FPと文学・エッセイ 〜是れ日々なり〜

ライフプラン、資産設計のほか、文学・社会・芸術・文化など気まぐれに日々、FPがつづるエッセイ。

エル・グレコ『無原罪のお宿り』 ~ 俗なる聖画  

2013-02-11 19:24:07 | 文学・絵画・芸術

   エル・グレコ『無原罪のお宿り』

絵画を彫刻のように見るということは、ミケランジェロの頃からあったのだと思います。システィーナ礼拝堂天井画にある旧約聖書の物語は、地上から天井を見上げることを前提に、遠近法の画法などを使って描かれています。ですから、正面から見たら、人物の顔や身体のバランスが微妙に違うでしょう。

彫刻を見る楽しみというのは、天と地、上下左右360度から角度を変えながら見ることができるということです。歩きながら、回転しながら、徐々に、徐々にその対象が動いていくことが楽しく、生きているように思えてくるのです。

上下左右360度というわけにはいきませんが、このエル・グレコの『無原罪のお宿り』は、まさに彫刻のように見ることができる作品です。全長3.47メートル幅1.74メートル。これはサン・ニコラス教区聖堂の祭壇上に飾られた絵です。正面から見ると、「S」の字に異様に長くくねったマリアの姿があります。手前にはこれもよく見ると、腰から背中にかけて、体操の選手でもこのような体勢がとりづらいのではという異常な体の角度を持つ天使が浮上しています。

これは、下から見上げて拝むための効果、あるいは錯覚を計算して描かれたものです。実際、絵の下で、床に付くようにしゃがんで見上げている人もいましたし、私も最前列で絵の下端にくっつくようにして床から見上げてみました。おそらく、こんな鑑賞の仕方は、あまり褒められたものではないのでしょう。しかし、その方が、やはりこの絵の観方としては正しいのです。下から上へ、この絵画が圧縮されて、彫刻のように立体感を持ってくるのです。あの、くねったマリアの身体、細長いマリアの顔が、均整のとれた現実味を帯びたマリアに映しだされ、天使も自然な浮遊姿として映ってくるのです。けっして、紛(まが)い絵でもだまし絵でもありません。

グレコは、原色を使う画家です。黄色、緑、赤、青。イエスやマリヤ、使徒などの着るものは原色に近い色です。この時代の画家としては、それは珍しいことではないのでしょう。また、グレコの原色には濡れたしめやかさがあります。しっとり、霧にかかってきたばかりの輝きのようなもの。ただ、その描き方が原色と相まって、一歩間違えば現代風のイラストやCG風の挿絵レベルに落ちてしまいかねない「俗」さもあります。いわゆる「B級」というものです。ただ、その聖と俗の境目など紙一重ですし、その一重は観る者の資質に大きくかかわるものだと思います。観る者の精神が俗であれば、俗にしか見えないものです。

こちらの精神が、俗は俗でも、このエル・グレコの作品にはそれなりに魅了されました。彫刻作品のように見上げて鑑賞する作品は、そうそうあるものではないでしょう。会場の売店で買ってきた絵葉書の『無原罪のお宿り』を、下端から角度を付けずに上端へと眼を透かして見ると、しゃがんで見上げた時の感覚が再現されて、家に帰ってもけっこう楽しんでいました。