ウィズコロナ生活を楽しむ

新型コロナと共存しなければならない時代ですが、すでに田舎に移住して在宅勤務を開始。そんな生活をご紹介。

スピードラーニングと室内犬の共通点

2020年09月27日 22時17分17秒 | トイプードルとの暮らし
朝、愛犬の散歩を終えて帰ってきたら
「竹内結子さん死去」
驚きのニューズが飛び込んできました。
事情はわかりませんが、今年1月にも子供が生まれたばかりといいます。
結構ファンだったので、とても残念です。
ご冥福をお祈りします。

さて、前回の続きのような感じになります。
犬は人間の言葉を理解し、物の名前も理解できます、でした。
少し前になりますがテレビで驚きのトイプードルを紹介していました。


2012年。千葉に移住して数か月後、6才の頃のプーです。この時はまだ2か月に1度くらいの割合でトリミングしていました。ただ、ある店でトリミング後、耳にカビ(獣医さん曰く)をもらってしまったので、以後自宅トリミングに変えました。清潔で人気のあるトリミング屋さんは少なく、人気もあるので予約が取りづらいです。ここら辺は東京と比べると圧倒的に劣ります。今は3匹いるので、金銭的に厳しいというのもありますが。

100個くらいのおもちゃを与えて、その名前を全部覚えているワンちゃんです。
その100個のおもちゃをランダムに床に置いて「○○を持ってきて」というと、その100個の中から該当するものを探し出して飼い主に持ってきます。

100個のおもちゃを全部認識してるというだけでもすごいのに、もっとすごいことを紹介していました。
それは100個に混ぜて、新しいおもちゃを1個加えておきます。
そのトイプードルには、そのおもちゃの名前は勿論のこと、新しく加えたことも知らしていません。

で、○○(新しいおもちゃの名前)持ってきて、と命じると例のごとく探しに行きます。
だけども、彼の(もしかしたら彼女かも)の頭の中には、新しいおもちゃの認識がありません。なんせ、初めて聞く名前だからです。
先に覚えている100個よりも時間がかかっています。

でも、そのワンちゃんは新しいおもちゃを口に咥えて、飼い主さんに持って行きます。
それは「聞いたことのない名前のおもちゃ=見たことのないおもちゃ」と認識したとしか思えない行動でした。

たぶん、飼い主さんが根気よく、おもちゃ一つ一つの名前を言って覚えさせたんだと思いますが、それだけ理解できるという事にびっくりしたものです。


話は全くそれます。
オリンピックは来年に延期になってしまったけど、近隣の一宮町がサーフィン会場と決定した時、ふと英会話を習おうかなんて思って色々調べたことがあります。
もともと興味があったのが第一。
外国人の観光客も増えるだろうから、英語で案内できればかっこいいし。
その中で一番の候補になったのが、スピードラーニング。

テレビでCMを打っているのはずっと以前から知っていましたが、聞くだけで上達する、という文言に疑問を抱いていました。
つまり、自分の口から発音しなくていいの?という疑問です。

ところが在宅勤務になってからWOWOWとか、今ではアマゾンプライムで洋画を字幕で見る機会が増えて、いつの間にか自分の口からも英語が出てしまうことがあります。
「オーマイガー!」「シット!」とか「ファッキュー」とか。
ほとんどがスラングなんだろけど、この言葉を使う場面は映画が教えてくれます。
だから日常生活でも、そのような場面に遭遇すると、自然に口をついて出ることがあります。

我が家の犬もそうだし、テレビで紹介された犬も然り。
年がら年中、耳から入ってくる単語って最初は全く意味が分からなくても、何回も同じような場面で聞くと、自然に話せるようになるのではないかと。

コロナやその他の諸般の事情でスピードラーニングの実践は実現していませんが、少なくとも今でも英会話の第一候補になっています。

犬を室内で飼うと、人間の言葉のほとんどを理解する

2020年09月27日 14時49分07秒 | トイプードルとの暮らし
こちらに移住してきた頃、畑で農作業をしている人とよく話をしました。
今は愛犬は3匹なので、クルマで連れて行っているためそれも減りましたが。
特にプー号はかなり年老いてきたので、毎日違う場所に連れて行って散歩をさせています。
それの方が、脳に刺激があっていいらしいので。

畑で作業をしているのは、大体おばあちゃんと呼ばれている人なのですが、家の中で犬を飼うというのがなかなか理解できない人も。

「座敷犬けぇ?」

ザ・シ・キ・イ・ヌ?そういう言い方も間違いではないが。
「今は、室内犬っていうんですよ」
と申し上げても犬というのは番犬で、しかも外で飼うのが当たり前という時代に生きて来たので、なかなかペットとしての犬は理解してもらえないことがあります。

