タマリンドの樹のしたで

カンボジアの国境域で。甘酸っぱい果実をほおばりながら樹下で談笑。ありふれた日常からラオ人の・クメール人の生活を届けたい。

名は知らずとも

2018年05月04日 | つれづれ日記
わー、今日すごく会いたかったの。
ツリバナ。
うれしい。

道すがらに出会った女性が、
私たちと一緒に喜んでくれた。
歩いていると、たくさんの人たちに出会う。
多くは多くを知らぬまま、あいさつを交わして通り過ぎる。
けれども時々、目と目が合って、なんとなく気が合って、
そのまましばらく一緒に歩く、
ポツリポツリと話をしながら。
そんな出会いがあるのです。

山の林の植物たちを、本当によく知っていて、
そこいらじゅうの草花たち一つ一つの個性をみてあげられる。
そんな方だった。

風の強い日で、
狭山丘陵のツリバナたちが位置を定めず揺れていた。
なんて可愛らしいのだろう。



マユミ
彼女はすぐに答えてくれた。
わーこれは?
私のあまりにも単純な質問に、彼女は嫌がりもせず答えてくれる。

でも心配ね。どうしたのかしら。
こんなにフサフサ咲いてしまって。
なにか起こらないといいけれど。
植物たちは危険を感じると、子孫を残そうとしてたくさん花を咲かせて実をつけますよね。
自然は、教えてくれますね。

彼女は続けてそう言った。
そうか。
知らない私たちは、「突然」起こったのだとそう思う。
でも自然はきっと知っている。



あっキンラン。
母の嬉しそうな声がする。
いつもは気づくのがゆっくりな母。
なぜかキンランだけは見つけるのがやけに早い。



ずっと見たかったのだという。
キンラン、キンラン、と思いながら歩いていたのだろうか。



金と銀。
ギンランは、
もう少し小ぶりでさりげない。

たくさんの人たちのなかで、
限られた人生のなかで、
会える人と会えない人がいる。
会えたこと、一緒に歩けたこと、話ができたこと、
不思議な余韻をひきずりながら、感謝する。

名は聞かない。
お互いに名前を知らずにお別れをする。
それでいい。

そういえば、カンボジアの村々でも、
名を知らないままの「知り合い」が多くいる。
出会って、会話をし、一緒に作業をしたりしていても、
名を聞かない、名を名乗らないことなんて、珍しくない。

「おじょうちゃん」
「兄さん」「姉さん」
「おちびちゃん」
そんな風に相手を呼べば済んでしまう。
それでいい…。

道のあちこちにヤマボウシ。
ぴょこんぴょこんと顔をもたげて咲いていた。
また来ます。それまでしばらくさようなら。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