痛いことって嫌だよね。なんでそんな嫌なものが存在するのだろうね?
実に痛みは「何かしら問題が生じているから注目して!」っていうメッセージ。体も心も。でも余計な痛みを自分や人に与え続けることはやっぱり間違っているよね。恐怖といった心の痛みをモチベーションにする方法では伸びがないし創造力を齎さないということは常識になってきているよね。この世に存在するもの達って、自然に生きることでそれぞれのユニークさによって美しい世の調和に貢献しているんだよね。
自分が何なのかわからなくなったら自然にもっと身を浸し、それぞれの繋がりを見つめてみるといい。鳥にフルーツを食べさせることで木々は種を運んでもらい、猫はネズミを退治して人を支え、木々は動物の排出する二酸化炭素を取り入れて酸素に変える。
常に胸が重い?いつも心配し続けてる?ネガティブさで自分を痛め続けることが癖になってしまっているんだね。それらは積もり積もって心身に大きな弊害になるから自分との付き合い方を変えようよ。でも痛みを体験していることを誤魔化してしまうのはもっと危険。例えば体に異常があっても痛みが無くて気がつかなかったら?そうだよね、深刻な状況になって命を落としてしまうかもしれないよね。
また痛みを利用し「犠牲者の特権」を利用して周りを利用してしまうことも残念な行為。過去の辛い経験から立ち直ることは困難だけど、それらを乗り越えながら強く優しく深心くが育った自分で経験することができるより美しい世界がある。
体と心はとても深く関わっていることが科学的にもどんどん証明されているよね。ストレスと心疾患、過食や拒食、喘息、胃潰瘍といった疾患の関連性はもはや常識で、食生活の改善やエクセサイズの重要性は広く訴えられているけど、心への取り組みについては情報が混乱しているよう。心の対応については効果が目に見えにくいし、物質主義社会では心や魂を否定し社会の常識やプライオリティーが心の健康とは矛盾してしまっているからね。
常識っていう鎖に小さい頃から無意識に縛られてきて、縛られていることさえも忘れ、自分の判断だと思い込んでしまう。だから体や心の痛みに注目することは「何か問題がある」という事実を知って自分を幻想から救う最高の機会なんだ。さらに、物質の世界を超えたスピリッツの世界に足を踏み入れる絶好の機会にもなる。
体の痛みが悪いことだけじゃないってのは、指圧を体験した人は「良い痛み」について理解しやすいかも。凝り固まった部分への深い指圧は泣けるほど痛いけど、その後の気持ち良さ、開放感、滞ったエネルギーがスムーズになる気持ちの良さ必要性からも、指圧による一時的な痛みを選ぶ。ちなみにパートナー同士で簡単なマッサージをし合うのは魂の成長や愛を育てるのに最適。
誰もが気をかけてほしい。誰もが愛情に飢えている。人同士の愛の繋がりを求めている。でも過去誰かに不当に扱われたりした経験から人を信用できず、深い関係を築くことを怖がり避けてしまう。そうして心にぽっかり空いた穴は物質ではない「愛」でしか埋められないけど、深い愛を体験したことがない為何を求め続けているのか知らないから永遠に満たされることのない物質に走り続けて孤独に陥ってしまうんだ。
混乱した社会で育った同士の人間関係は、正しさに向かい真剣に取り扱うと自分を見直す必要性があり、人と深くなるには避けては通ることができない心の闇の対応は面倒臭く痛みが伴うけど、ネガティブな時こそ互いに「愛を学ぶ為に出会ったんだ」ってことを思い出せたらいい。ぶつかり和解しながら心を育て愛を学び繋がってゆくことで人間としての重要な目的を個人として、集団として世界の一員として果たしてゆくんだよね。
胃痛や頻繁な頭痛に悩まされている人は根本的な部分のストレス・マネージメントを見直してみることを勧める。寝て忘れたり、薬を服用したりカラオケや居酒屋に通って仲間と笑い飛ばすことは一時的に効果があるかもだけど、痛みの「根本」に対応しない限りはストレスや痛みから解放されることはない。自分との付き合い方を新しく学んで身につけるんだ。
