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FPと文学・エッセイ 〜是れ日々なり〜

ライフプラン、資産設計のほか、文学・社会・芸術・文化など気まぐれに日々、FPがつづるエッセイ。

「武蔵野夫人」はなぜ死を選んだか ~ 武蔵野「はけ」という所 

2014-07-02 10:04:07 | 文学・絵画・芸術

 ずっと前から、「武蔵野」という響きが好きだったし、気になっていた。武蔵野というのは、だいたいどのあたりを言うのか。それで、国木田独歩の『武蔵野』という小編を読んでみた。名品で格調がある。けれど、武蔵野がどのあたりか。東は吉祥寺・三鷹、南は調布・府中から北へ狭山まで広がる一帯、あるいはもっと広い地域を武蔵野台というらしいが、よくわからない。

 大岡昇平の『武蔵野夫人』では、小金井、国分寺あたりが小説の舞台となっている。そのある一帯を「はけ」(峡)というらしい。だいたい僕の生活圏と重なっていて興味がわき、読んでみた。僕がよく行った所も、どうやら「はけ」の一地域らしい。

 小説自体は、簡単に言えば姦通(古い表現)小説である。戦後の人妻と復員兵の幼馴染みの従姉弟同士が不倫する話だ。スタンダールの19世紀心理小説にならって、日本の小説でもその方法を試みたというが、あんまり人物と人物の内部にわたって心理を説明(分析)されるのも、途中からうっとうしくなる感じもした。とは言っても、リアリズム小説のように、こと細かく外部描写されるのだって読む気がしなくなるという人もいるかもしれない。

 そういえば、プルーストやサルトル、野間宏など、1人の人物の内部に入って意識の流れや、内的独白をしていく手法もかなりしつこいものだ。ただし、20世紀小説の場合は、人物の1人の中に入ると、その人物の内部から他の人物(外部)を見るという、サルトルの言う小説における「相対性理論」が守られており、それがたいして苦痛にはならないのだ。

 ところで主人公である人妻、道子はなぜ自殺したのか。夫も他人(知り合い)の妻と姦通していることを彼女は知っている。この小説の時代、姦通罪が廃止されたことをいいことに夫は、「結婚したからといってそれに縛られる必要はない、妻以外に好きな女ができたら妻を捨てて好きになった女と結婚すればいい」という考えである。それで知り合いの妻とセックスを重ねるが、いざ自分の妻道子が従弟の復員兵とできていると知ると動揺するようなスタンダールかぶれ(スタンダリアン)の学者なのだ。

 道子は道子で、年下の従弟、勉を愛してしまうが、古風で自制の強い道子は最後の最後のところで勉にセックス(姦通)させない。道子はそれを大切な「誓い」として、2人が一緒になるまで(すなわち死ぬまで)とっておこうと勉と誓い合う。一方で道子は、子のいない夫との生活を維持しようと思う。しかし、このような恋愛が続きようがないのを勉は分かっている。道子を大切に思うがゆえに勉は恋愛に苦しみ、道子の自殺を知った時、自分の性が狂いだす予感を抱いて小説は終わる。

 道子が自殺したのは、たとえ夫と別れて男と結ばれても、自分が育った「はけ」を離れなければならないからである。「はけ」というのは、小説の最初に詳しく書かれているが、これこそ「武蔵野」の特徴であって、中でも小金井、国分寺を中心として続く「崖線」(ガケ、クボミ)のことで、「国分寺崖線」と呼ばれている。

 国分寺には、殿ヶ谷戸庭園や「お鷹の道」と呼ばれる所がある。僕も近辺に住んでいるが、確かにこのあたりは崖が多いし、坂が多い。地形で見ても、野川という河川に沿って、ガクッと直角に崖が落ちている。しかも、迷路になっている。特に国分寺辺りは、碁盤目のように区画されていない。車で狭い坂をくねくね下っては行き止まり、突き当たると、バックではもう坂を戻れないところにはまる。歩いていても、「はけ」の上と下では、確かに格段の高さの違いがある。ただ、崖はあからさまではなく、崖沿いに線路が続いていたりする。「はけ」にはまた、庭園があり、寺や塔、神社があり、植物群があるので崖を感じない。

 このような独特な地域に父の代まで所有してきた土地と屋敷は、道子には生そのものだった。夫と別れて勉と一緒になろうにも、土地の権利を夫に抵当に入れられ、この「はけ」の家を捨てなければならない。それは勉と一緒に住むこととは「イコール」ではないのを知っている。だから道子は、勉との「誓い」(運命)を大事に抱いたまま、「はけ」の家で死ぬことを決意する。

 「はけ」はまた、澄んだ湧水の出る所である。崖の層の重なる所に雨水が貯まり、下層に浸透していくうちに浄化されて名水となる。崖と水、緑の翳りと小路、そして土地特有の家に生きる貞淑な女――。女にとって恋愛は「土地と家」から離されるべきものではないのだ。一方で、愛のない夫との生活においても土地と家に縛られて生きる。その葛藤が道子を死に追いやった。

 不倫とは、エマ(『ボヴァリー夫人』)にしろ、アンナ(『アンナ・カレーニナ』)にしろ、そして道子にしても、結末は同じように悲劇だが、その悲劇のありようがみな違う。



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