知り合いの看護師さんの日記より・・・
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朝の通勤途中に、バイクで交通事故を起こした青年だった。
救急車で運ばれてきた彼は、左足の第1指と第5指を、切断するか否かの瀬都際に立たされていた。
Dr.の指示で、とりあえず少し様子を見て、駄目だったら切断と言う厳しい選択を迫られていた。
まだ30代前半の彼。
空に近いところで仕事をする人だった。
その為、指を切断となると、バランスを上手く取れなくなるため、踏ん張りが効かなくなり、2度と彼の大好きな仕事に戻れなくなる可能性が高くなる。
何とか、切断をしないで済むように、私は祈る毎日だった。
残念なことに、怪我をしている足の指は、もう2度とその働きをすることが出来ないと分かった。
彼は、切断手術を受けることになった。
彼は明るかった。
「今更、どうにかなる問題ではないし、仕方ないですよ。」
そう笑う彼の目は、とても辛そうだった。
切断手術が終わった。
今度は、この傷が落ち着いた頃、肉片が見えてしまっている右足の甲に、太ももの皮膚を移植することになった。
私は何だか、この病院のやりかたに疑問を持った。
もし彼が、この病院に運ばれてこなければ、切断をしなくて済んだのではないかと思うようになってしまったのだ。
彼が救急車で運ばれてきた時、外来で対応した看護師の扱いが乱暴で、かろうじてついていた親指を、包帯を外すときに無理に外して、彼の親指が、床にコロンと落ちたというのだ・・・・。
彼はそれを見ていた。
そして心を開いてくれた私だけに、外来で起こった事を、話してくれた・・・。
私は絶句した。
そんな看護師が、この世界に従事しているの?
切断の手術後も、遅々として進まない治療に対して、又、医師の、きちんとした説明のなさも、彼自身に不信感を持ち始めさせたようだった。
私は決してしてはいけない行動を起こした。
私の親族が居る大学病院に、彼をこっそり紹介したのだ。
勿論、病院側には内緒で、自分の休日を使って、彼を大学病院に運んだ。
大学病院のその医師は、「間違った治療は何もしていないですよ。」と優しく説明したようだったが、後から医局に呼ばれた私は、シビアなことを言われた。
「最初の処置が良ければ、彼は切断しなくて済んだかもしれない・・・。彼の傷は、思ったより深いし、手術の方法も中途半端だ。あんな切断の仕方をしたら、後々不便だ。 」
・・・ やっぱり ・・・
私もそう思っていた。
救急車で運ばれてから、手術室に入るまで、彼は何時間も待たされたままだったのだ。
又、切断後の残った部位も中途半端で、彼が社会復帰したときに、この部位が、何らかの形で悪影響を与えるのではないかと、不安に思っていた。
でも彼には言わずにおいた。
そして、このまま元の病院で、皮膚移植を待つか、この大学病院で手術を受けるか、彼と彼のご家族に、「よく相談なさって下さい。」とだけ話した。
彼は大学で手術を受けることになった。
手術は成功し、自宅に帰ってきた彼は、今度は自分の未来に不安を抱くようになる。
あの大好きな空の下で、仕事が出来るのだろうか。
きっともう、今までのような仕事は出来ないだろう。
もしかしたら会社だって、解雇されるかもしれない。
彼は葛藤する。
苦しむ。
私は丁度その頃、仕事を辞めていたので、よく彼から電話相談を受けていた。
自分が大学病院を紹介した手前、「プライベートだから」とシャットアウトすることは出来ない。
ただただ、傾聴するだけの日々だったが、彼は「あなたに話すと落ち着きます。」と殆ど毎日のように電話をしてきた。
それだけ不安だったのだろう・・・。
その内彼は職場復帰を果たす。
最初は事務仕事からだった。
とは言え、今まで現場にいた人が、急に事務の仕事をしろと言われても、戸惑うに決まっている。
安定性のない足。
まるで踏ん張ると言うことが出来ないのだ。
しっかりと支えてくれる、親指と小指がないのだから、ころんと転がってしまうような、そんな状態だった。
それでも彼は努力して、現場に復帰した。
2度とあの場所には戻れないけれど、今度は大地に足をしっかり置き、空にいる仲間に、指示を出す仕事になった。
空に近いところで仕事をする。
それはその業界では『花形』だった。
彼はその『花形』から引退せざるを得なくなった。
どんなに苦しかっただろう。
どんなに悔しかっただろう。