痛みがあると鎮痛剤を服用するっていう対応法が一般的かもしれないけど、必要な状況以外では痛み止めは避けたほうがいいんだってこともより世界中で認識されつつある。自然じゃないことって実にものすごい体に負担になるし、副作用とかの危険性も世界中でどんどん訴えられているしね。痛みがあるには理由があってそれを探り出して根本から解決しない限りはぶり返し続けて、薬が痛みとは関係のなかった器官を蝕んでいってしまう。根本を探り出すのは簡単ではない場合も多いけど、生活習慣を見直すことは欠かせない。当然、「心の問題」を見つめる重要な機会。
そうだね、心の痛みも体と同じで「何か問題があるから注目して!」ってメッセージだよね。
問題をすぐに何かのせいにして速攻解決をしようとしてない?自分が悪いんだって自分を攻撃し続けたり、職場やクラスのあいつのせいだって憎しみを育ててしまってない?嫌なことは考えたくないからどうにか忘れてしまおうってしてる?それでは痛みはいつかぶり返し、複雑化して混乱してゆく可能性が高く、対応力を育ててこなかったら太刀打ちできない。痛みを認識し理解してゆくといった「自己理解」を深めることで痛みを手放す力を身につけていけるんだ。美しい自分の心を邪悪に困惑されられた自分から守ることができるのは自分だけなんだ。
心の痛みから解放されてゆくヒント
心の世界の理解
心の痛みを手放すか、抱え続けるのかは「自分で選択できる」。人生を自分で責任を取ることの重要さはブッダをはじめ、世界中の賢者らが古代から強調してきた。例え性格の曲ってしまった上司や親に酷く扱われても、自分で選択できると気がついた時から自分で自分の気持ちや生き方を選ぶよう方向を変えて行ける。酷く扱われた事実は変わらなくても体験への思いを変えられる。受け止め方を変えられる。怒りや憎しみを切り替えて手放せる。過去を、人を自分を許せる。心のトラウマの深さや自己否定からの思い込みといった阻害因子によって人によっては時間がかかるかもしれないけどコツを掴んだら加速する自分の変化を実感できる。
スピリチュアリティーをより深く理解するにつれて自分が変われるとより信じられるようになる。やはり信じられないと心のどこかで疑いがあるとそれが阻害因子となる。スピリチュアリティーとは自分が魂であることを思い出し、魂としての生き方をしてゆくこと。人間の作り出した自然の法則からかけ離れた社会生活では、魂としての生き方から随分と遠ざかってしまうし「普通じゃない」と周りと違うと怖いよね。だから本気で人生を変えたいという強い願いがないと難しい。大丈夫、世界中でスピリチュアリティーに生きる美しく勇ましい人が増え続けて繋がり始めているから、君は決して一人じゃないんだよ。
現代科学も少しずつスピリチュアリティーを証明する傾向にある。というか、スピリチュアリティーは物質主義社会に反するから過去に学校教育からも徹底して全部隠されてきたんだよね。魂の生き方をしたら、世の調和を崩すような悪いことはできなくなる。どれだけの会社が環境破壊や人権や公平さを無視してきたのかな。関連した文献がネット等でようやく私たちの目に届くようになってきているのはありがたい。科学の発展はスピリチュアリティーが基盤だったんだよ。科学と哲学、スピリチュアリティーに興味がある人は、私の師で夫でもあるDr.John H Spencer の”The Eternal Law" を読まれることを勧める。(英語)http://parammedia.com/books/the-eternal-law
認める
