『アナと雪の女王』が大ヒットしている(『アナと雪の女王』 雪と氷の世界へ ~ 愛の訣別と氷解)。このアニメ映画の少し前にディズニー長編アニメ50作目の『塔の上のラプンツェル』(原題: Tangled)が公開されている(2011年)。
この作品の魅力は、何と言っても美少女ラプンツェルの長い髪だ。顔の表情も可愛いし、一瞬ごとに実物の人間の表情と同じように変化する目や口の動きが素晴らしい。この技術は、『アナと雪の女王』に引き継がれ、進化している。長い髪の少女の原型はグリム童話にあるが、髪の魅力を映像の中心に持ってきているのは、ディズニー(ピクサー)のロマンティシズムとリアリズムの結晶だと思う。
20メートル以上もあると思われるラプンツェルの髪は、ひと筋ひと筋の流れや質感、輝きが現実以上に映し出されている。実物であれば、それほど長いと床や地面を引きずってしまい、埃まみれ、傷ついて枝毛だらけになってしまうだろうが、小荷物のように自分の髪を丸めて運んだり、タオルのように水を絞ったり、綱や毛布の代わりにしたりして、そんな恰好のコミカルさがこの映画の最大の魅力となっている。それに、ブロンドに輝く美しい髪そのものが、ストーリー以外のところで十分楽しませてくれる。
女性の髪は、日本でも昔から「カミ=神」と言われるくらい神聖なものであったし、めったに切るものではなかった。といっても、毛髪はどんなに伸ばしっぱなしにしても、人の背丈より長くなると自然に抜け落ちるので、ラプンツェルのように異常なほど伸びることはない。20メートルもの髪の長さにしたのは、恋と冒険ファンタジーにしたてる重要なファクターとして必要だったからで、それだけに実物以上に描こうというアーティストの魂もあったのだろう。
男が女の髪の美しさに魅力(一種のエロス)を感じるのは人間共通の潜在意識で、ユングの「元型」(アーキタイプ)とも言えるものだろう。美少女、長い髪、恋、魔法、魔女(悪魔)、王子と姫、こびとや妖精、城、森など、世界のどの人間もが持つ「集合的無意識」で、愛と夢のファンタジーに欠かせない重要なタームである。特に男にとって女の美しく長い髪は、ユングの「集合的無意識」として見ると、単なる美意識ではなく、セクシャルな意識を伴う。セクシャルなもの(エロス)は時にして、「魔力」を持つ。長い髪はそれだけ神秘で不思議な力を感じるものである。童話の世界にはそうした集合的無意識が隠されている。
ラプンツェルの髪には魔力が宿っている。髪を切った途端に輝きを失い、不思議な力は失せてしまう。ラプンツェルの髪の魔力によって永遠の若さで生き永らえてきた母代りの魔女、彼女に「囚われ」の身となっていたと悟ったラプンツェルが「囚われ」から自由になるためには、自分の髪を切り落とさなければならない。呪縛の運命を断ち切ることが自由と愛を得る、その代償が長い髪を切ることなのだ。それゆえ、「恋人」の盗賊に肩から先の髪を切り落とされてしまう。ブロンドの髪はたちまち褐色に変わり、髪の魔力はなくなり、若い命から生命力を吸い取っていた魔女の命は萎み、息絶える。
結局、魔女に命を奪われた恋人を蘇生させたのは髪の力ではなく、愛に目覚めたラプンツェルの涙であった。それは同時に髪の魔力から解き放たれた瞬間でもある(魔力から解き放たれる愛、このへんは、『アナと雪の女王』に共通するテーマ)。しかし、映画の魅力はこの時点で薄れてしまう。あとは、若い2人の結婚で幸福な終末を迎えることになる。ショートヘアのラプンツェルも可愛いらしく感じる人もいるだろうが、作品としての魅力はここで終わる。美と魔法と自由と冒険と愛、これらが「髪」を象徴として「絡み合った」(tangled)作品である。