道東を発見する旅 第3の人生

幸せすぎて書かねば?

最近の新聞記事から、とても印象に残った芥川賞作家のインタビューによる記事を紹介します。

毎日新聞、5月23日 夕刊記事 連載「私の出発点」 辻原登さん
より引用

幸せすぎて「書かねば」

「あの瞬間『物語を書く幸福をつかまなくてどうする!』と思ったんです」。

30代半ば、ほれ抜いた女性と結婚してほどなくの頃だ。普段は会社で猛烈に働き、たまの休日。東京・高井戸の2DKの借家のベランダで、食後にパイプを吹かしていた。

木の葉の緑。小鳥のさえずり。愛妻が皿を洗う音。「ふと、僕はなんて幸せなんだろう、小説を書かずに死んでたまるかってね」。

純文学作家にままある、不幸体験が執筆動機になるケースとは全く逆である。

それから約10年後、1990年夏に芥川賞を受賞したのが本作だ(注釈:村の名前、文春文庫)



幼い頃から物語世界に心酔した。高卒後、和歌山県印南(いなみ)町の実家から上京して小説修業をしたものの20代に入って挫折し帰郷。

「母親や弟たちと養鶏場を営みました。鶏が病気にかかったり野犬やキツネに襲われたり。おまけに卵の値段は上がらない。夜は膨大な本を読みましたが、もう、ヘトヘトになったのです」

時代は70年代初め。日中の国交が回復していた。千葉県の友人宅に転がり込み、東京の夜間の中国語学校に2年間通った。30歳で小さな中国貿易の会社に就職。

オーナーからは小説執筆を禁じられた。「会社勤めは甘くありません。小説はあきらめました。どんな無理な指示にも唯々諾々と打ち込むうちに、仕事が面白くてたまらなくなりました」

大手商社が手をつけない隙間(すきま)を狙い、マツタケや釣り餌のゴカイを航空便で輸入した。夜行列車で数十時間をかけて中国奥地の産地を歩いた。マツタケを腐らせて大損も出した。

帰国すれば、ピアニストの女性に猛アタック。演奏の出番がある高級ホテルに押し掛け、車で帰宅する彼女を見送り、自分は電車で東京の外れの団地に深夜帰宅した。

ついに結婚でき、冒頭のエピソードへ至る。仕事であれ恋愛であれ、目の前のことを本分として全うする。もちろん、創作も。

引用終わり

ここまでの感想

記事の見出しを読んだ時、おかしな話だな、と思った。

普通は、結婚して作家の夢をあきらめるものである。それが、幸せいっぱいな気分を浸っている時、なぜ未来の見えない暗闇の中に突っ込んでいこうと思うのだろう。ちょっとおかしいなと感じた。

この作家に興味を惹かれて調べてみた。Wikipediaによると、70歳の方でいくつもの賞を受賞されており、自分は知らなかったが有名な人のようだ。

記事によると、作家としてさらに進化されているそうで2013年に発表した「冬の旅」という作品は一つの転機になったそうだ。記事を書いた新聞記者はこの小説について「もはや作りものを超えた深い感動が繰り返し迫ってくる」と高く評価している。

作家本人は、「近代小説は人間の行動に動機があるのが前提です。それに反して、主人公の心理ではなく行動だけを追い、最後に人間になる様を書きました」、とある。

さて、ネットでさらに調べてみた。

以下のサイトから重要な部分だけを引用する。

辻原登(小説家)×池上冬樹(文芸評論家)対談より引用

http://www.sakuranbo.co.jp/livres/sugao/2016/01/post-60.html

「残酷な世界を描く芸術により、人は自分の奥に持っている深い闇と、真実を見ることができる。それによって人間は深まっていくのです」

聴衆との質疑応答への返答、途中から引用

みなさん自分の心の中に闇を持っているのではないでしょうか。深い闇を持っていると思う。われわれにはその深い闇を言語化したり、認識したりしない部分がいっぱいあります。

そういう、深い闇の世界にあるものは、他人事ではないと思うんです。

 平穏な善人の生活を送っていても、その人の心の中にある闇というのは、自分自身でもわからないくらいのものを抱えているわけで、つまりひとりの人間というのはそのくらい深い。

ものすごく深いんです。いい部分だけでできている人間というのは、逆にいうと浅いのであって、その深い部分を知らなくても済むんですけど、知ればまた違った世界が見えてくる。

それを見させてくれるのが芸術だとすれば、小説や映画といったものが、どうして人間の悪の部分を描かざるを得ないのか、わかるのでは。人間をいかに捉えるか、人間の深いところをいかに捉えるか、ということですね。

