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支流からの眺め

コロナ対策にみえる「駄々っ子ちゃん」

 武漢ウイルス感染症(Wuhan acute respiratory syndrome: WARS)は、流行から1年を経た。その病原性の強さは理解され、ひと時の恐怖感は薄らいできている。過去のBlogでも述べたように、人類が滅亡するには程遠く、数年のうちには常在感染症のひとつに収まるだろう。つまり、「風邪であるが死ぬこともある」という扱いになる。多くの市民は、漠然とこう思っている。

 しかし、ことを荒立てている連中が目立つ。マスコミは相変わらず病気の恐怖を煽りたて、視聴者を不安に陥れている。医療関係者は医療崩壊だと言い続け、診療・入院できない事態の言い訳作りに余念がない。政権に反逆する政治家は、行政の得点には触れず失点だけを責め立て、医学問題である感染症の流行を政治的に利用している。

 病気の怖さという点では、死者の殆どは高齢者であり、数も交通事故死程度である(交通事故死は不慮の死であり、若い人も犠牲になる恐ろしい死であるが、詳しく報道されることは少ない)。そこで、後遺症に悩む人、差別や中傷を受ける人、解雇や休職を迫られる人など、死以外の恐怖体験をことさらに取り上げる。緊急事態宣言に関連しても、給付金制度を有難い・有難すぎると思う人も多いのに、困窮する店主の嘆きを庶民の叫びとして報道する。医療体制も、前のBlogに書いたように、一部の公立病院をコロナ専用病院として収容能力を上げたのに、医学専門家はいつ崩壊してもおかしくないと言い立てている。

 一億総「駄々っ子ちゃん」化したのか?社会危機にあっては事実を虚心に認識し、公益を最大化する冷静な判断が求められる。これは政治家だけではない。大人の国民すべてに求められる。子供は自分のことだけを考えている。だから、不満な状況には感情を露わにして駄々をこねるのである。成人になってもそうであれば、それは子供・未熟である。報道も、視聴者の感情を徒に煽らないのが大人の報道姿勢であろう。どう責任を取るのか、全部お前のせいだと責め倒しても、責める側の自己満足だけで、実質的には何も変わらない。それどころか、感染した同級生をいじめる、感染症の患者は診療しない、金稼ぎのために営業を続ける、などの自己中心的な発想や行動を生み出してしまう。

 緊急事態宣言の解除に関しても、賛否両論あるなか、科学的な根拠はいずれの側も曖昧であった。首都圏という一部の地域で、聖火リレー時の再燃を避けるように、2週間の延長になった。この先がどうなっても言い訳ができる選択である。営業自粛者や医療機関への経済的支援が適切という条件付きであるが、この決断は妥当であろう。それに反して、なぜか、マスコミの論調は問題点を論(あげつら)うばかりである。どうしてここまで国民の不安を煽り、信頼関係の分断を図ろうとするのか・・。ここに国外からの政治的な意図すら感じる。そのような意図がないとしたら、これはマスコミの未熟の故であろう。

 この先話題の中心となりそうなのは、ワクチン接種である。これだけの大事業であれば、多少の問題はやむを得ない。医学的な側面では、有効性だけでなく副反応の内容や頻度、その対処方法などを正確に伝えることは重要である。しかし何故か、安全性に大きな危惧があるという意味の報道が多い。ワクチンを回避する人が多数という報道も繰り返して行われている。誰しも新しいことは不安で怖い。日本人は遺伝的に不安に弱く、失敗しないように気を使う。この特性は、日本製品の完成度を高めるには良いが、怖いものを意識し過ぎるという負の側面もある。この怖いもの見たさの心理に応えれば視聴率は上がる。見たいものを提供するのがマスコミなら、それはポルノ映画と同じである。

 人類の生存や繁栄に大きく貢献した近代医学の中でも、ワクチンの貢献度は最大級である。それにも拘らず、牛になるという噂で牛痘接種が進まなかった。新しい事を避けたくなる個人の不安感情に便乗して、益ある行動を回避させる風聞を流すのは公益に反する。どこの国でも不安からワクチン普及が妨げられてきたが、特に日本では顕著であった。日本国内のワクチン生産体制が弱いのも、ワクチンへの過度な不安とそれを煽るマスコミの歴史があるからであろう。その最たるものは、(WARSに匹敵する年間3千人以上が死亡する)子宮頸がんの予防ワクチンである。西欧諸国では90%以上の接種率に対し、わが国は殆ど0%である。

 ワクチンは感染症が増える・減る程度のことである。より大きな国難を、見たいものを見せるポルノマスコミはどう伝えるのであろうか。石垣島近海で領土問題が発生している。戦闘により人命が失われることもあり得る。ワクチンで10万人に一人発生するアナフィラキシーショック(死亡例はないが)を恐れて、感染者を5%まで減らせるワクチンを受けさせないような偏向報道を行うのであれば、犠牲者が出ることを強調して、相手の上陸を許せと主張するのであろうか。今のように不安を煽る姿勢を取っていると、不安を打ち消すような報道は逆に隠蔽を疑われることになる。となると、より大きな国難の際は、更に不安を掻き立てる報道を行うのか。

 犠牲はないのが理想であるが、現実はそうならない。犠牲(失敗)を過度に回避しようとすれば、感染制御(成功)を逃す。この関係を理解したうえで、不安を制御しつつ判断・行動・報道すること、これがWARS流行を通して学ぶべき大人のリテラシーである。

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