「私とインプロ」...またザックリとして難しいテーマでエッセイをお願いしますと頼まれてしまいました。
初めまして。生き方がインプロな木村英一です。
生き方がインプロといいつつ、行き当たりばったりな人生ということではありません。
人生を振り返ってみると随分その時その時の思い付きで取捨選択をしてきたもんだと思います。
でも、よーく考えてみると意外と思い付きではなかった。こういう理由だからこの選択だったんだ。
と思い返す事多々。
でも、他人に声高に伝えるほどの内容でもない。でも自分にとっては響く理由と判断だったと。
僕はダンスを始めて早や27年。
紆余曲折あって即興を主体に活動するようになって13年。
即興歴はダンス歴史の半分に達そうとしています。
インプロとの出会いは、
20代の頃、京都でダンスカンパニーとして活躍するモノクロームサーカスが、
収穫祭プロジェクトというコミュニケーション型のパフォーマンスを始めたときに
様々な場所・シチュエーションで創作した振付をアレンジし踊る様を目の当たりにして、心躍ったことがきっかけでした。
思えばそのプロジェクトで体験した様々な土地、人種、環境で踊り演奏していた記憶が、
今のインプロの原風景になっていることに気づきます。
30代に入り、紆余曲折あって即興を主体に活動するようになって、今に至る様々な出会い(と別れ)がありました。
で、あるとき、ふと、気づいたんですね。
たまたま記録されていたインプロパフォーマンスを見返して、自分なりにインプロを分解して見てみると、
あら、受け身な姿勢。
おや、他人任せ。
あぁ、目立ちたがり屋。
ほほう、向き合ってる。etc
...結構、恥ずかしい。何故なら、これ普段の自分の生活態度じゃないか。
そう、意外と日常生活での人との接し方とか自分のリアクションの取り方とインプロパフォーマンスは地続きだなぁと思うことが多々あることを。
インプロでは、自分のポテンシャルが低かろうと優位であろうと、如何に創意工夫して良い時間を編み出すかが主題と考えています。
“人・空間・音・灯り・時間”らと自分が如何にコミュニケーションを交わし切るか。関係性の中で繋がり育まれ出現してくる必然の連続をなんとか紡ぎ続けること。
それこそが成すべき仕事であり、そしてやりがいなんだと。
あれ?それって...
夫婦生活とか恋人とか、はたまた子育てとかと一緒じゃない?
もしかしたら仕事も一緒?社会と自分とのスキンシップそのもの。
こう在りたい。こうなって欲しい。こういう関係になりたい。
でも、そう上手いこと思惑通りにはいかない。自分の手の内も高が知れている。
だから目的のためにどのように立ち回ればいいか、どう対応すればいいかあの手この手でやってみる。
また、主役はいなくて全ての登場する人々がお互いを補助し合って一つの舞台を作り上げている。
自分もその小さな世界の中の一人として参加している。
あぁ、そうか。インプロって自分と自分が関わる社会への人生観とか生き方のクセとリンクしてるんだ。と気付いたわけです。
となると、もうインプロでステージに立つってのは、
すごく今この瞬間の僕の有り様でしか立てない訳です。
仮面被ってもどこかで今この瞬間の僕の有り様が漏れだしてしまう。
下手に漏れでる方が恥ずかしいから、小細工せずに有りのままで行きましょうよ。と腹括れるわけです。
ステージが酷ければきっと怒られるし批判されるけど、次は見に来てもらえない。
でも今この瞬間の僕の有り様でやったので言い訳の仕様もないし、真摯に受け止めるしかないわけなんです。
ま、人生では離婚とか別れとか家庭崩壊とか、そして慰謝料とか洒落になんない状況が次に待ってるわけですけど、
それでも紡ぎ続けなくちゃなんないんですよね。
ところが舞台ではそんな「人生ジ・エンド」な状況にはなりません。
だからこそ躊躇せずにインプロで始まったステージも紡ぎ続けなくちゃいけない。
そして、必ず終わりを見つけなくちゃならない。人生や社会生活の中での目標を定める作業に近いことをステージ開始から行うわけです。
そうそう羞恥心をなかったことにしてありのままで舞台に立つことともう一つ大切にしていること。
インプロで舞台に立つときは常にいつか終わりはやってくる。と意識しながら立っています。
終わり良ければ全て良し。とはよく言ったもんで終わり方次第で、舞台の印象って随分違ってくると思います。
