武漢ウイルス感染症(Wuhan acute respiratory syndrome: WARS)との戦いは1年を超え、ワクチン接種が開始された。しかし、これが作戦として最適なのか疑問が残る。ワクチンが有効なのは、頻度が高いか、頻度が低くても致死的または重大な障害を残すような疾患である。WARSがそれにあたるのか。
理由は不明だが、WARSの脅威は日本人で弱い。3月末の概数で、患者数は50万人、死者数は1万人である。最も多い東京都でも、12万人と1600人である。人口で割り返せば、患者数は日本全体で200人に1人、東京都でも100人に1人である。死者数は、いずれも1万人に1人程度に過ぎない。1年間の罹患率が1%、死亡率が0.01%の疾患に対して、ワクチン接種を広範囲に実施する意味がどれだけあるのか。公衆衛生の専門家から、疑問の声が出ないのは奇異である。
ワクチンが1年有効で有効率が90%とすると、国民全員にワクチンを接種すれば、(この1年で発生した)50万人の患者を5万人に減らせるはずである。死者も1万人から千人に減る。確かにこれは素晴らしい。しかし、その裏では、1億2千万(-50万)人が無駄なワクチンを打つことになる。言い換えると、患者を1人減らすためには約200人が、死者を1人減らすためには約1万人が接種を受ける必要がある。
接種に伴い、痛みや発熱の副反応は10-50%にもおこる。稀ながらアナフィラキシーもある。関連は不明だが死亡例も出ている。何より接種を受ける手間がかかる。接種券を配り、記録を残す。接種担当の医療職を揃えるのも大変な作業となる。費用もかかる。ワクチンが1人分千円としても、それだけで千億円となる。ウイルスは変異するから、これが毎年繰り返されることになるのか。
猖獗を極める米国なら事情は違うだろう。かの地では、患者数は3000万人、死者数は50万人である。人口は2.5倍なので、日本人口に換算すれば、患者数は1200万人(50万の24倍)、死者数は20万人(1万の20倍)となる。10人が接種を受ければ患者が1人減り、500人が受ければ死者が1人減る計算になる。これであれば、副反応や手間暇を考えに入れても、実施する価値があるように思える。
つまり、日本の流行程度では、ワクチン接種は殆どの人にとって無駄であり、有害性だけが残る。それでも、担当大臣までおいて接種を進めている。これは、多分に国民の安心のため、菅政権の維持のためであろう。もちろん、安心感は貴重である。また、理論上も国民の多くが抵抗性を獲得すれば、感染の広がりは抑えられるはずである。そうなれば人の動きが戻り、経済が復活する。だから、接種を否定する気はない。
しかし、ワクチンに過大な期待は禁物である。流行は落ち着いたとしても、WARSを完全に駆逐することは不可能である。国内を制御しても、海外から変異株が入ってくるだろう。そうなれば、新しいワクチンを打つ羽目になる。接種による財政的・健康的・社会的な問題も大きい。この程度の流行の脅威であれば、全国民へのワクチン接種は効率が悪い。長期的には、病気の特性を掴んで、ワクチン以外にやるべきことを考えておくのが重要である。
WARSは今や常在する感染症である。頻度は1年で1%程度と稀、経路は飛沫感染、感染力は中程度、重症化はほぼ高齢者に限る。但し、発症する前から感染性があり(無症状者からも感染しうる)、油断すると一気に流行が広がる。こうなれば、進むべき道は2つである。まずは個々人の感染対策である。体調に注意し、悪い時は外出を控える。国民すべてが感染者であることを前提とし、マスク・手洗い・接触控えを行う。飲食店では、飛沫を回避した営業形態を取り入れる。
今一つは、医療体制の確保である。医療崩壊が1年を通して騒がれ続けた。数値上は病床に余裕があるのに、重症者さえ容易に入院できない。しかし、これには理由がある(文末のURL:別のBlogを参照)。要するに、「多数の病院が分散して病床を少しずつ提供する」という体制では効率が悪すぎるのである。これに対しては、専用病院を特定すればよい。専用病院に転用すると一般医療に支障が生じるかもしれないが、少なくとも医療過密の東京では問題にならない。
ワクチンに過大な期待を持つべきではない。一方、恐怖や不安を煽ることもやるべきでない。WARSを「死ぬこともある風邪」と扱い、風邪と肺炎対策を淡々とやればよいのである。それは、標準的感染対策と専門病院体制の2つである。この事を、政治家ではなく医師から言ってもらいたい。
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