痛みを感じている事実を認めよう。些細なことで痛みを感じる必要がないってわかっていても痛みを感じているのは事実。現実を認めなかったら解決作を探り出す旅は決して始まらない。日本人の「ーすべきでなはない」から押し殺すっていう態度は大人になってゆく過程で求められるかもしれないけど、理解しないで心の痛みを押し殺しつづけることは猛獣をしつけずに餌を与えないで押入れに押し込んでいるようなもの。必ず限界があり、切れて暴走し、止める方法を学んでこなかったから自分の手に負えず、周りの人たちが間違った方法で押さえつけ、深い傷となってしまうかもしれない。カール・ユングによると大半の精神疾患は自分ではないものを演じ続け気持ちを押し殺し続けることに起因するということからも、自分の心に耳を澄まし痛みに正直になることの重要性に納得する。
責めない
痛みを自分にもたらすのは自分だから、まずは人を責めることは止めよう。また、自分を責めるのも解決にはつながらないからやめよう。どうして責めてしまうのか理由を考えよう。自分の親の真似をしてしまっている?どうして痛みを感じるのだろう?自尊心の欠損かな?どんな思い込みを回り方取り入れてきたのかな?他者の視線になって自分を論理的に観察しよう。恥ずかしいって気持ちは全く必要ない。
恥ずかしさは自分を一定のルールに縛り付け奴隷化させる呪縛のようなもの。「恥ずかしい行動をしない」ってのが日本人の行動修正のメインの方法であるかもだけどとても閉鎖的。「正しい行動をする」って書き換えたらもっと可能性が広がって自分を楽しめるんだ。正しさってなんだろうって悩んだら、世のより美しい調和に貢献する言動なのかな?周りとの美しい繋がりを保ったり再生しているのかなって考えてみるといいんじゃないかな。
気がついてない人が多いけど、大半の人が痛みを感じたら自分以外を責め続けることが無意識の癖になっており幸せを妨害し続けている。また、自分を信用することで自信を持つことは痛みからの解放には欠かせないが、無意識の自分に嘘をついたり誤魔化したりする癖が己の言動に不信感を与え続けて人生に納得できず灰色の日々にはまってしまう原因にもなっている。
無意識の意識化
どうした時に心を痛める傾向があるのだろう、どうしてその時に心が痛むのか、無意識の癖、パターンとなっている。だから自分の無意識の部分を理解してゆくことで不必要な癖に気がついて、意識して手放してゆくことが可能になって、痛みから解放されてゆく。自分の無意識の癖にまず1つでも気がつくことができたら大成功。人生を美しく向上させる強大なスキルを身につけ始めたんだ。他人の批判にどうして心を痛めてしまうのだろうね?精一杯やってるって自分で納得してないのかな?人の意見に自分の生き方を依存してしまっているのはなぜ?自分のやりたいことをしているのかな?
自分で自分の無意識の言動に気がつくことは難しい。先生、ガイドやコーチを持つことがやはり効果的ってのは心の訓練は武道やピアノのレッスンと似ているよね。信頼のできるパートナーや友人、家族と一緒に取り組めたら素晴らしいよね。
痛みを感じる自分との対話
自分の中には予想上に様々なキャラクターの自分が存在している。生まれ育ってきた環境からそれらを拾い集めて「自分」を作り上げてきたんだ。感情や環境に容易に影響され、幼稚さから抜け出せず、自己中心でネガティブに陥りやすい人は、そうした自分の中の様々なキャラクター達の存在に目を十分に向けてなく、それらを統率できていない証拠。心の学級崩壊って感じかな。それらのキャラクター達を統率するリーダーを自分の中に育てあげて、それぞれのキャラ達と向き合い、対話をし、真実を元に正しい方向へ導こう。痛みを感じるのはどのキャラクターなのかな?いつからどのような理由で存在しているんだろう?優しいけど自信がないのかな?自信がないのは自分が何者かよくわかってないのかな?社会の「正しさ」に振り回されて真理に根ずいて判断してないのかな?
