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どうせ死ぬのに、なんで生まれてくるのだろう

2010-07-31 21:11:47 | 日記
どうせ死ぬのに、なんで生まれてくるのだろう


 わたしは基本的にものぐさである。
 だいたい朝起きることそのものがなんとも面倒くさい。「人はなぜ起きなければならないのか」と心底疑問に思う。しかし、寝たままでいるとおなかが空く。しかたがないので起きる。
 もしわたしが大金持ちだったら、執事が「お嬢さま、お目ざめでございますか?」とかなんとか言いながら、朝食をベッドへ運んできてくれるところだろう。
 けれども残念ながらわたしはそんな身分ではない。人類の大多数の人々と同様に、労働しなければ食べ物を口に入れることができない。
 わたしは大金持ちの家に生まれたわけではないので、一日中寝ているわけにもいかないのである。

『人は生まれる時と場所を選ぶことはできない』

 人生とは不条理なものだ。そもそもわたしは自分で望んで生まれてきたわけではない。生まれてきてしまったこと、まさにそのことがわたしにとっては不条理なのだ。

 それにしても生きるということは、なんと面倒くさいことなのだろう。わたしなどは時々、食事をとることさえ面倒くさく思うことがある。息を吸ったり吐いたりするのさえも面倒くさくなる。
 そんなふうに思うのなら、いっそのこと死んでしまえばいいではないか、と思う人も多いだろう。ところがやっかいなことに、死ぬことさえも面倒なのだ、わたしは。困ったものである。

「生きているのが面倒だ~。しかし、死ぬのも面倒だ~。あ~面倒だ~」と、かつて高田渡(60~70年代のサブカルチャーを代表するシンガーソングライター)が蚊取りマットのコマーシャルソングを歌っていたことがある。その時わたしは思わず大きくうなずいてしまったものだ。わたしはつくづくしみじみ思うのである。

『人はどうせ死ぬのに、なんで生まれてくるのだろう』

 どうせ死ぬのに、わざわざ生まれてくる。これはまったく理にかなっていないのではないか。
 生きるのも面倒、死ぬのも面倒、そういう人間にとっては「なぜ生まれてきたのか」、このことが最大の謎となり、まるで影のようにいついかなる時も自分に寄り添っていることになる。

 仕事がうまくいかない時、失恋した時、お金がない時、「なぜ自分は生まれてきて、こんなつらい目にあわなければならないのだろうか」と空を見上げて神さまに恨みつらみを言いたくなってしまう。逆に、仕事がうまくいった時、素敵な人に出会った時、美しいものを見た時、そういう時は「生きていて良かった」と思うのも事実である。

 しかしわたしは、そういう感覚は長くは続かないことも知っている。人生は喜びの時間よりも苦しみの時間の方がはるかに長いのだ。また皮肉なことに、苦しみがなければ喜びという感覚も人間にはないのだ。人間は複雑だ。不条理だ。人間は苦しみと喜びの波間を漂いながら、そしてある日ある時必ず死ぬ。この営みに何か「意味」とか「価値」とかがあるのだろうか。

 生物学的な観点からみると、「死」については最近『アポトーシス』という考え方が理にかなっているとされてきている。

『アポトーシス』とは、簡単にいえば「生物個体の生命を維持するために制御されて起こる細胞死」のことである。
 つまり、生命を保つために人間の細胞は日々新しく生まれているが、細胞が新しく生まれるためには、古い細胞は死ななければならないのである。古い細胞が死ななければ、人間は人間の形態を保つことができなくなる。そのバランスが狂ってしまったのがガン細胞だ。ガン細胞は不死なのである。不死であるがために、人間の生命活動を阻害するのだ。

 そのシステムを人類というスパンに拡大して考えてみると、人類が生き延びるためには新しい人が生まれる必要があり、そのためには古い人(老人)は死ななければならないということになる。
 新しい人を生むために、人類は男と女に分かれて様々な組み合わせで生殖を繰り返している。なぜかというと、なるべく遺伝子の組み合わせをを多様にしておいた方が、どんな環境の変化が起ころうとも適応できる可能性が増えるからである。
 つまり、世代交代を頻繁に繰り返した方が、人類が発展できる可能性が大きくなるというわけだ。

 人類を発展させるために、人類は「わたしの死」を選んだのだ。つまり、わたしは人類のために死ぬというわけだ。「ああそうだったのね」と納得したいところだが、わたしはどうしても納得できないのである。

 わたしは単なる水とカルシウムと有機化合物の集合体? わたしはDNAの自己再生のプロセスのひとつにすぎないの? ただ機械的に子孫を残していけば、それでいいの? もしそうだとしたら、なんだかわたしはみじめである。

 そもそもわたしには、人類の発展が、それほど重要なことだとは思えない。わたしは人類が発展することに「意味」や「価値」を見いだすことができないのである。それよりも「わたし」や「あなた」が納得できる人生を送ることができることの方が重要だ。もし、人類の発展のために「わたし」や「あなた」の人生が納得いかないものになるのであれば、人類なんぞ滅んでもいいのではないかとさえ思う。この「わたし」というものは、よくよく考えてみると実にやっかいなしろものだ。

 わたしは自分で死ぬのは面倒だから死なないでいるところもある。しかし、だからといって、他人に殺されるのはまっぴらごめんである。なぜそう思うのかというと、やはり生まれてきたからには、自分の人生は自分でコントロールしたいという気持ちが強くあるからだ。自分が自分の人生の主体であること、自分の「納得」を大切にすること、自分の「尊厳(意地?)」を守ること、このことに関しては、わたしは面倒がらずに闘う意欲がある。不思議だ。

 なぜそうなのかというと、それは「納得」とか「尊厳」というものが、人間にとって重要なものだからなのだと、わたしは考えている。
 生まれてきたことと「納得」と「尊厳」は深い関係があると思うのだ。



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