人目を気にし過ぎる弊害として簡単に例を挙げると
ーエネルギーを消耗する:学校、会社で良い結果を出せない大きな原因でもある。
ー本来の自分を見失う:自分が何が好きで嫌い何かも分かりにくくなってしまう。
ー他者と深く繋がれない:他者とは上部の付き合いになりがち。
ー創造力を発揮できない:自分で考えるプラクティスを幼少時からしていないから当然。これは大人になっても訓練で徐々に身についていく。(人は本来創造する生き物だから、自分を取り戻すことで自然に思い出す)
ー自由を失う:周りに合わせることばかりに必死で自由の意味もわからなくなる。
ー被害妄想:「周りが自分をことをいつも悪く言っている」という思考が浮かんだら、悪化する前に対応し始めることを勧める。
ー判断力が失われる:周りと異なることを恐怖としてしまうことで、自分で考えることを無意識にやめてしまう。
ー自信が付きにくい:周りに合わ続けることで自分の感覚を信用できにくくなる。自分を信用できていない人をどして信用できようか。事実、日本人の多くの方が自信を欠損している。自信のある人も表面的な壊れやすいものである場合が多い。
ー一貫性を失いやすい:周りに合わせるには柔軟性が求められ、柔軟性は軌道修正には必要だが、自分が無く目的もなく過度になると一貫性が失われやすく、身の回りの「不公平」「辻褄が合わないルール」にも気づけず、周りに利用されやすくなりやすい。
ー「公平さ」のセンスが身につかない:自然を破壊して人類の滅亡の道を歩むことを止めるにはこのセンスを育てることは必要不可欠。自分で判断する力をつけることが必要。
ー心の成長がしにくい:自分を押し殺し、小さい視野で生きてしまうことではやはり心は育ちにくい。心を成長させることが誰もの最も重要な人生のタスクの一つでもある。
他には何があると思う?
どうして人目を気にし過ぎるの?
個人の特性は勿論だが、主に日本の「集団主義社会」の影響。集団主義社会では、集団の意見が正しく集団からはみ出ると生活が大変困難。(ところで集団の意見を左右しているのっては何だと思う?)いい点は、日本社会はまとまりがあり、効率的で世界の中でも非常に安全な国である。社会が美しく調和が取れていてフェアなら周りに合わせることも良いかもしれないけど、それでも自分で判断する力を失うことの危険性を知らないのは無責任で、無責任さは世の混乱に貢献する。無意識に自然を破壊し、自分や自分の愛するもの達も結果的に不幸にしていくことも「しょうがない」と割り切ってしまうことは非常に大きな罪。
集団社会の一番の問題は自分を見失いやすい点。というのは、こうした社会で生きているうちに、自然に物事を判断するのは自分の判断ではなく、「集団の判断」を追うことになり、自分で考えている、自分の意見だと思っている大半も実は周りに植え付けられてきた価値観に根付いたものになっている。当然創造力は発揮できない。日本の教育が「考える力」を伸ばそうと本気で乗り出したのは、思考力(判断力や創造力)が失われることのダメージを否定できない状況になっているのでしょう。今後の日本(どの国でも)を繁栄させていく鍵の一つだよね。
集団社会で自分を保って生きることは難解だが、自分を生きることこそやはり真の幸せにつながる。集団が何を求めているのかを常に理解しておきながら、自分の感覚を麻痺させず、可能なら自分を上手にもっと出していけたらいいし、そうしているうちに同じような生き方を追求している人と繋がり始められる。
気をつけるべきことは、人目を気にし過ぎない方が良いってことは、自分勝手になんでもして良いってことではない。誰もが勝手し放題だったら社会は速攻で崩壊していく。過去は宗教によって自分勝手さが制限されて善悪の基準となっていて、今でもある程度生活に影響があるが、無宗教の人が増えた日本社会では「人目の恐怖」、「恥」で行動を自己制限することが社会の安定を保っているものの一つのよう。これは悪化すると強迫観念になってしまうから早めに手を打つことを勧める。
西洋に暮らして10年を超えるが、西洋は日本よりは言動の自由はあるが、近年は思考の自由が失われていっている様子。自分の意見だと主張している方も実はメディアに洗脳されてい場合が大変多い。更に西洋では「非現実主義」が主流になっており、「真実など存在しないから、善悪といったものは時と場所等によって変わる」、というような考えから無責任さ、強欲さなどが許容され、自分の弱さ幼稚さを合理化し、当然美しい調和は欠損し人間関係を初め全てがボロボロになっている。
西洋の良い点は、こうした点に気付き異なった生き方をすること(日本では変人と呼ばれるような生き方)もある程度オッケーなこと。ホームスクールも最近増えている様子。
宗教や人目の恐怖なしでどうやって自分を正しい方向にガイドしていけるのか?
