、泳ぎを見ようと幼稚園児の私の妹の裕子が勢いよい良く堤防に駆け出した。
そして、揚げパンをくわえたまま飛び乗った。
すると、勢い余り、コンクリートの打ち杭につまずき川に飛び込んだ。
『たいへんだぁ』と見ていた長兄が飛び込んだ。
すると、周りで見ていた同級生3人が、かじっていたコッペパンを捨て一斉に飛び込んだ。
『ワァ~ワァ~ワァ~』
幼稚園児だったので軽く抱き上げた。
『ばかだねぇ。気をつけなければダメじゃない』とかぁちゃんに怒られた。
『おばさん!パンは流れちゃったよ』
『命が助かればパンなんていいんですよ』
『裕子ちゃん!堤防に乗ったらいけないよ』と光夫さんに優しく注意された。
『そそっかしい子だから』
『かぁちゃん!風邪をひくといけないから、早く着替えさせなよ』と長兄が言った。
『本当に、世話を焼かせる子だ』
『裕子ちゃんだって早く泳げるようになりたいものね』とおらんおばさんが言った。
『うん』と笑った。
『ありがとうございます』とみんなに礼を言って帰って行った。
『着替えるから早くおいで』と泣きながらついていった。
つづく