室内で飼っている犬は、外で飼っている犬と明確な違いがあります。
例外もあると思いますが。


2010年。4才のころのプーです。プーという名前なペットショップでそう呼ばれていたから、そのままにしました。プードルは全部プー、ポメラニアンはポメちゃんとか呼ばれていました。この名前にしたのは後々公開しました。もっと高貴な名前、例えば雪之丞とか小太郎とか、もう少し考えるべきでした。

それは人間の会話のほとんどを理解する、ということです。
私と妻の会話を毎日聞いていたり、室内で飼育することで話しかける機会が多いことが理由だと思います。
単語単位ですが、繰り返し聞くことによってその単語の意味も、次に来るだろう言葉も理解できるようになります。

また、同じ単語でも、イントネーションや、声の大きさで、どのくらいの強度があるかもわかります。
例えば、やってはいけないことをしたときに「コラ」という言葉をよく使います。
これが、声の大きさと強さで・・・
「コラ!」
「コラ!!」
「コラ!!!」
「コラ!!!!」
で、どのくらいの怒りのレベルで叱られているのか、理解します。
一番強い言い方をすると、即「気を付け」の姿勢で目をまん丸にしてお座りをします。

これが「コ~ラ」とかでは、最弱レベルで言われていることもわかります。
「いけません」と叱るときは、近所の人とか、他人がいるときによく妻が言いますが、その時は頭を下げて申し訳なさそうに、尻尾を振りながら近所の人に愛想を振りまきます。
だから「コラ」と「いけません」と区別もできるような気もします。

東京にいたころ愛犬の散歩がてらセブンイレブンに行ってくる、なんて会話をしていた時など、いつもの散歩コースを歩いていると、突然別方向に行こうとします。
そう、その方向にはセブンイレブンがあるのです。
ちゃんと妻との会話を聞いていて、その内容を理解してるんですね。

これも移住前の事。
また、家の中では私は素足なのですが散歩の際はスニーカーを履くため、白い靴下をはきます。
その姿をいつも見ているんですね。
動きから散歩に出ることはわかっています。

ある日、もしやと思ってわざと見える所に「仕事に行くときの黒い靴下」と「散歩に行くときの白い靴下」を置いてみました。
「靴下を持ってきて」と彼(プー助)に言いました。
最初は理解できなかったようですが、何回か言うとキョロキョロと周りを見まわし、隣の部屋にある「白い靴下」を持ってきました。

散歩に出るときの仕草ををよく見ているんですね。

でも片方だけ。
もう片方持ってきてというと、やはり最初は理解できない。
靴下を履ていない方の足を示してすと、再び探しに行きます。

できたりできなかったり、こんなことを繰り返すうちに両足分の「白い靴下」を持ってくるようになりました。
時には両足いっぺんに口に咥えてきます。

人間の言葉ができるので、これでしゃべるようになればもっともコミュニケーションができると思うのですが。
残念ながら、発声帯がそのように対応していないようです。

小さい頃は起きるとすぐにご飯を要求して鳴きましたがその時に「ごはん」といわせようと繰り返しました。
「グォワン」
とかまでは発声しました。
無理をすれば「ごはん」と聞こえなくはないですが。

これが完全に発声できれば
「プー、買い物に行ってくるよ」
「じゃ、お父ちゃん、トッピング用のすなぎもの缶詰も買ってきてね」
なんてことになるんだけど、無理ですね。

動物や植物から教えてもらう事

2020年09月23日 10時30分49秒 | トイプードルとの暮らし
板橋のマンションは1階でした。
このマンションも中古で買ったのですが、選んだ理由が「庭」がある事でした。
管理費が上階より5,000円ほど高ったのですが、この庭に車を止めてもOKというマンションでした。

板橋といっても、一応23区。
近所で駐車場を借りると2万~3万はしていましたので、クルマを持つ身としてはありがたかったものです。
その頃はクルマが命、までとは言いませんが割と趣味で、走ることも楽しかったし、洗車や弄ることも面白かったのです。