私の前で、時に涙を流していた彼。
年下の可愛らしい彼女の前では、決してそんな姿を見せていなかったけれど、不安で胸が押しつぶされそうになっていたに違いない。
彼女はそんな彼の気持ちに、しっかりと気付くことなく、ただただ、応援の言葉を掛ける一方だった。
確かに20歳前後の女の子に、彼の心を支えるのは難しいかもしれない。
でも、彼女もそれなりに勉強は出来たはずだ。
彼を支えたいと思うのなら、今の彼の状態を少しでも理解してあげるべきだ。
彼女はキリスト教徒で、彼が悩むと、「教会に行って、神父様に相談しよう。」と言うらしいのだ。
はっきり言って、それは違う・・・。
二人の関係を垣間見ながら、私はドキドキしていた。
彼の精神状態は、どんどん悪くなっていった。
その内、彼は私にまで、横を向くようになる。
「どうせ貴女にだって、僕の気持ちは分からないんだ!!」
涙を流しながら、彼はそう言った。
確かにそうだろう・・・。
私は五体満足で、大きな事故も怪我もしたことがない。
体の一部分を取り除くような手術もしたことがない。
あなたの言うとおりです。
あなたの不安・苦しみの全てを、私には決して理解できないでしょう・・・。
だから彼の言葉は、鋭く胸に突き刺さった。
何年か経った今でも、たまに胸が痛む。
今彼はどうしているのだろう・・・。
人間は思ったより逞しく出来ているものの、彼のことはとても気になる。
どうか幸せになっていて欲しい。
そしてこの困難を、乗り越えて欲しい・・・。
彼ならできると信じている。
いつかどこかで、元気な姿の彼に会いたいと思う・・・・・。
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悩んでいる人への思いは寄せられても、その人の悩みそのものをその人の感じているようには感じられません。だって、その人になってしまうことは出来ないのですもの。でも相手からしたらそれがイライラさせられる原因にもなるのでしょうね。
同情し過ぎてもいけないし、冷静になり過ぎてもいけないし、楽観的に受け留め過ぎてもいけないし、悲観的に受け留め過ぎてもいけない・・・
自然な流れで、相手の気持ちに寄り添うこと、そして時には励まし、時には共に嘆き、時には静かに聞き上手になっておく。
そういうことしか出来ないかもしれませんね。
その中で、相手も色々な心理状態を経過しながら、落ち着くところに落ち着いていくのでしょう。
その流れの中で、「あなたは決して一人ぼっちではないのよ」というサポートだけは最初から最後まで必要なのだと思います。また、他人に出来ることはそれだけなのかとも・・・。それは小さなことかもしれませんが、逆に、大きなことなのかもね。
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朝の通勤途中に、バイクで交通事故を起こした青年だった。
救急車で運ばれてきた彼は、左足の第1指と第5指を、切断するか否かの瀬都際に立たされていた。
Dr.の指示で、とりあえず少し様子を見て、駄目だったら切断と言う厳しい選択を迫られていた。
まだ30代前半の彼。
空に近いところで仕事をする人だった。
その為、指を切断となると、バランスを上手く取れなくなるため、踏ん張りが効かなくなり、2度と彼の大好きな仕事に戻れなくなる可能性が高くなる。
何とか、切断をしないで済むように、私は祈る毎日だった。
残念なことに、怪我をしている足の指は、もう2度とその働きをすることが出来ないと分かった。
彼は、切断手術を受けることになった。
彼は明るかった。
「今更、どうにかなる問題ではないし、仕方ないですよ。」
そう笑う彼の目は、とても辛そうだった。
切断手術が終わった。
今度は、この傷が落ち着いた頃、肉片が見えてしまっている右足の甲に、太ももの皮膚を移植することになった。
私は何だか、この病院のやりかたに疑問を持った。
もし彼が、この病院に運ばれてこなければ、切断をしなくて済んだのではないかと思うようになってしまったのだ。
彼が救急車で運ばれてきた時、外来で対応した看護師の扱いが乱暴で、かろうじてついていた親指を、包帯を外すときに無理に外して、彼の親指が、床にコロンと落ちたというのだ・・・・。
彼はそれを見ていた。
そして心を開いてくれた私だけに、外来で起こった事を、話してくれた・・・。
私は絶句した。
そんな看護師が、この世界に従事しているの?