ドイツで大昔やったインプロでドイツ人の女性が突然掃除を始めたんですよね。それも絶妙のタイミングで、しかも舞台上に沈滞感が充満しているところで。
突然現れた箒を持った人物にスポットライトが浴びたかのような、一気に舞台がグッと締まったんです。
彼女のインテリジェンスとユーモアにひれ伏しました。
それからは、頭の片隅に“唐突に立ち現われてくる「終わり」を取りこぼさないように”と心して出演するようにしています。
で、これもまた心していることが「終わりの先の終わり」。
舞台全体が終焉感を醸し出し始めているのを、敢えて終わらせず続けると奇跡が起こることがあります。
これは、もう人間力試しみたいなもので、僕なんかは怖くて中々飛び込めませんが、
時折、衝動に突き動かされてやっちまうことがあります。
他にも、沢山大切にしていることは多々あれど、
インプロって、舞台として魅せなくてはならない側面もあるけれど、限りなく普段着の自分を一番信じなくてはならない舞台だと思います。
そして、その普段着の自分を信じて(もしくは信じる努力を持続させて)進む姿に、一緒に楽しんでくれる観客や共演者がいる幸せな時間を共有できるものがインプロにはあるんだと思います。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
木村英一
[青幻社マガジンより]
http://www.seigensha.com/magazine/kyotokyoten20
ダンスカンパニー「モノクロームサーカス」にてダンサーとして国内外で活躍。
フリーに転向後、ライブハウス等の非劇場空間で役者・画家・書家・音楽家らと主に即興パフォーマンスを中心に活動。
日本現代音楽協会主催フージョンフェスにて森田泰之進作曲作品「ko-ch?](08')「Damaru-sanga-gorogoro」(11')に出演。
創作文楽・狂言の振付や服飾ブランドSENとのコラボレーション作品振付、haruka nakamuraやドラッグクィーンNADJA・GARNDIVAとのコラボレーションなど活動は多岐に渡る。
京都造形芸術大学出身。京都在住。
初めまして。生き方がインプロな木村英一です。
生き方がインプロといいつつ、行き当たりばったりな人生ということではありません。
人生を振り返ってみると随分その時その時の思い付きで取捨選択をしてきたもんだと思います。
でも、よーく考えてみると意外と思い付きではなかった。こういう理由だからこの選択だったんだ。
と思い返す事多々。
でも、他人に声高に伝えるほどの内容でもない。でも自分にとっては響く理由と判断だったと。
僕はダンスを始めて早や27年。
紆余曲折あって即興を主体に活動するようになって13年。
即興歴はダンス歴史の半分に達そうとしています。
インプロとの出会いは、
20代の頃、京都でダンスカンパニーとして活躍するモノクロームサーカスが、
収穫祭プロジェクトというコミュニケーション型のパフォーマンスを始めたときに
様々な場所・シチュエーションで創作した振付をアレンジし踊る様を目の当たりにして、心躍ったことがきっかけでした。
思えばそのプロジェクトで体験した様々な土地、人種、環境で踊り演奏していた記憶が、
今のインプロの原風景になっていることに気づきます。
30代に入り、紆余曲折あって即興を主体に活動するようになって、今に至る様々な出会い(と別れ)がありました。
で、あるとき、ふと、気づいたんですね。
たまたま記録されていたインプロパフォーマンスを見返して、自分なりにインプロを分解して見てみると、
あら、受け身な姿勢。
おや、他人任せ。
あぁ、目立ちたがり屋。
ほほう、向き合ってる。etc
...結構、恥ずかしい。何故なら、これ普段の自分の生活態度じゃないか。
そう、意外と日常生活での人との接し方とか自分のリアクションの取り方とインプロパフォーマンスは地続きだなぁと思うことが多々あることを。
インプロでは、自分のポテンシャルが低かろうと優位であろうと、如何に創意工夫して良い時間を編み出すかが主題と考えています。
“人・空間・音・灯り・時間”らと自分が如何にコミュニケーションを交わし切るか。関係性の中で繋がり育まれ出現してくる必然の連続をなんとか紡ぎ続けること。
それこそが成すべき仕事であり、そしてやりがいなんだと。
あれ?それって...
