
「考古学にみる東松浦沿岸部の漁撈活動と捕鯨」という演題で、まつろ館の田島館長さんの話を聞きました。小川島周辺が鯨の漁場になった理由を分かりやすく解説いただきました。また、鯨の骨を使って釣り針などの漁業用具を作ることから、海女(海士)業と捕鯨の間にはお互いに深い関係があるらしい、という話は興味深かったです。

わが小川島より鯨骨切唄を披露していただきました。今日は大人だけの演技でした。さすがに洗練されたパフォーマンスでした。

「唐津藩船手文書にみる呼子」という演題で、名護屋城博物館学芸員の久野さんの講演がありました。下関と平戸の中継港として、唐津や呼子が大事な位置を占めていたそうです。特に呼子港は湾が深く、大型帆船が出入りしていたそうです。昔の記録(日記等)から、当時の人々の様子が手に取るようにわかりました。例えば、たくさんの船が風向きが変わるのを湾内で待ち、順風になったら一斉に出港したそうです。その数なんと300そう。どうやらこれは事実らしいのです。面白いですね。
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