自分を変えるには「自分を知る」ことは必須!
過去からの偉大な賢人たちが口を酸っぱくして繰り返してきたことは「自分を知りなさい」。。。。
あなたはどれだけ自分のことを知っている?自分を知るには、今の自分がどのように出来上がってきたのかを知ることは非常に有効。
「知っていると思っている自分」の大半は過去の環境から拾い集めてきたパッチワーク。言動のパターン、好き嫌い、無意識に身の回りをコピーして今の「自分」が作り上げらてきた。また自分の中心を持っていないと、時と場合に応じて異なったキャラクターが無意識にしゃしゃり出てきて、異なった哲学から言動を起こし、繊細な人の目には全く違った人のように映る。過去にとった自分の行動が理解できなかったり、パニックに陥りやすく大きな間違いを起こしやすい。
どんな自分を演じていくのかを選ぶ判断は、「生き残る」という動物的な本能プラス、本能に基づいて今までの環境から培ってきた自分の根底に存在する「哲学」に根付いている。自分の中に全く異なったキャラクターが存在するから当然哲学もいくつか存在し、それがあなたの言動、生き方を混乱させてしまう。
だから、自分を徹底的に分析し、無意識に受け入れてきた自分の根底の哲学を把握できたらこっちのもの!
意識的に哲学を書き換えていける。どう書き換えていくのかは、本来の自分を取り戻していくにつれてより明確になっていく。
これは悟りの道でもある。出家しなくても日々の普通の生活をしながら悟っていける。切望と本気で臨む心の持ちよう次第。
自分を取り戻していく第一歩としたは、意識して、言動をとっている自分に注目して分析する。
日本の方の多くは常に他者の目を気にして「自分が周りから浮いていないか」といったことばかりに気を取られており、常にネガティブに自分を見張っている。まずはそうした自分に気づこう。気づいたら、自分から一歩離れて「冷静に自分を分析する」よう変えていくといい。
問題なのは、自信がないと周りの目をやはり気にし続けてしまう。本来の自分を生きるにつれて自信がつくが、そこに辿り着くまでは「他者の目を気にして生き続ける苦しみから逃れたい!」と言う強い切望がないと無理。徹底した集団主義社会の日本で自分を取り戻すことは難解だか、可能。周りに攻撃されないには様々なトリックが必要でもある。
今回は、テレビドラマといったものの言動への無意識の大きな影響の体験談をサクッとシェアしてみます。
テレビ無しの生活を10年以上続けており、ドラマや映画もあまり見ないのだが、知人のオススメのアメリカのドラマを見始め、翌日の自分の言動に異変があることを体験。
ドラマを見た後、何気なく特定の言動をとっている際、ドラマのキャラのイメージが浮かび、そのキャラクターのように振舞っている自分に気がつく。
歩き方、話し方、額のシワの寄せ方。。。
ほんの数時間ドラマに浸ることでこれほどの影響があるってことは、日々の積み重ねがどれだけ本来の自分から自分を遠ざけているのか!!
特定のキャラを「演じる」ことは決して全部が悪いことでは無いが、無意識に支持する哲学から無意識に受け入れ、それを知らずに演じ続けることは問題。
自分を知らないことのデメリットは、メディアやらに踊らされ、流行に流され、自分で考える力をつけられず、気づいたら自分や愛する人だけでなく、この世を崩壊することに加担してしまっている点。感覚を麻痺させて、楽だからと周りに合わせて生きていて、それが幸せだと自分に言い聞かせて生きるにも限度がある。心の奥の自分は決して満たされず、満たされない人は周りあるいは自分を攻撃し続ける。
また、自分の中で様々なキャラが衝突しているから一貫性がなく、論理的思考能力が欠損してしまい間違いを起こしやすく、混乱しやすく、疲れやすく、本来誰もが持ち合わせる直観力にアクセスできにくい。また、アクセスできても低級なものにアクセスし、悪いものに利用されやすく、最終的には惨めな人生をもたらす。
本来の自分とは、当然大自然、宇宙の法則に従っているから「真実」をより察知しやすく、嘘や誤魔化しにエネルギーを費やす必要もなく、より自分らしく、ハッピーに生きることができる。周りの目を必要以上に気にして苦しむ必要も無くなって、苦痛から自力で這い上がる力がつく。
過去からの偉大な賢人たちが口を酸っぱくして繰り返してきたことは「自分を知りなさい」。。。。
あなたはどれだけ自分のことを知っている?自分を知るには、今の自分がどのように出来上がってきたのかを知ることは非常に有効。
「知っていると思っている自分」の大半は過去の環境から拾い集めてきたパッチワーク。言動のパターン、好き嫌い、無意識に身の回りをコピーして今の「自分」が作り上げらてきた。また自分の中心を持っていないと、時と場合に応じて異なったキャラクターが無意識にしゃしゃり出てきて、異なった哲学から言動を起こし、繊細な人の目には全く違った人のように映る。過去にとった自分の行動が理解できなかったり、パニックに陥りやすく大きな間違いを起こしやすい。
どんな自分を演じていくのかを選ぶ判断は、「生き残る」という動物的な本能プラス、本能に基づいて今までの環境から培ってきた自分の根底に存在する「哲学」に根付いている。自分の中に全く異なったキャラクターが存在するから当然哲学もいくつか存在し、それがあなたの言動、生き方を混乱させてしまう。
だから、自分を徹底的に分析し、無意識に受け入れてきた自分の根底の哲学を把握できたらこっちのもの!
