この世はいつもそうなのだろうが、昨今の政治や社会の情勢はおかしなことが多い。石破首相が国会の演説で「楽しい日本」を目指すと述べたとのこと、笑止千万というより浅薄すぎて悲嘆慷慨の感だ。安倍首相の「美しい日本」にも違和感があったが、「楽しい日本」とは能天気もいいところだ。
「楽しい」で連想されるのが、槍玉に挙げられているフジテレビだ。このテレビ局も「楽しくなければテレビじゃない」とかで、「楽しい」礼賛だったようだ。確かに人生を楽しく生きるのはいいことだろう。楽しさは追求すべき価値のひとつだ。しかし、それが国政の目的や社是となっていいのか。
フジテレビ騒動で煙幕を張られている間に、日銀が金利の値上げを決めてしまった。現在の物価高は円安や資源価格の上昇が原因で、内需が高まっているからではない。この愚策をとって楽しいのは財務省と銀行だけだ。中枢部も手が出せないのか推しているのか。フジと同じくガバナンスの崩壊だ。
肝心の国民は楽しいのか。今日の報道では、昨年の自殺者は2万人強でやや減少したようだが、なんと小中高生は527人で、近来増加傾向のなか歴代最高だったらしい。将来ある若い世代が夢を持てない・・楽しくないのだ。鉱内で飼われるカナリアのように、子供たちが危険信号を発している。
この楽しくない事態の原因は何か。全くの私見だが、その最大のものは歴史認識の悪影響だ。近隣から受ける「文明を授かった恩義があるというのに、日本は周辺国に侵略行為、植民地化、残虐非道な所作を行った」という非難で生まれる罪の意識だ。原爆を落とされた米国にさえ卑屈になっている。
日本国は人為的に作ったのではなく縄文の時代から自然と出来上がってきた国だ。国民はお互いを家族のように思い、信頼や誠実、正直や謙遜を大切にして国を築いてきた。もし標語とするなら、「信ある日本」とでもしてほしい。国民が政府を信頼し、政府はそれに応えることを目指すのだ。
「楽しさ」だけを追求すれば、金と地位に目が行くことになる。深い意味で楽しむことを求めるなら、迂遠なようだが、国民の歴史観を立て直して自信を回復することが肝要だ。歴史観を押し付けなくても、事実を学べば自然と見えてくる。誰もが過去の諸行の積み重ねの上にあるのだから。