働き始めた姪は元気だろうか?
泣いてはいないだろうか?
なんて心配をしますが姪にLINEをして
も既読にもならずきっと忙しいんだな
とそっと見守るおばさん。
働く前迄はLINEの返信も来ていたが
毎日頑張っているんだな。
今は覚える事沢山で大変な時期だろう
なーと思いながらぼんやり自分の20
年前を思い出そうとしたが…私の20
年前は…?
28歳で結婚4年目のわりと良い大人
だった。
( ̄□ ̄;)!! 私の20年前は二十歳とか
ハタチとかはたちじゃなくなってた現
実に衝撃っ!
いつの間にか勝手に時を止めてました。
姪がいつもムッティーは三十代にしか
見えないよと言ってくれるのでそんな
事ないよーと言いながらちょっと遠
慮がちに永遠の40歳で止まって居た
自分が恥ずかしいワハハハ
(; ̄ー ̄A
(姪の気遣いを本気にするおばさん)
気がつけば50歳目前でした。
姪が上京する前に妹と二十代って色々
あるから悔しい、悲しい、嬉しいが
沢山で1人で泣く日も多いよねーと
しみじみ語り妹はそんな時に娘をどう
支えてあげたら良いんだろうと言って
いたのだが特に良い答えもなく
「自分の娘を信じていればそれだけ
で支えになるんだよ」なんて言ってみ
た、両親を早く亡くし妹を扶養した
時期もあった私、妹の旅立ちは本当に
心配だったけど何を思い悩んでも妹を
信じて手を離すしかないと思った記憶
が蘇り今の妹の不安も良く分かるだけ
に胸がズーンと苦しかった。
くよくよしてた妹が娘の上京間近に私
にLINEをくれて私は涙が止まりません
でした。
「私娘をどう支えてあげたらいいか
ちゃんと分かってた、ムッティーが
ちゃんと教えて私を送り出してくれ
たの忘れてた、ありがとうきちんと
娘を支えていきます、ムッティーが
してくれたように。」
ちょっと本文と違う所はありますが
こんなLINEが来て妹と暮らした時間
の色んな事が思い出されまた涙。
(本当の本文は私だけの宝物なので
ちょっと変えました、←ケチ)
ありがとうと言ってくれてありがとう
だわと独り呟きまた涙した。
姪の旅立ちは私と妹の巣立ちにもなっ
た気がした春でした。
話は戻り私の二十歳って色々目まぐる
しく記憶が無い部分も多い事に気がつ
いた、唯一よく聞いていた曲がユニコ
-ンの大迷惑で仕事の不満や色々な負
の感情をこの曲でリセットしてたよう
な気がする。
22、3歳の頃には妹を扶養してたのと
仕事も忙しかったのもあり世の中の
働く親はこんなに大変なんだなと思い
ながら仕事を中抜けし妹の学校へ行
ったりしてたなー。
1人ならカップ麺でいーやと思ってい
た所だが妹が居たのでご飯を作らなき
ゃいけない使命から料理を覚えたのも
この時期で妹のお陰で私も随分成長で
きたから感謝するのは私なんだけど
それは妹には言わないのだ。(笑)
久しぶりにユニコーンを聞いたら
色んな野望があったけどどうしたら
良いのか分からなくていつも不安だっ
た自分を少し思い出した。
今は随分図々しい大人になったなと
しみじみ思います。
今度札幌に帰ったら妹と若い時によく
行った焼き肉屋で飲もうっと!


今年は沢山花見しました。
生きてて良かったわー。
20代の時は妹に感謝されるなんて夢に
も思わずに居たもねー、長生きするも
んだ。
癌サバイバーまだまだ生きてやるっ!
泣いてはいないだろうか?
なんて心配をしますが姪にLINEをして
も既読にもならずきっと忙しいんだな
とそっと見守るおばさん。
働く前迄はLINEの返信も来ていたが
毎日頑張っているんだな。
今は覚える事沢山で大変な時期だろう
なーと思いながらぼんやり自分の20
年前を思い出そうとしたが…私の20
年前は…?
28歳で結婚4年目のわりと良い大人
だった。
( ̄□ ̄;)!! 私の20年前は二十歳とか
ハタチとかはたちじゃなくなってた現
実に衝撃っ!
いつの間にか勝手に時を止めてました。
姪がいつもムッティーは三十代にしか
見えないよと言ってくれるのでそんな
事ないよーと言いながらちょっと遠
慮がちに永遠の40歳で止まって居た
自分が恥ずかしいワハハハ
(; ̄ー ̄A
(姪の気遣いを本気にするおばさん)
気がつけば50歳目前でした。
姪が上京する前に妹と二十代って色々
あるから悔しい、悲しい、嬉しいが
沢山で1人で泣く日も多いよねーと
しみじみ語り妹はそんな時に娘をどう
支えてあげたら良いんだろうと言って
いたのだが特に良い答えもなく
「自分の娘を信じていればそれだけ
で支えになるんだよ」なんて言ってみ
た、両親を早く亡くし妹を扶養した
時期もあった私、妹の旅立ちは本当に
心配だったけど何を思い悩んでも妹を
信じて手を離すしかないと思った記憶
が蘇り今の妹の不安も良く分かるだけ
に胸がズーンと苦しかった。
くよくよしてた妹が娘の上京間近に私
にLINEをくれて私は涙が止まりません
でした。
「私娘をどう支えてあげたらいいか
ちゃんと分かってた、ムッティーが
ちゃんと教えて私を送り出してくれ
たの忘れてた、ありがとうきちんと
娘を支えていきます、ムッティーが
してくれたように。」
ちょっと本文と違う所はありますが
こんなLINEが来て妹と暮らした時間
の色んな事が思い出されまた涙。
(本当の本文は私だけの宝物なので
ちょっと変えました、←ケチ)
ありがとうと言ってくれてありがとう
だわと独り呟きまた涙した。
姪の旅立ちは私と妹の巣立ちにもなっ
た気がした春でした。
話は戻り私の二十歳って色々目まぐる
しく記憶が無い部分も多い事に気がつ
いた、唯一よく聞いていた曲がユニコ
-ンの大迷惑で仕事の不満や色々な負
の感情をこの曲でリセットしてたよう
な気がする。
22、3歳の頃には妹を扶養してたのと
仕事も忙しかったのもあり世の中の
働く親はこんなに大変なんだなと思い
ながら仕事を中抜けし妹の学校へ行
ったりしてたなー。
1人ならカップ麺でいーやと思ってい
た所だが妹が居たのでご飯を作らなき
ゃいけない使命から料理を覚えたのも
この時期で妹のお陰で私も随分成長で
きたから感謝するのは私なんだけど
それは妹には言わないのだ。(笑)
"大迷惑 UNICORN" を YouTube で見る
久しぶりにユニコーンを聞いたら
色んな野望があったけどどうしたら
良いのか分からなくていつも不安だっ
た自分を少し思い出した。
今は随分図々しい大人になったなと
しみじみ思います。
今度札幌に帰ったら妹と若い時によく
行った焼き肉屋で飲もうっと!


今年は沢山花見しました。
生きてて良かったわー。
20代の時は妹に感謝されるなんて夢に
も思わずに居たもねー、長生きするも
んだ。
癌サバイバーまだまだ生きてやるっ!
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