8月の中旬に、「八代亜紀」の美術展を見る目的で、新見市に行きました。

この電車に乗ります。
播州赤穂発5:59に乗ると伯備線で岡山を経由して、新見に8:52につきました。

新見駅です。

黄色の線に沿ってウォーキングします。
まずは、御殿町に行ってみることにしました。


駅前にある「祐清」と「たまがき」の像で、新見荘に関係する人物みたいです。
当時、新見荘は京都の東寺の荘園でした。

駅前からウォーキングします。初めて来たところなので、いつもよりより興味深いです。
キョロキョロしながら歩くので、不審者におもわれるかもしれません。

高梁川に沿って歩きます。

新見から津山へ行く姫新線の踏切です。この踏切をわたりました。

街の風景を見ながら歩きます。
「江道橋」を渡って、御殿町を目指します。

橋から見た、川沿いの町屋です。
商店街に入ってきました。

昭和レトロを感じる商店街です。自分の小さいときを思い出しました。
昭和の街が好きで、いろいろ、その雰囲気のあるところを旅したことがあります。豊後高田とか。



「田原屋」です。明治時代の建築物で、虫籠窓、なまこ壁が特徴です。
ここを左に曲がり、すぐに右へ曲がりました。
しばらく歩きました。

左に見えるのが「消化器庫」
この街をつくったのは、新見藩「関長治侯」と言われていますが、その前は、この辺りは高梁川が流れていたようです。
右側に見える屋敷は、「温故館(渡辺屋敷)」です。

温故館。この渡辺家は藩の用人で、商人との関係を取り次ぐところだったみたいです。
庭には、あの伊達政宗からもらった五葉の松があったそうです。
現在は市の施設として使われています。
ここから松原通りを進みます。
新見八景の石碑があります。


松原通りの風景です。


「茶寮 御殿町新見」がありました。

これから行く「太池邸」の蔵を利用したカフェ。雰囲気を感じる建物です。

右に見えるのが「太池邸」です。
近代、新見地域の商業の中心だった中町界隈のその中心の商家のひとつ。
明治末期の建物で、新見発の百貨店として、呉服をはじめとして、様々な商品を扱っていたそうです。
現在は、新見市が借り受けて、交流拠点施設として利用されています。
ここは、休憩所としても使えるので、途中休憩をとりました。
ブログもここで休憩。

この電車に乗ります。
播州赤穂発5:59に乗ると伯備線で岡山を経由して、新見に8:52につきました。

新見駅です。

黄色の線に沿ってウォーキングします。
まずは、御殿町に行ってみることにしました。


駅前にある「祐清」と「たまがき」の像で、新見荘に関係する人物みたいです。
当時、新見荘は京都の東寺の荘園でした。

駅前からウォーキングします。初めて来たところなので、いつもよりより興味深いです。
キョロキョロしながら歩くので、不審者におもわれるかもしれません。

高梁川に沿って歩きます。

新見から津山へ行く姫新線の踏切です。この踏切をわたりました。

街の風景を見ながら歩きます。
「江道橋」を渡って、御殿町を目指します。

橋から見た、川沿いの町屋です。
商店街に入ってきました。

昭和レトロを感じる商店街です。自分の小さいときを思い出しました。
昭和の街が好きで、いろいろ、その雰囲気のあるところを旅したことがあります。豊後高田とか。



「田原屋」です。明治時代の建築物で、虫籠窓、なまこ壁が特徴です。
ここを左に曲がり、すぐに右へ曲がりました。
しばらく歩きました。

左に見えるのが「消化器庫」
この街をつくったのは、新見藩「関長治侯」と言われていますが、その前は、この辺りは高梁川が流れていたようです。
右側に見える屋敷は、「温故館(渡辺屋敷)」です。

温故館。この渡辺家は藩の用人で、商人との関係を取り次ぐところだったみたいです。
庭には、あの伊達政宗からもらった五葉の松があったそうです。
現在は市の施設として使われています。
ここから松原通りを進みます。
新見八景の石碑があります。


松原通りの風景です。


「茶寮 御殿町新見」がありました。

これから行く「太池邸」の蔵を利用したカフェ。雰囲気を感じる建物です。

右に見えるのが「太池邸」です。
近代、新見地域の商業の中心だった中町界隈のその中心の商家のひとつ。
明治末期の建物で、新見発の百貨店として、呉服をはじめとして、様々な商品を扱っていたそうです。
現在は、新見市が借り受けて、交流拠点施設として利用されています。
ここは、休憩所としても使えるので、途中休憩をとりました。
ブログもここで休憩。
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