意識的に哲学を書き換えていける。どう書き換えていくのかは、本来の自分を取り戻していくにつれてより明確になっていく。
これは悟りの道でもある。出家しなくても日々の普通の生活をしながら悟っていける。切望と本気で臨む心の持ちよう次第。
自分を取り戻していく第一歩としたは、意識して、言動をとっている自分に注目して分析する。
日本の方の多くは常に他者の目を気にして「自分が周りから浮いていないか」といったことばかりに気を取られており、常にネガティブに自分を見張っている。まずはそうした自分に気づこう。気づいたら、自分から一歩離れて「冷静に自分を分析する」よう変えていくといい。
問題なのは、自信がないと周りの目をやはり気にし続けてしまう。本来の自分を生きるにつれて自信がつくが、そこに辿り着くまでは「他者の目を気にして生き続ける苦しみから逃れたい!」と言う強い切望がないと無理。徹底した集団主義社会の日本で自分を取り戻すことは難解だか、可能。周りに攻撃されないには様々なトリックが必要でもある。
今回は、テレビドラマといったものの言動への無意識の大きな影響の体験談をサクッとシェアしてみます。
テレビ無しの生活を10年以上続けており、ドラマや映画もあまり見ないのだが、知人のオススメのアメリカのドラマを見始め、翌日の自分の言動に異変があることを体験。
ドラマを見た後、何気なく特定の言動をとっている際、ドラマのキャラのイメージが浮かび、そのキャラクターのように振舞っている自分に気がつく。
歩き方、話し方、額のシワの寄せ方。。。
ほんの数時間ドラマに浸ることでこれほどの影響があるってことは、日々の積み重ねがどれだけ本来の自分から自分を遠ざけているのか!!
特定のキャラを「演じる」ことは決して全部が悪いことでは無いが、無意識に支持する哲学から無意識に受け入れ、それを知らずに演じ続けることは問題。
自分を知らないことのデメリットは、メディアやらに踊らされ、流行に流され、自分で考える力をつけられず、気づいたら自分や愛する人だけでなく、この世を崩壊することに加担してしまっている点。感覚を麻痺させて、楽だからと周りに合わせて生きていて、それが幸せだと自分に言い聞かせて生きるにも限度がある。心の奥の自分は決して満たされず、満たされない人は周りあるいは自分を攻撃し続ける。
また、自分の中で様々なキャラが衝突しているから一貫性がなく、論理的思考能力が欠損してしまい間違いを起こしやすく、混乱しやすく、疲れやすく、本来誰もが持ち合わせる直観力にアクセスできにくい。また、アクセスできても低級なものにアクセスし、悪いものに利用されやすく、最終的には惨めな人生をもたらす。
本来の自分とは、当然大自然、宇宙の法則に従っているから「真実」をより察知しやすく、嘘や誤魔化しにエネルギーを費やす必要もなく、より自分らしく、ハッピーに生きることができる。周りの目を必要以上に気にして苦しむ必要も無くなって、苦痛から自力で這い上がる力がつく。