夫婦生活とか恋人とか、はたまた子育てとかと一緒じゃない?
もしかしたら仕事も一緒?社会と自分とのスキンシップそのもの。
こう在りたい。こうなって欲しい。こういう関係になりたい。
でも、そう上手いこと思惑通りにはいかない。自分の手の内も高が知れている。
だから目的のためにどのように立ち回ればいいか、どう対応すればいいかあの手この手でやってみる。
また、主役はいなくて全ての登場する人々がお互いを補助し合って一つの舞台を作り上げている。
自分もその小さな世界の中の一人として参加している。
あぁ、そうか。インプロって自分と自分が関わる社会への人生観とか生き方のクセとリンクしてるんだ。と気付いたわけです。
となると、もうインプロでステージに立つってのは、
すごく今この瞬間の僕の有り様でしか立てない訳です。
仮面被ってもどこかで今この瞬間の僕の有り様が漏れだしてしまう。
下手に漏れでる方が恥ずかしいから、小細工せずに有りのままで行きましょうよ。と腹括れるわけです。
ステージが酷ければきっと怒られるし批判されるけど、次は見に来てもらえない。
でも今この瞬間の僕の有り様でやったので言い訳の仕様もないし、真摯に受け止めるしかないわけなんです。
ま、人生では離婚とか別れとか家庭崩壊とか、そして慰謝料とか洒落になんない状況が次に待ってるわけですけど、
それでも紡ぎ続けなくちゃなんないんですよね。
ところが舞台ではそんな「人生ジ・エンド」な状況にはなりません。
だからこそ躊躇せずにインプロで始まったステージも紡ぎ続けなくちゃいけない。
そして、必ず終わりを見つけなくちゃならない。人生や社会生活の中での目標を定める作業に近いことをステージ開始から行うわけです。
そうそう羞恥心をなかったことにしてありのままで舞台に立つことともう一つ大切にしていること。
インプロで舞台に立つときは常にいつか終わりはやってくる。と意識しながら立っています。
終わり良ければ全て良し。とはよく言ったもんで終わり方次第で、舞台の印象って随分違ってくると思います。
ドイツで大昔やったインプロでドイツ人の女性が突然掃除を始めたんですよね。それも絶妙のタイミングで、しかも舞台上に沈滞感が充満しているところで。
突然現れた箒を持った人物にスポットライトが浴びたかのような、一気に舞台がグッと締まったんです。
彼女のインテリジェンスとユーモアにひれ伏しました。
それからは、頭の片隅に“唐突に立ち現われてくる「終わり」を取りこぼさないように”と心して出演するようにしています。
で、これもまた心していることが「終わりの先の終わり」。
舞台全体が終焉感を醸し出し始めているのを、敢えて終わらせず続けると奇跡が起こることがあります。
これは、もう人間力試しみたいなもので、僕なんかは怖くて中々飛び込めませんが、
時折、衝動に突き動かされてやっちまうことがあります。
他にも、沢山大切にしていることは多々あれど、
インプロって、舞台として魅せなくてはならない側面もあるけれど、限りなく普段着の自分を一番信じなくてはならない舞台だと思います。
そして、その普段着の自分を信じて(もしくは信じる努力を持続させて)進む姿に、一緒に楽しんでくれる観客や共演者がいる幸せな時間を共有できるものがインプロにはあるんだと思います。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
木村英一
[青幻社マガジンより]
http://www.seigensha.com/magazine/kyotokyoten20
ダンスカンパニー「モノクロームサーカス」にてダンサーとして国内外で活躍。
フリーに転向後、ライブハウス等の非劇場空間で役者・画家・書家・音楽家らと主に即興パフォーマンスを中心に活動。
日本現代音楽協会主催フージョンフェスにて森田泰之進作曲作品「ko-ch?](08')「Damaru-sanga-gorogoro」(11')に出演。
創作文楽・狂言の振付や服飾ブランドSENとのコラボレーション作品振付、haruka nakamuraやドラッグクィーンNADJA・GARNDIVAとのコラボレーションなど活動は多岐に渡る。
京都造形芸術大学出身。京都在住。