音楽評論家の湯川れい子さん(私は彼女を作詞家として評価しているの思だが)が、つい最近解禁になった「ダビング10」という方式のコピー方式についての論を展開していた。
著作権の問題について、日本は比較的進歩してきているのかと思いきや、「ダビング10」のようなトンデモない法律を平気で作る国なので、ほとんど意識は昔と変わっていないのかナ?と思ってしまう。イソップの童話に『アリとキリギリス』という有名な話しがあるけれど、せっせと財産(この場合はお金とか食べ物とか要するに目に見える物質でしょうネ)を溜め込んだアリさんは偉くて、そんなものは何もためずにただただ歌って踊っていたキリギリスさんは「人生の敗北者」のように扱うこの童話が象徴するものは、「目に見えないものは何も価値がない」ということ。仏教やカソリックの国ではあまり出てこない発想だと思う。要するに、プロテスタント系キリスト教のひたすら真面目でストイックな生き方こそが人間には求められるという思想から生まれた童話なのかナ?と私は常々思っている。
世界的に見ても、ここ数年本当に音楽は危機的状況だと思う。誰もCDを買わないし音楽はみんなタダ、ぐらいに考える人がどんどん増えてきているのだから、音楽家が音楽を生業として生きていくことがますます困難な状況になってきている。
音楽はタダ。誰も著作権にお金なんか払わないじゃあ、キリギリスが生きていくことは絶対に不可能だ。やはり「カタギ」なアリさんしか世の中では生きていかれないということになってくるのだろうか?
湯川さんの文章に「ビートルズが背負っているのは英国国旗で、ミッキーマウスの後ろには星条旗がはためいている」という一節があったけれど、島国の日本はミッキーマウスやビートルズからさんざん著作権料を請求されることはあっても、アニメやゲームの著作権料はちゃんと請求できているんかい?とつい思ってしまう。幕末の昔から外交がまったくできない日本という国は今でも外国の前では内弁慶にしかふるまえない情けない国だからだ。
....というようなことを私は別に愚痴っているわけでも何でもなくって、困難な状況でればあるほどファイトが湧いてくる根っから「Mな性格」の私は、これはいい機会だから「へん。やってやろうじゃないの」と心に誓った次第(何をやるかはこれからの問題だけれども...ハハハハ)。
著作権の問題について、日本は比較的進歩してきているのかと思いきや、「ダビング10」のようなトンデモない法律を平気で作る国なので、ほとんど意識は昔と変わっていないのかナ?と思ってしまう。イソップの童話に『アリとキリギリス』という有名な話しがあるけれど、せっせと財産(この場合はお金とか食べ物とか要するに目に見える物質でしょうネ)を溜め込んだアリさんは偉くて、そんなものは何もためずにただただ歌って踊っていたキリギリスさんは「人生の敗北者」のように扱うこの童話が象徴するものは、「目に見えないものは何も価値がない」ということ。仏教やカソリックの国ではあまり出てこない発想だと思う。要するに、プロテスタント系キリスト教のひたすら真面目でストイックな生き方こそが人間には求められるという思想から生まれた童話なのかナ?と私は常々思っている。
世界的に見ても、ここ数年本当に音楽は危機的状況だと思う。誰もCDを買わないし音楽はみんなタダ、ぐらいに考える人がどんどん増えてきているのだから、音楽家が音楽を生業として生きていくことがますます困難な状況になってきている。
音楽はタダ。誰も著作権にお金なんか払わないじゃあ、キリギリスが生きていくことは絶対に不可能だ。やはり「カタギ」なアリさんしか世の中では生きていかれないということになってくるのだろうか?
湯川さんの文章に「ビートルズが背負っているのは英国国旗で、ミッキーマウスの後ろには星条旗がはためいている」という一節があったけれど、島国の日本はミッキーマウスやビートルズからさんざん著作権料を請求されることはあっても、アニメやゲームの著作権料はちゃんと請求できているんかい?とつい思ってしまう。幕末の昔から外交がまったくできない日本という国は今でも外国の前では内弁慶にしかふるまえない情けない国だからだ。
....というようなことを私は別に愚痴っているわけでも何でもなくって、困難な状況でればあるほどファイトが湧いてくる根っから「Mな性格」の私は、これはいい機会だから「へん。やってやろうじゃないの」と心に誓った次第(何をやるかはこれからの問題だけれども...ハハハハ)。
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