チャコ(やんちゃひめ)

この場所を、お友達に、教えていただきました。
いつまで続くかなあー

人生って

2006-07-17 16:52:45 | Weblog
なので、の60年の人生について、

pochkoさんの、ブログでの、叔父さんの人生を読ませていただいて、

いろいろあるなーと思いました。

私は、59年前、Y町で生まれました。

今の母が、父と2人で山のものを取りに行って、母の友人の家に立ち寄ったら

私が、泣いていたのだそうです。

友人は、大きな御腹をしていて、私は、厄介者だったそうです。

そうなの、私は、実の父の、外に生まれた子だったのです。

実の父は、友人に、育てるようにと、連れてきたのです。

友人は、2人の子どもと、大きな御腹、旅館をしてましたので、

大変だったようです。まったく男は、

今の母は、子どもができなかったので、私がかわいそうになり、

帰りに、父と、母で、貰ってきたんだって

(私は、猫の子かい

養父は、公務員といっても、住み込みの、用務員でした。

でも、住む所と、お給料は、保証されていたので、

1人っ子として、贅沢はできないけど、我儘させてもらいました。

大事にされたと思います。

中3のとき、父が、亡くなりました。

母が、そのまま仕事を、引き継ぎました。

が、養女、其のことを知ったのは、高校入試のときでした。

母が、戸籍謄本を取れば、わかってしまうと、悩んだようです。

が、じい様を、お兄ちゃんと慕っていたので、

相談したようで、じい様の口から、聞きました。

別に、ドラマで見るような、ショックはありませんでした。

大事に育てられたからだと思います。

鈍いのかなー)

其の時じい様に言われたことは、

今は、どんなことでもして、会いたいと思えば、実の母親を、

探せるけど、もし、その人が、家庭を持ってたら、苦しめるかもしれないし、

困っていたら、助けなくては、いけない気持ちになる。

其の時、子どもを生んだことが無い母ちゃんが、16年間、

どんな思いで、お前を育ててきたか、考えろよ。

たぶん、心配しながら、死んでいった、父ちゃんの気持ちをかんがえろよ。

疑いもせず、今まで居たということは、大事にされたからだぞ。

単純なは、そうだなーと思いました。

それから、高校を卒業した年に、結婚しました。

今でも、実母は、わかりません。

でも実父は、わかります。

つづきは、又あとで、