道東を発見する旅 第3の人生

遺言書 公証人役場 ハンコ

8月も今日で終わるので、あわててブログを書いている。先週の旅行について書きます。色々書きたいことがあるのだが、まず遺言の事から書きます。

9日間の旅行

先週は9日間のお休みをとった。ただし、有給休暇の日数は土日を除けば5日間だ。

まず、帯広に行って来年4月から入居する宿舎の見学をした。それから車のディーラーに行き購入希望の車を契約した。ただし、納車は来年3月にしてもらう。

そこから帯広空港に行き、羽田経由で大阪に行った。

大阪では遺言書を公証役場で認証してもらった。

それから、長年行ってみたかった伊豆半島に行った。熱海でレンタカーを借りて西伊豆から東伊豆と回り、最後は伊東市の大室山に登ってきた。

レンタカーを返し、その足で新幹線に乗り品川で京急に乗換え羽田まで行く。1時間ちょっとしか、かからなかったのにビックリした。

羽田から帯広空港まで飛び、約6時間のドライブで対岸の町まで戻り最後の一泊後に翌日のフェリーで島に戻った。

連続8泊

結局、あちこちのホテルに連続で8泊した。

途中で2,3回、朝、目覚めた瞬間、「あれ、ここはどこだったかな、」と不思議な感覚に包まれる。「あ、そうか、今日は大阪にいるんだ」、「あれ、島だともっと静かなはずなのに、」とか、目覚めた瞬間の気持ち良さと共に感じた不思議な気分を味わう。いつも島を離れると毎日が冒険の連続のような日が続く。前回のUSJに続いて今回も楽しかった。

相続のこと

最近、知ったのだが60歳以上の人で4千万円以上の貯蓄がある人の比率は18%だそうだ。一方、死んだときに相続税を払っているケースが全体の2割くらいらしい。

相続税は基礎控除が3000万、相続人が子供2人の場合600万×2人で合計4200万以下だと発生しないのでそれ以上だと相続税がかかる。

自分の場合、60歳以上で4000万以上の18%に入っていて、さらに子供同士がその配分比率でもめる可能性がある(これは結構起こるらしい)。

そんな訳で早めに遺言書を作っておくことにしたのだった。口座のある銀行支店の担当者に相談すると、「うちでもやっていますよ」と言うので作成の手続きを依頼した。

これを信託業務というらしいが、遺言書を作成し銀行が保管して、いつかやってくるその日(自分が死んだ日)が来たら息子が銀行に電話すれば相続手続きを始めてくれる。手数料は100万円だが仕方がない。

相続での律速段階

面倒なのは戸籍から縁戚関係を調べ上げて被相続者を正確に洗い出す事だ。それが大変で時々予想もしない相続人(隠し子など)が現れるらしい。

嫁さんが死んだときは行政書士の事務所に依頼したのだが、嫁さんも自分も怪しい経歴は全くないのが書類で証明された。自分の被相続者は2人で長男と次男だ。

次に大きな問題となるのが子供への配分比率である。これは必ずと言っていいくらいもめるらしい。時には裁判になるそうだ。

それで経験豊富な信託業務の担当者の意見を聞き然るべき配分比率を決めて後日書が出来上がった。

認証は公証役場で

最後に出来上がった遺言書を公的に認証してもらう。これで終わりだ。銀行の担当者は「身体だけ行ってもらったらいいです、何もすることはありません」と言っていた。後日電話がかかってきて「76000円おつりのいらないように持参してください」と言う。

いよいよ当日、宿泊しているホテルに銀行の人が車で迎えに来てくれて公証役場に連れて行かれた。大阪市内のビルに行きエレベーターに乗り、降りたところに「公証役場」という看板が掲げられている。

写真は現場である「江戸堀公証役場」

中に入ると、デスクがいくつか並んでいて、その一つのデスクに「〇〇役場」という看板が掛けてある。後で確認したら、そこには3人公証人がいて、〇〇がそれぞれの人の名前が入っているのだ。

認証の現場と公証人

知らなかったが、全国には公証人が500人しかいないそうで法務局に所属する司法の関係者(司法試験に合格し研修を受けた人とか検察庁に勤務していた人など)が引退後になることが多いそうだ。欠員が出た場合補充されるそうだが、それが年に一人程度でかなり競争が厳しいらしい。年収も多い人で3000万くらいなるとかだそうだ・・・・羨ましい!!

さて私の遺言を認証してくれる公証人は、人のよさそうなお爺さんで実直な感じの方だった。

役場の中に入ると、こちらにどうぞと会議室に案内された。広めのテーブルの端っこに自分が座り、すぐ左に公証人先生(敬称は先生のようだ)、自分の右には証人として銀行の支店長、担当のお姉さん、そして銀行の信託業務の担当者が座った。

厳かに開始が宣言され、あらかじめ作成してあった遺言書を、お爺さんの先生が読み上げていく。ハイ、ハイ、と返事しているうちに、あっという間に読み上げが終わった。

エーッ、ナンダ、たったこれだけ?と思った瞬間、お爺さんが「それでは、皆さんに捺印をしてもらいます」と言う。確かに皆、手元にハンコを用意してあったのに気がついていた。

ハンコ

自分は一瞬、蒼ざめて口を開いた「すみません、ハンコ忘れました」--ーその場の空気が凍り付いたのを肌で感じた。

焦った表情で支店長が「どこにあるんですか?」

(持参してなければ再度公証人の予約をし担当者の時間を調整して、自分は北海道からまた出直すことになる)

自分は担当者から手数料の7万6千円以外に「実印」が必要だとは聞いていなかった。あの瞬間、彼女は心臓が止まってしまうような気分だっただろう。

 

自分「ホテルにあります・・」と言ったので皆の口から一斉に「ホーーッ」という小さな安堵の声が聞こえて、その場の空気が和らぐ。

「すぐ取りに行きましょう」と支店長が言う。

結局、近くのホテルに取りに返ってハンコを押して、皆、ヤレヤレ・・で終わったのだが、担当のお姉さんはひたすら平謝りしていた。

実は、帯広で車の契約をするのに印鑑証明と実印が必要だったので持って行っていたのだ。

皆に迷惑をかけずにすんでラッキーだった。

自分の常識のなさの言い訳

結婚するまで実印や銀行印の事など何も知らなかったし、結婚後も全く知らないままだった。

結婚した時、嫁さんと一緒に堂島地下街のハンコ屋さん(今もお店がある)で高い水牛だったかのハンコを作った。

嫁さんは、その時以来、ずっと使い続けていたのでだんだんとハンコの端の方や字の一部が欠けてハンコを押してもキチンと印影が出なくなった。

あちこちで文句を言われても嫁さんは「大丈夫よ」と言ってそのまま使っていた。自分は嫁さんが死ぬまで、どれが実印でどれが重要なのか、よく分からないままだった。

死んでから初めてハンコの区別ができるようになり、重要性を理解できるようになったが、それでも、このような時にとても重要な役割を果たすものであるという常識が無かった。

車を買うので大事だと思っていたが、まさか、それ以上に大事な遺言書の認証に必要だなんて、全くもって想像もしていなかった。

捺印が終わった時、公証人が自分の耳元で「こんな場合は、未だにハンコ社会なんですよ」とささやいて、社会常識について諭してくれたのでした。

ようやく8月の終わりにブログを上げることが出来た。9月にはいったら車の事や伊豆半島のことを書きたいと思っています。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事