
3月15日午後、相知交流文化センターで『拉致問題を考える県民の集い(佐賀県主催、唐津市教委等後援)』がありました。テレビやインターネット等で報道されているので関心は持っていました。こういう機会がありましたので、拉致問題を自分の肌で感じようと思い、この講演会に行きました。
増元ルミ子さんの姉の平野フミ子さんと弟の増元照明さんの話は、家族ならではの切実さや自分ではどうにもならないもどかしさを感じました。当時24歳だったのが今年62歳になったはずだそうです。一日も早く帰ってきてほしいと思います。
そのあと、『救う会』全国協議会会長の西岡力先生の講演がありました。拉致問題を国際情勢から見た場合のいろいろな見方を話していただきました。「なぜ今、北朝鮮は日本に歩み寄りのそぶりを見せているのか。それは、国連を含む世界の人権問題に関する動きにも絡んでいる。」また、「日本政府の対応とそれぞれの駆け引きについて。」「北朝鮮の政治体制の歴史と、現在の国内事情。」など、いろいろな視点で話をしていただきました。いろいろな思惑があり、一筋縄ではいかないということを感じました。
残念ながら「お人よし」では通用しない世界があるんですね。

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一日に6便ほど、乗る時間は15分ほどで神湊から島に着きます。小川に比べて波を遮るものが少ないので波は高かったです。昔は鐘崎から出ていたそうです。

「なぎさの家」・・漁村留学生の宿舎です。今年は5名の小学生(4~6年生)が暮らしています。

島の『椿まつり』のために、沖縄の三味線の練習中でした。誰が島の子か留学生かわからないほど打ち解けて、元気な学校生活を送っているようでした。
子どもたちが生活する宿舎を整えて、指導員さんがつき、寮母さんが世話をするというスタイルでした。もう十数年の歴史を数えます。始めたきっかけは、『将来的には島に子どもがいなくなる。』という危機感だったらしいです。
小川の場合を考えてみても、子どもがいなくなり、児童生徒数が減れば小川小中学校の休校や廃校の危険性もあります。そうすれば、島の過疎に拍車がかかりますし島自体の存続にも影響が出てきます。子どもの確保のための手立てと産業の開発や育成を並行して取り組む必要があると思います。
実は以前、この島に小川小中学校育友会で視察に行ったことがあるそうです。今度こそ漁村留学の具体化につながればいいですね。

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島民との座談会をしていただきました。昼過ぎの時間でしたが約30名の島民が憩の家に集まりました。私も学校代表として参加させていただきました。
文字通り車座になって、島民が困っていることや要望などを直接聞いていただきました。へき地や離島、山間部の振興をとても真剣に考えていただいていることを感じました。しかしながら、要望を聞くだけではなく、「地元でできることは地元で頑張ってください。その上で手助けをいたします。」というはっきりした方針を伝えられました。漁業振興などの産業の育成や島の活性化など、小川島の将来について地に足のついた有意義な意見交換会ができたと思います。知事様、ありがとうございました。
学校に関することも取り上げていただきました。離島の将来を担う子どもたちの教育にご理解をいただきました。島の発展や存続に、学校の役割が大きいこと、また、これから具体化を目指している『漁村留学』についても、ご家族の例を交えて前向きな受け止め方をしていただきました。
個人的には・・県知事さんとこのように対面して話をする機会は初めてだったので、私にとっては貴重な経験でした。島のために、学校教育という自分が与えられた分野でさらにがんばろうと思いました。

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学校への坂でいのししに遭遇することがたびたびありました。写真のような金網を設置していただいて、ひとまず藪の中からイノシシが現れることがないと思います。帰宅する時、藪の中から「ガサッ!ガサッ!」という音が聞こえたりすると不安でした。

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