goo blog サービス終了のお知らせ 

FPと文学・エッセイ 〜是れ日々なり〜

ライフプラン、資産設計のほか、文学・社会・芸術・文化など気まぐれに日々、FPがつづるエッセイ。

猪瀬直樹氏 ~ 作家と政治家、その権力と凋落

2013-12-23 02:36:52 | 政治・社会・歴史

 猪瀬直樹氏の著作を最初に読んだのは、『ミカドの肖像』だったと思う。もうずいぶん前だが、「ミカド」(帝=天皇)という言葉に惹かれて読んだ。この著作については内容を忘れてしまったが、かなり知的好奇心を刺激されたのを覚えている。続いて、『天皇の影法師』も興味深く読んだ。

 最近(2~3年前)では、『作家の誕生』という新書を読んだ。月並みの作家論ではなく、文章の裏に膨大な資料読みがあることが窺われた。まちがいなく猪瀬氏は、ものを書く者にとっての1つの方向性を示してくれる作家だった。「だった」という過去ではなく、現在もそういう作家だと思う。だから、と言うとおかしいかもしれないが、猪瀬氏は「政治家」ではない。それゆえ、「傲慢に」権力を振りかざさなければ都政もうまくいかなかったのだろう。

 また、自分自身が「政治家としてアマチュアだった」から、今回のような失敗をし、醜態をさらしてしまったと言いたかったのではないか(辞任記者会見で)。僕は、アマチュア政治家だったなら、「5000万円借入れ」が発覚した時点で、すぐに都知事を辞めてほしかった。政治家として不慣れ(ずる賢いプロではない)なので、こんな重大なミスを犯してしまった、ごめんなさいと言ってさっさと辞めれば、こんなに本人も傷つかなかったろうし、都民、国民も政治的な迷惑を被らなかった(都政が一時的に滞ったという意味で)。

 仮に作家としての力と、政治家としての力が別物であるならば、すっぱり「腐れ」を切り離して(5000万円の説明責任は残るが)、作家活動に戻れば、猪瀬氏の今後はこれほどまでに悲惨にはならなかったように思う。「作家力」と「政治家力」を本当に区別できるかどうかというと、これはなかなか難しい問題ではある。真実を見極めてそれを追求し、行動することは、本来どちらにも共通するものであるはずだ。作家、政治家どちらかにとって、真実を見なくてよいというわけにはいかない。結局は、小手先の「力」ではなく、その人の人間性の「力」によるものだ。

 今となっては、猪瀬氏の著作がどこまで真実に基づくものなのか、文章の言葉の端々が怪しくなってしまう。そうなると、過去の著作も、これから書かれるであろう著作も、どれだけの人が読んでくれるかどうかもわからなくなる。猪瀬氏の場合は、虚構(フィクション)を書く作家ではなく、事実(ノンフィクション)を書く作家なのでなおさらである。そういう意味では、同じ作家でもこれまでの作家知事(青島氏、田中氏、石原氏など)のように小説家であるほうがまだ、フィクションという逃げ道があったように思える(何か不正を犯していたのでは?という意味ではなく)。

 猪瀬氏は当面、「5000万円」の真実を赤裸々に公表することで、かろうじて作家としての道をつなげられるのではないだろうか。僕は、猪瀬氏のノンフィクション作家、ジャーナリストとしての能力はすごいものだと今でも思っている。だからこそ、今度のことは残念でならない。作家はしょせん政治家なんぞには向いてないと世間に思わせてしまったこと(本当は個人の資質の問題だが)、著作に書いてあることなど結局は綺麗ごとの正論ぶったものでしかないと読者に思わせてしまうこと(本来、著作物は著者と切り離して評価すべきだが)、こうしたことが僕をすごく落胆させた。

 僕は、猪瀬直樹という作家がこういう形で今まで生み出してきた著作を無とし、作家活動を終わらせるのではなく(猪瀬氏自身、作家として再スタートすると言っている)、もう一度知的興奮を与えてくれる著作を書いてほしいと切に願っている。それが、作家を目指す者たちへの1つの道しるべになるならば。