だから、ワックスをかけてきれいになった愛車を、部屋のリビングでコーヒーやビールグラスを片手に眺めることができるのは、休日の楽しみでもありました。

庭付きの住居なんて初めてだったので、様々な花苗を買ってきてはボーダーガーデン的に植えたりしました。
花に囲まれた愛車を見るのも、なかなかいいものでした。

が、そこは素人の悲しさ。
花なんて育てたことがないので、咲いて散ったら終わり、という感じでしか扱えませんでした。



それでも懲りずに、買ってきては植えてをくりかえしていくうちに、手がかからず、というより何もしないのに増えていく草花に畏敬の念さえ抱くようになりました。

千葉に移住するときは9月ということもあって、夏の花が盛んに咲いていました。
これらを置いたまま立ち去ると、移住先でもいいことがないとおもって、いくつか持って行くことにしました。

その中の一つが「ハツユキカズラ」です。
大きく育ってしまったので、根はそのまま残して次の居住者に委ね、切った状態で挿し木として持ってきました。
もうご存じだと思いますが、このハツユキカズラは葉っぱなのに、色のいいピンクになる季節があります。
少し離れてみると、まるで花が咲いているように見えます。

移住先に持ってきた最初の冬に弱ってしまって、ダメかな?と思いましたが、見事にここまで復活しました。
今は隣家の敷地までランナーを伸ばすくらい元気になり、逆に切らないと収拾がつかないくらいに。
この物置小屋を覆うくらい育てたいと思っています。


ウッドデッキに続くDYI2作目の物置。といってもスチール物置を囲っただけですが。屋根に空間を取ったので物置の中は真夏でも涼しいです。そして我が家唯一の木、シマトネリコ。40cmくらいの苗木から10年で2階の屋根に届くまでに成長しました。シンボルツリーです。

愛犬からも教えてもらうことも多いのですが、こういった植物からも多々ありますね。
上の画像、シマトリネコの根元に小さなベージュの鉢が2つありますが、これはこちらに来て買ったフリージアです。
ひとつは黄色、もうひとつは紫色です。
斜めになっている鉢にはオリヅルランが乗っていますが、まだ根はついていません。

このフリージア、移住した冬に香りにつられて買い、咲いている最初の時だけ大事にしていました。
だけど咲き終わるとそんな手入れはすっかり忘れ、つい最近までウッドデッキに「放置」状態でした。
肥料はおろか、水さえ意識して与えたことはありません。
それなのに、毎年冬から春にかけて可憐な花を咲かせてくれます。
灼熱の夏や、霜が降りる冬を毎年自力で生き延びています。

咲いたことは「香って」知らせてくれます。
まるで「私を忘れないで」といってるような。
毎年花が咲きだすと申し訳なくて「今年はもう少し大きな鉢に球根を移して、肥料もやろう」と思いながらも10年近くたってしまいました。

と、話はそれます。
愛犬を見ていると耳が聞こえなくなって、眼も白くなり、鼻だけが頼りになってきました。
それでも、自分より若いメス2匹(奥さんと娘)が美味しそうにご飯を食べていると、ソファの上から笑顔で俯瞰しています。
そして2匹が食べ終わると、自分の皿に行って食べ出します。
これは以前からずっとです。

その姿はまるで、自分の愛する家族を見守っているような感じも受けます。
その笑顔は今が幸せという姿なのです。
そう、まるでその姿はシナトラの「マイウェイ」の歌詞そのもの。

「マイウェイ My Way」フランク・シナトラ、Frank Sinatra live


犬を老犬になるまで飼育したことがないので、他の犬のことはよくわかりませんが、見ているこちらまで幸せな気分にさせてくれます。
今は耳が聞こえなくたって、目が見えなくたって、俺は人生(犬生ですが)をたっぷり生きてきたんだぜ、なんて思ってるかもしれません。

動物も植物もどんな場合でも、自分の置かれた環境で精いっぱい生きようとします。
自暴自棄になることもないし、ましてや自ら命を絶つなんて決してありません。
だから、嫌なことがあって少々落ち込んでいても、彼らがいると元気をもらえるのです。

今年こそフリージアは良い環境にしてあげたいと思います。

天からの贈り物

2020年09月18日 23時39分25秒 | トイプードルとの暮らし
9月2日に我が家の愛犬トイプードルが14歳の誕生日を迎えました。
これまで大きな病気もせずに、平均寿命といわれる年齢になりました。
人間でいうと72歳くらい、シニア犬から高齢犬の仲間入り。

我が家に来たのは板橋時代でしたが、荒川の河川敷が主な散歩場所で、あの頃の写真を見るとほとんどが空中浮遊しています。
4本の足が地に着いていないんですね。

それほど走るのが好きでした。
その姿を見ていた近所の人が「プーちゃん、弾丸のように走っていたね」とよく言われたものです。

今はすっかり老齢な顔になってしまいましたが、小さい頃から最近までとても美男子でした。
「盗まれるんじゃないか」ということ「いつか骨折するんじゃないか」といつも心配していました。

