
朝は5時に起きて、7時にホテルでバイキング形式の朝食を食べた。
日本人向けのホテルというのもあるけど、アメリカよりも種類が多かった。
ほかの大手ツアー会社のお客も来ていて、ほとんどが日本人のホテルだった。
本日は、ローマ市内観光。 バチカン市国のサンピエトロ寺院、コロッセオやトレビの泉など巡ります。
まず、バチカン市国に到着。これで、個人的には旅行として訪れたのは6か国目です。
64年頃 ネロ皇帝の迫害のため殉教したキリストの使徒ペテロが、バチカンの丘に葬られる。
349年ペテロの墓の上に、聖ピエトロ聖堂建設。756年法王領がフランク王国から寄進される。
1870年イタリア軍、法王領に侵入(「ローマ問題」)。1929年イタリアの首相ムッソリーニが、
対立していたローマ教皇と和解して国家して承認。
ものすごい重圧な壁に囲まれ、キリスト教最大の流派であるカトリック教会の威厳を感じました。
令和天皇とローマ教皇が今年の11月に懇談の調整中とのニュースを最近聞いたばかりでした。
バチカン美術館はかなりの人だかりで、私たちは団体だったので30分くらいで入ることができました。
入口で危険物の持ち込みチェックをします。リュックサック系の手荷物は禁止されています。
団体客だったので、個人に比べるとかなり早く入れたようです。

旅行中は、旅行会社が用意した無線機を聞きながら旅行をしてるのですが、バチカンに関しては、
バチカンが用意した無線機しか使えないルールがありました。

日本人は一般的に宗教というのをよく知らないので、このヨーロッパにおいて独立国として残った
この世界一小さいこの国にすごい興味がありました。面積は、0,44平方メートルで、
日本の皇居(1.15平方メートル)の半分以下しかありません。


美術館を担当したガイドさんが、ローマの美大を卒業しているとかで、かなりマニアックな説明をしてくれましたが、
こちらに予備知識がなくて、何を言っていたのかほとんど忘れてしまったw

あまりにも豪華な装飾がされており、ただただ凄いとしかいいようのない総本山。
ただ、人が多すぎるので人並みに押され、ゆっくりとはなかなか見学ができません。










サンピエトロ寺院。イエス・キリストに従った使徒の一人・ペトロの墓所でもある。




ラファエロ作のキリストの変容

かつて何万色も色を作り、一つ一つ小さな石をハメ込んでいくなど、
気の遠くなるような作業をして作られた芸術がここにはあります。

ミケランジェロ作のピエタ像










ミケランジェロの壁画「最後の審判」で有名なシスティーナ礼拝堂へも行きましたが、写真撮影は禁止で、
ツアーだったのでゆっくりと見る時間は取れませんでした。紅白歌合戦の米津玄師で話題になった
大塚国際美術館でも見ていましたが、大きさはまったく比較にならないものでした。
ミケランジェロが描いた天井画「天地創造」と、祭壇の壁に書かれた「最後の審判」は、禁断の果実を
食べた二人が楽園を追放される旧約聖書や、新約聖書から描かれているので、キリスト教を知っている
人には興味深い絵であろう。
サンピエトロ広場



オベリスクが立っている。

バチカンはスイスの衛兵が守っている。




バチカン市国の観光を経て、ローマ市内の観光をする。路中がひどいので、バスがかなり切り返して曲がったりした。

ローマ帝国は連続する政治体制として歴史上最も長く存続した国。1956年間存続(紀元前753年4月21日-1204年4月13日)。
コンスタンティヌス1世(272-337)はキリスト教を公認したローマ帝国の皇帝。
テベレ川を横に、ローマの荒廃を感じさせる建物。ローマの休日で有名な真実の口もバスから少し見えたのみ。

水道橋跡

コンスタンティヌスの凱旋門

コロッセオ。昔はツアーでバスが近くに止めて歩いて観光することができたが、いまはけっこう歩くことになってしまうので、
バスから見たのみだった。ここに関しては、リベンジができれば、いつか歩いて見学してみたいと思った。