自分で自分を持ち上げる力を養う
日本人でモチベーションを自分自身で高めることができる人は実に少ない。そういう訓練があまりされていないからね。自分で自分を持ち上げるというエネルギーを作りにくいと他人に頼ってしまい、人に振り回されやすく、攻撃を受け止めやすく痛みを得やすい。自分でエネルギーを作り出して自分を誘導することができれば、周りのネガティブさにさほど振り回されなくて済み、痛みから抜け出しやすい。それには自分の才能から役割を知って美しい世界に貢献するための手段を想像して取り組むことに没頭することはとても効果的。
エネルギーを作り出せる人の周りには自然と人が集まってくる。アイドルにハマるのも一時的にエネルギーをもらえるからね。エネルギーを作り出す人が気をつけるべきことは、見栄や知ったかぶりから人々を間違った方向に誘導したり、またエネルギーを吸い取られすぎないように。人との頼り合い方を見直さないとだね。深く支え合うってのは痛みを避けるために距離を置いて見て見ぬふりして弱さを守りあうんじゃなくて、お互いが強くなってゆけるように愛情で指摘しあって心のスパーリングをして痛みに強くなってゆくことでもある。
日本人は心に踏み込まれることを嫌うけど、深い絆の美しさを体験するには愛情で踏み込み合うことが求められる。自分以外との深い繋がりを体験することは、スピリチュアリティーの目的でもある「神との繋がりを思い出す」為の必要なプラクティスでもある。人間関係からの心の痛みは癖でもあるから、痛みが必要ないんだって気が付けるといいよね。
どうやってエネルギーを自分で高められるかって?自分を信じられるように日々の自分との付き合い方を変えてゆく必要があるし、正しく生きることを目指して人を支えることを喜びにしてゆくと宇宙と繋がりどんどんエネルギーが高まる。また別の機会に深く追求してみるね。
急な痛みへのスピリチュアル的対処法
馴染みの急な痛み(ストレスといった心が影響していると思われる痛み)に襲われたら、痛み止めで解決する前に心を切り替えることで痛みを鎮め訓練の場にしてみるといい。
何度か紹介してきた方法だけど、信じて没頭することで本当に効果がある。
例えば急な胃痛、胸焼けに襲われたら、指で痛みの部分を指圧しながら笑顔を作りゆっくりと深呼吸を続ける。鼻から息を吸う際に、美しい光が頭のてっぺんから痛みの部分に入り込んでゆくようイメージして、鼻から息を吐く際に、ネガティブな影を体から押し出すようにイメージして。
楽しい時、大好きな時間を思い描いてその時の体の状態を思い出す。自分に「大丈夫、自分は大切な存在、愛されているんだ」って宇宙とのつながりを思い出せるようなマントラを唱え続けて。心と体は予想以上に深く繋がっているんだよ。
心の痛みは嫌だけど、痛いと感じることを認めることで痛みをもたらす原因を見つけ出して対応してゆくことが可能になり、痛みを手放す力が身につく。大半、大きな問題になる前に前兆か必ずある。それを無視し続けて混乱し続けて人生を台無しにしてほしくないから今から始めよう。痛みを乗り越え強く優しくなりながら本当の自分の思い出し、愛を学び、「そのものとして生きること」で世界の美しい調和に貢献してゆくことでより深い幸せを感じられるようになってゆく。
実に痛みは「何かしら問題が生じているから注目して!」っていうメッセージ。体も心も。でも余計な痛みを自分や人に与え続けることはやっぱり間違っているよね。恐怖といった心の痛みをモチベーションにする方法では伸びがないし創造力を齎さないということは常識になってきているよね。この世に存在するもの達って、自然に生きることでそれぞれのユニークさによって美しい世の調和に貢献しているんだよね。
自分が何なのかわからなくなったら自然にもっと身を浸し、それぞれの繋がりを見つめてみるといい。鳥にフルーツを食べさせることで木々は種を運んでもらい、猫はネズミを退治して人を支え、木々は動物の排出する二酸化炭素を取り入れて酸素に変える。
常に胸が重い?いつも心配し続けてる?ネガティブさで自分を痛め続けることが癖になってしまっているんだね。それらは積もり積もって心身に大きな弊害になるから自分との付き合い方を変えようよ。でも痛みを体験していることを誤魔化してしまうのはもっと危険。例えば体に異常があっても痛みが無くて気がつかなかったら?そうだよね、深刻な状況になって命を落としてしまうかもしれないよね。