人間に向かって吠えたことはただの一度もなく、すべての人に愛嬌をふりまきます。
その様は耳が聞こえなくなってしまった今も同じで「おいで」と手を差し伸べる人には、ちぎれるほど尻尾を振ってご挨拶に行きます。

白い毛なみなので目立ちませんが、たぶん今は白髪がたくさんあるのでしょう。
出会いは本当に偶然。
いつか犬を飼いたい、と思っていましたがその日は突然やってきた、という出会いでした。

いつものスーパーに買い物に行った時のことです。
併設されているペットショップに彼はいました。




女子高生の「きゃー、可愛い!」の声に反応してスカートの下に潜り込むの図。羨ましいと思ったのは勿論のことです。うちの愛犬は特に若い女子が大のお気に入りです。


当時15万前後していたトイプードルですが、5万円のプライスカードがケージにぶら下がっていました。

「特別提供品」とは書いてありませんでしたが。
その当時は白いトイプードルは人気がなくて、明らかに売れ残りの「ワゴンセール」のように通路に設置したケージに入れられていたのです。

この時は1月下旬で、産まれてからすでに5か月になろうかとしていた頃です。
嘆かわしいことですが、商品としての「旬」は過ぎていました。
クリスマスにはサンタのコスチュームを着て、愛嬌を振りまいていたそうです。

今が旬のワンコたちは2階建てのマンションのようなところに入っていて、店員さんに声をかけないと触れることはできません。
でも彼は違いました。

ペットショップにやってきた人が、触りたければ自由にケージに手を入れて触れることができました。
中には持ち上げて抱きしめるお客さんもたくさんいたでしょう。
我々夫婦もその中の二人でした。

この「通路のケージ」の特売セールが彼の性格を決定づけたと思っています。
つまり不特定多数の人たちに可愛がられたので「人間って全部の人が優しい」と彼のDNAに書き込まれたんじゃないかと思っています。

お昼頃に行ったスーパーですが、屋上に止めたクルマなかで「どうしようか、買っちゃおうか」「いや待てよ、もう一度確認しよう」と家族会議。
妻は「売れ残った犬は、動物園の猛獣の餌になるという話を聞いた」といいます。
(のちにテレビで放映していましたが、悪徳ブリーダーが扱っている犬たちはそういう運命になることもあるらしいです)

1階のペットショップと、屋上の駐車場を何回往復したでしょう。
そしていよいよ21時の閉店時刻が近づいてきました。

最後の決断。
「よし、売れ残っていたら我が家に連れ帰ろう」
と決心したのでした。

ケージやらご飯やらリード数種類、おもちゃの類。
そしてペット保険。
なんやかんやで12万円ほどかかりましたが「犬を買った」という意識はあまりありませんでした。
これは妻も一緒だったらしく、どちらかというと「授かった」とか「やって来た」といった方がぴったりくる感じでした。

それからの人生は彼がいたから、充実していたような気がします。
精神的にずいぶん助けられたことも多々あります。
まさに「天からの贈り物」でした。

犬や猫を飼っている方は誰でも同じだと思いますが「寝顔」や「しぐさ」に癒されたり、穏やかな気持ちになったり。
犬は小さいころから時間がたつにつれて、子供から友人、そして親友に変化します。
そして今は「同志」的な感覚ですね。

言葉を交わさなくてもお互いに何を考えているかわかる、と言ったら言い過ぎでしょうか?
人間の毎日のルーティーンを全部把握していますので、ソファから立ち上がっただけで彼は私の次に行う動作を予測します。

耳が聞こえなくなったのは、もしかしたら彼にとって幸せかもしれません。
嫌いな花火や雷、「緊急地震速報」のメロディーに慄かなくて済みます。
小さい頃は少しの揺れでも慌てていたのに、感覚が少し鈍ってきたのか地震そのものにも動じなくなりました。

人間同様、ある程度の歳になると「今が一番いい」と感じているかもしれません。

目も白くなってきて、時として目の前の「おやつ」も見つからないこともあるし、数年前から咳もするようになりました。
一日のほとんどの時間を「ぜーぜー」言いながら寝て過ごしています。

あれだけ走るのが好きだったのに、今は歩くことにさえ精いっぱいです。

あとどのくらい一緒にいられるかもしれないけど、できる限り一緒の時間を共有したいと思っています。