ローマ市内でランチをするためにバスを降りて歩く。





トレビの泉。ここではジェラートを食べた。イタリアは物を買うか、金を払わないとトイレは一般的に使えない。

また、ローマに来れるように願をかけて、後ろを向いて右手で左肩越しにコインを投げていました。
コインは何でもいいので、日本円で10円を投げてきました。



ツアーで連れてこられた三越屋ローマ店。地下に真実の口のレプリカがあった。

ランチは、ピザが4人の席に、4枚違うピザが次々に出てくるシステムだった。大体の人が3枚で終わっていた。
やはり日本人の胃には量が多い。



ローマ観光後、約4時間かけてバスでフィレンツェへ向かう。

イタリアはほとんどミッション車で、洗車していない汚い車が多い。
2人乗りの電気自動車っぽい小さい車も日本に比べて多く見られた。

道路を走っているとよく見る犬(オオカミ?)が火を噴く絵のガソリンスタンド。

車中より。崖の上にギリギリ立つ家が特徴的。

フィレンツェに着いて、ミケランジェロ広場よりフィレンツェの街の夕景を見ました。




ダビデ像のレプリカが立っています。

宿泊は、ホテル「FH55 グランドホテル メディテラネオ(日本旅行規定のAクラス)」でした。

夕食は、大きな肉が出てきて、柔らかくとてもおいしかったです。肉には赤ワインがあうとのことでしたが、
個人的には赤はおいしいと感じないので、今回の旅行は白ワインばかり飲んでいました。
日本人向けのホテルというのもあるけど、アメリカよりも種類が多かった。
ほかの大手ツアー会社のお客も来ていて、ほとんどが日本人のホテルだった。
本日は、ローマ市内観光。 バチカン市国のサンピエトロ寺院、コロッセオやトレビの泉など巡ります。
まず、バチカン市国に到着。これで、個人的には旅行として訪れたのは6か国目です。
64年頃 ネロ皇帝の迫害のため殉教したキリストの使徒ペテロが、バチカンの丘に葬られる。
349年ペテロの墓の上に、聖ピエトロ聖堂建設。756年法王領がフランク王国から寄進される。
1870年イタリア軍、法王領に侵入(「ローマ問題」)。1929年イタリアの首相ムッソリーニが、
対立していたローマ教皇と和解して国家して承認。
ものすごい重圧な壁に囲まれ、キリスト教最大の流派であるカトリック教会の威厳を感じました。
令和天皇とローマ教皇が今年の11月に懇談の調整中とのニュースを最近聞いたばかりでした。
バチカン美術館はかなりの人だかりで、私たちは団体だったので30分くらいで入ることができました。
入口で危険物の持ち込みチェックをします。リュックサック系の手荷物は禁止されています。
団体客だったので、個人に比べるとかなり早く入れたようです。

旅行中は、旅行会社が用意した無線機を聞きながら旅行をしてるのですが、バチカンに関しては、
バチカンが用意した無線機しか使えないルールがありました。

日本人は一般的に宗教というのをよく知らないので、このヨーロッパにおいて独立国として残った
この世界一小さいこの国にすごい興味がありました。面積は、0,44平方メートルで、
日本の皇居(1.15平方メートル)の半分以下しかありません。


美術館を担当したガイドさんが、ローマの美大を卒業しているとかで、かなりマニアックな説明をしてくれましたが、
こちらに予備知識がなくて、何を言っていたのかほとんど忘れてしまったw

あまりにも豪華な装飾がされており、ただただ凄いとしかいいようのない総本山。
ただ、人が多すぎるので人並みに押され、ゆっくりとはなかなか見学ができません。










サンピエトロ寺院。イエス・キリストに従った使徒の一人・ペトロの墓所でもある。




ラファエロ作のキリストの変容

かつて何万色も色を作り、一つ一つ小さな石をハメ込んでいくなど、
気の遠くなるような作業をして作られた芸術がここにはあります。

ミケランジェロ作のピエタ像










ミケランジェロの壁画「最後の審判」で有名なシスティーナ礼拝堂へも行きましたが、写真撮影は禁止で、
ツアーだったのでゆっくりと見る時間は取れませんでした。紅白歌合戦の米津玄師で話題になった
大塚国際美術館でも見ていましたが、大きさはまったく比較にならないものでした。
ミケランジェロが描いた天井画「天地創造」と、祭壇の壁に書かれた「最後の審判」は、禁断の果実を
食べた二人が楽園を追放される旧約聖書や、新約聖書から描かれているので、キリスト教を知っている
人には興味深い絵であろう。
サンピエトロ広場



オベリスクが立っている。

バチカンはスイスの衛兵が守っている。




バチカン市国の観光を経て、ローマ市内の観光をする。路中がひどいので、バスがかなり切り返して曲がったりした。

ローマ帝国は連続する政治体制として歴史上最も長く存続した国。1956年間存続(紀元前753年4月21日-1204年4月13日)。
コンスタンティヌス1世(272-337)はキリスト教を公認したローマ帝国の皇帝。
テベレ川を横に、ローマの荒廃を感じさせる建物。ローマの休日で有名な真実の口もバスから少し見えたのみ。

水道橋跡

コンスタンティヌスの凱旋門

コロッセオ。昔はツアーでバスが近くに止めて歩いて観光することができたが、いまはけっこう歩くことになってしまうので、
バスから見たのみだった。ここに関しては、リベンジができれば、いつか歩いて見学してみたいと思った。



ローマ市内でランチをするためにバスを降りて歩く。





トレビの泉。ここではジェラートを食べた。イタリアは物を買うか、金を払わないとトイレは一般的に使えない。

また、ローマに来れるように願をかけて、後ろを向いて右手で左肩越しにコインを投げていました。
コインは何でもいいので、日本円で10円を投げてきました。



ツアーで連れてこられた三越屋ローマ店。地下に真実の口のレプリカがあった。

ランチは、ピザが4人の席に、4枚違うピザが次々に出てくるシステムだった。大体の人が3枚で終わっていた。
やはり日本人の胃には量が多い。



ローマ観光後、約4時間かけてバスでフィレンツェへ向かう。

イタリアはほとんどミッション車で、洗車していない汚い車が多い。
2人乗りの電気自動車っぽい小さい車も日本に比べて多く見られた。

道路を走っているとよく見る犬(オオカミ?)が火を噴く絵のガソリンスタンド。

車中より。崖の上にギリギリ立つ家が特徴的。

フィレンツェに着いて、ミケランジェロ広場よりフィレンツェの街の夕景を見ました。




ダビデ像のレプリカが立っています。

宿泊は、ホテル「FH55 グランドホテル メディテラネオ(日本旅行規定のAクラス)」でした。

夕食は、大きな肉が出てきて、柔らかくとてもおいしかったです。肉には赤ワインがあうとのことでしたが、
個人的には赤はおいしいと感じないので、今回の旅行は白ワインばかり飲んでいました。