また痛みを利用し「犠牲者の特権」を利用して周りを利用してしまうことも残念な行為。過去の辛い経験から立ち直ることは困難だけど、それらを乗り越えながら強く優しく深心くが育った自分で経験することができるより美しい世界がある。
体と心はとても深く関わっていることが科学的にもどんどん証明されているよね。ストレスと心疾患、過食や拒食、喘息、胃潰瘍といった疾患の関連性はもはや常識で、食生活の改善やエクセサイズの重要性は広く訴えられているけど、心への取り組みについては情報が混乱しているよう。心の対応については効果が目に見えにくいし、物質主義社会では心や魂を否定し社会の常識やプライオリティーが心の健康とは矛盾してしまっているからね。
常識っていう鎖に小さい頃から無意識に縛られてきて、縛られていることさえも忘れ、自分の判断だと思い込んでしまう。だから体や心の痛みに注目することは「何か問題がある」という事実を知って自分を幻想から救う最高の機会なんだ。さらに、物質の世界を超えたスピリッツの世界に足を踏み入れる絶好の機会にもなる。
体の痛みが悪いことだけじゃないってのは、指圧を体験した人は「良い痛み」について理解しやすいかも。凝り固まった部分への深い指圧は泣けるほど痛いけど、その後の気持ち良さ、開放感、滞ったエネルギーがスムーズになる気持ちの良さ必要性からも、指圧による一時的な痛みを選ぶ。ちなみにパートナー同士で簡単なマッサージをし合うのは魂の成長や愛を育てるのに最適。
誰もが気をかけてほしい。誰もが愛情に飢えている。人同士の愛の繋がりを求めている。でも過去誰かに不当に扱われたりした経験から人を信用できず、深い関係を築くことを怖がり避けてしまう。そうして心にぽっかり空いた穴は物質ではない「愛」でしか埋められないけど、深い愛を体験したことがない為何を求め続けているのか知らないから永遠に満たされることのない物質に走り続けて孤独に陥ってしまうんだ。
混乱した社会で育った同士の人間関係は、正しさに向かい真剣に取り扱うと自分を見直す必要性があり、人と深くなるには避けては通ることができない心の闇の対応は面倒臭く痛みが伴うけど、ネガティブな時こそ互いに「愛を学ぶ為に出会ったんだ」ってことを思い出せたらいい。ぶつかり和解しながら心を育て愛を学び繋がってゆくことで人間としての重要な目的を個人として、集団として世界の一員として果たしてゆくんだよね。
胃痛や頻繁な頭痛に悩まされている人は根本的な部分のストレス・マネージメントを見直してみることを勧める。寝て忘れたり、薬を服用したりカラオケや居酒屋に通って仲間と笑い飛ばすことは一時的に効果があるかもだけど、痛みの「根本」に対応しない限りはストレスや痛みから解放されることはない。自分との付き合い方を新しく学んで身につけるんだ。
痛みがあると鎮痛剤を服用するっていう対応法が一般的かもしれないけど、必要な状況以外では痛み止めは避けたほうがいいんだってこともより世界中で認識されつつある。自然じゃないことって実にものすごい体に負担になるし、副作用とかの危険性も世界中でどんどん訴えられているしね。痛みがあるには理由があってそれを探り出して根本から解決しない限りはぶり返し続けて、薬が痛みとは関係のなかった器官を蝕んでいってしまう。根本を探り出すのは簡単ではない場合も多いけど、生活習慣を見直すことは欠かせない。当然、「心の問題」を見つめる重要な機会。
そうだね、心の痛みも体と同じで「何か問題があるから注目して!」ってメッセージだよね。
問題をすぐに何かのせいにして速攻解決をしようとしてない?自分が悪いんだって自分を攻撃し続けたり、職場やクラスのあいつのせいだって憎しみを育ててしまってない?嫌なことは考えたくないからどうにか忘れてしまおうってしてる?それでは痛みはいつかぶり返し、複雑化して混乱してゆく可能性が高く、対応力を育ててこなかったら太刀打ちできない。痛みを認識し理解してゆくといった「自己理解」を深めることで痛みを手放す力を身につけていけるんだ。美しい自分の心を邪悪に困惑されられた自分から守ることができるのは自分だけなんだ。
心の痛みから解放されてゆくヒント
心の世界の理解
心の痛みを手放すか、抱え続けるのかは「自分で選択できる」。人生を自分で責任を取ることの重要さはブッダをはじめ、世界中の賢者らが古代から強調してきた。例え性格の曲ってしまった上司や親に酷く扱われても、自分で選択できると気がついた時から自分で自分の気持ちや生き方を選ぶよう方向を変えて行ける。酷く扱われた事実は変わらなくても体験への思いを変えられる。受け止め方を変えられる。怒りや憎しみを切り替えて手放せる。過去を、人を自分を許せる。心のトラウマの深さや自己否定からの思い込みといった阻害因子によって人によっては時間がかかるかもしれないけどコツを掴んだら加速する自分の変化を実感できる。