切断の手術後も、遅々として進まない治療に対して、又、医師の、きちんとした説明のなさも、彼自身に不信感を持ち始めさせたようだった。
私は決してしてはいけない行動を起こした。
私の親族が居る大学病院に、彼をこっそり紹介したのだ。
勿論、病院側には内緒で、自分の休日を使って、彼を大学病院に運んだ。
大学病院のその医師は、「間違った治療は何もしていないですよ。」と優しく説明したようだったが、後から医局に呼ばれた私は、シビアなことを言われた。
「最初の処置が良ければ、彼は切断しなくて済んだかもしれない・・・。彼の傷は、思ったより深いし、手術の方法も中途半端だ。あんな切断の仕方をしたら、後々不便だ。 」
・・・ やっぱり ・・・
私もそう思っていた。
救急車で運ばれてから、手術室に入るまで、彼は何時間も待たされたままだったのだ。
又、切断後の残った部位も中途半端で、彼が社会復帰したときに、この部位が、何らかの形で悪影響を与えるのではないかと、不安に思っていた。
でも彼には言わずにおいた。
そして、このまま元の病院で、皮膚移植を待つか、この大学病院で手術を受けるか、彼と彼のご家族に、「よく相談なさって下さい。」とだけ話した。
彼は大学で手術を受けることになった。
手術は成功し、自宅に帰ってきた彼は、今度は自分の未来に不安を抱くようになる。
あの大好きな空の下で、仕事が出来るのだろうか。
きっともう、今までのような仕事は出来ないだろう。
もしかしたら会社だって、解雇されるかもしれない。
彼は葛藤する。
苦しむ。
私は丁度その頃、仕事を辞めていたので、よく彼から電話相談を受けていた。
自分が大学病院を紹介した手前、「プライベートだから」とシャットアウトすることは出来ない。
ただただ、傾聴するだけの日々だったが、彼は「あなたに話すと落ち着きます。」と殆ど毎日のように電話をしてきた。
それだけ不安だったのだろう・・・。
その内彼は職場復帰を果たす。
最初は事務仕事からだった。
とは言え、今まで現場にいた人が、急に事務の仕事をしろと言われても、戸惑うに決まっている。
安定性のない足。
まるで踏ん張ると言うことが出来ないのだ。
しっかりと支えてくれる、親指と小指がないのだから、ころんと転がってしまうような、そんな状態だった。
それでも彼は努力して、現場に復帰した。
2度とあの場所には戻れないけれど、今度は大地に足をしっかり置き、空にいる仲間に、指示を出す仕事になった。
空に近いところで仕事をする。
それはその業界では『花形』だった。
彼はその『花形』から引退せざるを得なくなった。
どんなに苦しかっただろう。
どんなに悔しかっただろう。
私の前で、時に涙を流していた彼。
年下の可愛らしい彼女の前では、決してそんな姿を見せていなかったけれど、不安で胸が押しつぶされそうになっていたに違いない。
彼女はそんな彼の気持ちに、しっかりと気付くことなく、ただただ、応援の言葉を掛ける一方だった。
確かに20歳前後の女の子に、彼の心を支えるのは難しいかもしれない。
でも、彼女もそれなりに勉強は出来たはずだ。
彼を支えたいと思うのなら、今の彼の状態を少しでも理解してあげるべきだ。
彼女はキリスト教徒で、彼が悩むと、「教会に行って、神父様に相談しよう。」と言うらしいのだ。
はっきり言って、それは違う・・・。
二人の関係を垣間見ながら、私はドキドキしていた。
彼の精神状態は、どんどん悪くなっていった。
その内、彼は私にまで、横を向くようになる。
「どうせ貴女にだって、僕の気持ちは分からないんだ!!」
涙を流しながら、彼はそう言った。
確かにそうだろう・・・。
私は五体満足で、大きな事故も怪我もしたことがない。
体の一部分を取り除くような手術もしたことがない。
あなたの言うとおりです。
あなたの不安・苦しみの全てを、私には決して理解できないでしょう・・・。
だから彼の言葉は、鋭く胸に突き刺さった。
何年か経った今でも、たまに胸が痛む。
今彼はどうしているのだろう・・・。
人間は思ったより逞しく出来ているものの、彼のことはとても気になる。
どうか幸せになっていて欲しい。
そしてこの困難を、乗り越えて欲しい・・・。
彼ならできると信じている。
いつかどこかで、元気な姿の彼に会いたいと思う・・・・・。
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悩んでいる人への思いは寄せられても、その人の悩みそのものをその人の感じているようには感じられません。だって、その人になってしまうことは出来ないのですもの。でも相手からしたらそれがイライラさせられる原因にもなるのでしょうね。
同情し過ぎてもいけないし、冷静になり過ぎてもいけないし、楽観的に受け留め過ぎてもいけないし、悲観的に受け留め過ぎてもいけない・・・
自然な流れで、相手の気持ちに寄り添うこと、そして時には励まし、時には共に嘆き、時には静かに聞き上手になっておく。
そういうことしか出来ないかもしれませんね。
その中で、相手も色々な心理状態を経過しながら、落ち着くところに落ち着いていくのでしょう。
その流れの中で、「あなたは決して一人ぼっちではないのよ」というサポートだけは最初から最後まで必要なのだと思います。また、他人に出来ることはそれだけなのかとも・・・。それは小さなことかもしれませんが、逆に、大きなことなのかもね。


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