恐怖や恥で言動を制限するようなマイナスのモチベーションは効果が強いが個性は発揮しにくく、個性を潰すと創造性も潰されてしまう。創造力こそより良い未来を築いていく鍵。創造力とはチャネリングのようなもの。本来の自分は宇宙の一部であることからも完璧に論理的のはずで、論理的により良いもの探り当てることが可能。それを幼少時から植え付けられてきた偏った思考で判断力が鈍り、自分を生きられず、宇宙から自分を切り離し続けている。自分で這い出すしかない。
人の目から自由になるヒントは、人の目を超えたものを気にすること。判断の基準をより崇高なものへと変えていく。お勧めは「大自然や宇宙の摂理」に自分が沿って生きてるのかを気にすること。「大自然の目、宇宙の目」といったものでしょうか。大自然、自分、愛するもの達を守る力が身についていく。シンプルな方法は、自分の言動の結果が大自然を守ることにつながっているのか、破壊につながるのか。これは思考力の育成にもつながる。
残念だけど、人間社会は大自然から随分と切り離されてしまっていて、社会の正しさが大自然の正しさと異する場合も多い。例えばどうやってお金を稼ぐのか。大気や海洋汚染を悪化させながら得たお金で買い集めたブランド品で身を飾る。。。
自分がミスしたり、間違った方向に進んでいることに気づいたら「反省」して切り替える。反省の仕方も問題。日本人の多くは非常にネガティブな方法で無意識に自分を徹底的にいじめてしまう「反省」を行う傾向があるが、これでは反省は楽しいものではないからそれを避けるべく、失敗しないようにあまり身動きをしなくなったり誤魔化したり、自分に嘘をつくようになってしまいがち。
「失敗は成功のもと」だから、自分を痛め付けるのではなく、失敗の原因を分析し追求し、次回に生かそうと自分を自分で励まそう。自分を自分でガイドするパーソナルパワーがついていく。パーソナルパワーをつける必要性や方法もまたいつか紹介できたらいい。
それでもやはり周りと合わせる能力は身につけておくにはプラス
自分を押し殺すのではなく、周りから学び、上手に混乱した世界を乗り越えていくよう賢く利用する。個人主義の西洋でも「違い過ぎる」人は目をつけられやすい。周りと合わせることが必要な時はエゴを飲み込んで周りに合わせた方が良い時もある。自分を見失わなわないには、自分が何の為に何をしているのか、という目標と理由を常にしっかりと認識しておくこと。また、軌道修正を恐れないこと。
最後に
正しく生きようと励み、人目を気にしなくなっていくと人生は大きく変わってく。自然体で優しくなれ、自分を生きる自由を堪能できる。溢れる情報の中から本物を見つけやすく、本来の自分の個性を発揮して物事をより良い状況へと改善してくことに貢献できる喜び、更に、本来の自分を取り戻していくことで、本来持ち合わせた能力が開花し始め、視野が広がり、進むべき方向が見え、出会うべき人たちと出会い始める。
アートに目覚めたり、自家栽培を始めるなど自然生活を追求したり、作詞作曲し始めたり、リーダー資質が目覚め昇進したり、サイキック能力が芽生えることも少なくない。それでも常に学びの姿勢を失わず、その後も自分を磨き続けるものには誰もの中に存在する「自分の中の賢人」からの声をキャッチし始められ、大自然に愛され、周りをより深く愛することができ、笑顔が増え、宇宙からのサポートも増える。