スピリチュアリティーをより深く理解するにつれて自分が変われるとより信じられるようになる。やはり信じられないと心のどこかで疑いがあるとそれが阻害因子となる。スピリチュアリティーとは自分が魂であることを思い出し、魂としての生き方をしてゆくこと。人間の作り出した自然の法則からかけ離れた社会生活では、魂としての生き方から随分と遠ざかってしまうし「普通じゃない」と周りと違うと怖いよね。だから本気で人生を変えたいという強い願いがないと難しい。大丈夫、世界中でスピリチュアリティーに生きる美しく勇ましい人が増え続けて繋がり始めているから、君は決して一人じゃないんだよ。
現代科学も少しずつスピリチュアリティーを証明する傾向にある。というか、スピリチュアリティーは物質主義社会に反するから過去に学校教育からも徹底して全部隠されてきたんだよね。魂の生き方をしたら、世の調和を崩すような悪いことはできなくなる。どれだけの会社が環境破壊や人権や公平さを無視してきたのかな。関連した文献がネット等でようやく私たちの目に届くようになってきているのはありがたい。科学の発展はスピリチュアリティーが基盤だったんだよ。科学と哲学、スピリチュアリティーに興味がある人は、私の師で夫でもあるDr.John H Spencer の”The Eternal Law" を読まれることを勧める。(英語)http://parammedia.com/books/the-eternal-law
認める
痛みを感じている事実を認めよう。些細なことで痛みを感じる必要がないってわかっていても痛みを感じているのは事実。現実を認めなかったら解決作を探り出す旅は決して始まらない。日本人の「ーすべきでなはない」から押し殺すっていう態度は大人になってゆく過程で求められるかもしれないけど、理解しないで心の痛みを押し殺しつづけることは猛獣をしつけずに餌を与えないで押入れに押し込んでいるようなもの。必ず限界があり、切れて暴走し、止める方法を学んでこなかったから自分の手に負えず、周りの人たちが間違った方法で押さえつけ、深い傷となってしまうかもしれない。カール・ユングによると大半の精神疾患は自分ではないものを演じ続け気持ちを押し殺し続けることに起因するということからも、自分の心に耳を澄まし痛みに正直になることの重要性に納得する。
責めない
痛みを自分にもたらすのは自分だから、まずは人を責めることは止めよう。また、自分を責めるのも解決にはつながらないからやめよう。どうして責めてしまうのか理由を考えよう。自分の親の真似をしてしまっている?どうして痛みを感じるのだろう?自尊心の欠損かな?どんな思い込みを回り方取り入れてきたのかな?他者の視線になって自分を論理的に観察しよう。恥ずかしいって気持ちは全く必要ない。
恥ずかしさは自分を一定のルールに縛り付け奴隷化させる呪縛のようなもの。「恥ずかしい行動をしない」ってのが日本人の行動修正のメインの方法であるかもだけどとても閉鎖的。「正しい行動をする」って書き換えたらもっと可能性が広がって自分を楽しめるんだ。正しさってなんだろうって悩んだら、世のより美しい調和に貢献する言動なのかな?周りとの美しい繋がりを保ったり再生しているのかなって考えてみるといいんじゃないかな。
気がついてない人が多いけど、大半の人が痛みを感じたら自分以外を責め続けることが無意識の癖になっており幸せを妨害し続けている。また、自分を信用することで自信を持つことは痛みからの解放には欠かせないが、無意識の自分に嘘をついたり誤魔化したりする癖が己の言動に不信感を与え続けて人生に納得できず灰色の日々にはまってしまう原因にもなっている。
無意識の意識化
どうした時に心を痛める傾向があるのだろう、どうしてその時に心が痛むのか、無意識の癖、パターンとなっている。だから自分の無意識の部分を理解してゆくことで不必要な癖に気がついて、意識して手放してゆくことが可能になって、痛みから解放されてゆく。自分の無意識の癖にまず1つでも気がつくことができたら大成功。人生を美しく向上させる強大なスキルを身につけ始めたんだ。他人の批判にどうして心を痛めてしまうのだろうね?精一杯やってるって自分で納得してないのかな?人の意見に自分の生き方を依存してしまっているのはなぜ?自分のやりたいことをしているのかな?