たとえば、質問されたあなたも、自分って本当にいけずやな、と思ったことはないですか。

質問者 

はい、すごくあります。実はこの質問をしたのも、人間ってすごく残酷で、どんなに悲惨な事件でも映画や小説の形になってしまえば、エンターテインメントとして楽しめてしまいますよね。結局、人間って残酷だなと思うし、自分自身に関しても、嫌な部分はいっぱいあると思います。

辻原 

映画だとか小説になると、そこにはフィクションとしての構成があって、建築物を見たりとか、音楽を聞いたりとかと同じような世界がありますね。そこでは、人間って嫌だなと思うよりも、人間ってすごいなということを感じますよね。

たとえばドストエフスキーの『罪と罰』も、残酷な人殺しの話なのに、なんで読むと感動するのか。それは、人間がふだん考えてもいないような深い闇と、それから真実があるからです。

真実というのは人間にとって心地よいものばかりではなく、つらい真実もあります。そういうものを、物語という形で見せてくれる。

それを見る、あるいは読むことによって、おそらくひとりの人間が深まっていくのです。中には、それを読んで逆に犯罪に走る人も出てくるかもしれない。

それは自由ですから。あなたの持つ、その疑問は正しいと思います。それは、文学の、あるいは芸術の芯の部分ですね。

引用終わり

感想

冒頭のシーンの心象風景をもう少し調べてみた。

この作家の場合、作家になりたいという夢を19歳の時に父親(社会党の代議士だったようだ)にルンペンになってしまうと反対されて心の中に封印してしたそうだ。

それ以来父親のすねをかじりながら放浪生活をしたりして生きていたそうだが、26歳のときに父親が死んでしまう。それで作家になりたいという夢を捨てて生きてみると、まるで憑き物が落ちたかのように生きるのが楽になったそうだ。

社会人となり仕事はハードだったそうだが、文学を捨てた身にとってはどんな生活でも楽だったと書いている。

そんな生活をしていて、結婚なんてできないだろうと思ってもいたそうだが、33歳か34歳の時に結婚できて暮らしているうちに「こんなに幸せでいいのだろうか」と感じるようになり、そして冒頭のシーンにあるように、そうだ「書こう、書きたい」という気持ちが出てきたと書いておられる。

結局、冒頭のシーンにある幸せすぎる自分について、作家の心境を深読みしてみると、本当の幸せではなかったのだろう。

前回の時間割引のように、今の幸せよりも10年後、20年後につかむ作家としての本当の幸せを追いかける事を決意したようだ。その時の幸福感は、経済的に安定しさらに家庭を持ったことによる生活基盤の安定感という意味だったのだろう。

そう考えると、自分がおかしいと思ったタイトル、「幸せすぎて書かねば」は、新聞記者が創作したものではないかと思う。作家自身は、「幸せな気分に浸っていてはいけない、今こそが作家としての本当の幸福をつかむ事のできるチャンスだ」というもっと切羽詰まったものだと考える方が正しいように思う。

結局、新聞記事は記者の創作を割り引いて考えるべきだというありふれた仮説が導かれるだけだった。だけど、それで興味をもって調べたので、きっかけを作ってくれたことに自分は感謝している。

さて、誰しも、人には言えない内なる自分を持っている。普段は、それが意識に上ることはないかもしれないが、何かの拍子に心の底から魂の叫ぶ声がふっふっと沸いてくるのを感じることが誰しもある。

それが野心とか夢であったり、または他人に対する冷酷や卑劣な思いかもしれない。

この作家の場合、自分の中にいる、もう一人の自分とは、「作家になろうと思っても作家になれなかった自分」なのだそうで、文学にはそれがとても大切であり、それを作品にしたのが2015年に出版した「Yの木」だそうだ。

昔、読んだエッセイで、もう亡くなった数学者が、「誰でも心の中には何匹もの小さな生物を飼っていて、それが増えたり減ったりしている」という事を書いていた事を思い出す。

小さな生物だったか虫だったか想い出せないが、自分はリンパ球のクローンが増えたり減ったりという現象と同じように考えている。

最後に、この作家の心の世界から何を学ぶべきなのだろうか。

自分もよく分からないのだが、忙しい日常の中にも、時に小説や映画などの作品を通して、内なる自分が語りかけてくる、もう一人の自分の声に耳を傾けなければならない、それが内なるもう一人の自分の声に気がつくきっかけとなり、自分がより深く豊かな人間と成長できるチャンスになるということなのだろうと考えている。

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