自分で自分の無意識の言動に気がつくことは難しい。先生、ガイドやコーチを持つことがやはり効果的ってのは心の訓練は武道やピアノのレッスンと似ているよね。信頼のできるパートナーや友人、家族と一緒に取り組めたら素晴らしいよね。
痛みを感じる自分との対話
自分の中には予想上に様々なキャラクターの自分が存在している。生まれ育ってきた環境からそれらを拾い集めて「自分」を作り上げてきたんだ。感情や環境に容易に影響され、幼稚さから抜け出せず、自己中心でネガティブに陥りやすい人は、そうした自分の中の様々なキャラクター達の存在に目を十分に向けてなく、それらを統率できていない証拠。心の学級崩壊って感じかな。それらのキャラクター達を統率するリーダーを自分の中に育てあげて、それぞれのキャラ達と向き合い、対話をし、真実を元に正しい方向へ導こう。痛みを感じるのはどのキャラクターなのかな?いつからどのような理由で存在しているんだろう?優しいけど自信がないのかな?自信がないのは自分が何者かよくわかってないのかな?社会の「正しさ」に振り回されて真理に根ずいて判断してないのかな?
自分で自分を持ち上げる力を養う
日本人でモチベーションを自分自身で高めることができる人は実に少ない。そういう訓練があまりされていないからね。自分で自分を持ち上げるというエネルギーを作りにくいと他人に頼ってしまい、人に振り回されやすく、攻撃を受け止めやすく痛みを得やすい。自分でエネルギーを作り出して自分を誘導することができれば、周りのネガティブさにさほど振り回されなくて済み、痛みから抜け出しやすい。それには自分の才能から役割を知って美しい世界に貢献するための手段を想像して取り組むことに没頭することはとても効果的。
エネルギーを作り出せる人の周りには自然と人が集まってくる。アイドルにハマるのも一時的にエネルギーをもらえるからね。エネルギーを作り出す人が気をつけるべきことは、見栄や知ったかぶりから人々を間違った方向に誘導したり、またエネルギーを吸い取られすぎないように。人との頼り合い方を見直さないとだね。深く支え合うってのは痛みを避けるために距離を置いて見て見ぬふりして弱さを守りあうんじゃなくて、お互いが強くなってゆけるように愛情で指摘しあって心のスパーリングをして痛みに強くなってゆくことでもある。
日本人は心に踏み込まれることを嫌うけど、深い絆の美しさを体験するには愛情で踏み込み合うことが求められる。自分以外との深い繋がりを体験することは、スピリチュアリティーの目的でもある「神との繋がりを思い出す」為の必要なプラクティスでもある。人間関係からの心の痛みは癖でもあるから、痛みが必要ないんだって気が付けるといいよね。
どうやってエネルギーを自分で高められるかって?自分を信じられるように日々の自分との付き合い方を変えてゆく必要があるし、正しく生きることを目指して人を支えることを喜びにしてゆくと宇宙と繋がりどんどんエネルギーが高まる。また別の機会に深く追求してみるね。
急な痛みへのスピリチュアル的対処法
馴染みの急な痛み(ストレスといった心が影響していると思われる痛み)に襲われたら、痛み止めで解決する前に心を切り替えることで痛みを鎮め訓練の場にしてみるといい。
何度か紹介してきた方法だけど、信じて没頭することで本当に効果がある。
例えば急な胃痛、胸焼けに襲われたら、指で痛みの部分を指圧しながら笑顔を作りゆっくりと深呼吸を続ける。鼻から息を吸う際に、美しい光が頭のてっぺんから痛みの部分に入り込んでゆくようイメージして、鼻から息を吐く際に、ネガティブな影を体から押し出すようにイメージして。
楽しい時、大好きな時間を思い描いてその時の体の状態を思い出す。自分に「大丈夫、自分は大切な存在、愛されているんだ」って宇宙とのつながりを思い出せるようなマントラを唱え続けて。心と体は予想以上に深く繋がっているんだよ。
心の痛みは嫌だけど、痛いと感じることを認めることで痛みをもたらす原因を見つけ出して対応してゆくことが可能になり、痛みを手放す力が身につく。大半、大きな問題になる前に前兆か必ずある。それを無視し続けて混乱し続けて人生を台無しにしてほしくないから今から始めよう。痛みを乗り越え強く優しくなりながら本当の自分の思い出し、愛を学び、「そのものとして生きること」で世界の美しい調和に貢献してゆくことでより深い幸せを感じられるようになってゆく。