悪童が帰ってきた。
それでも、みんな何かを期待して観ていた。出る前は、さんざん、ぼろかすに言われ、中日まで勝ち続けても、「最後はバテる」、「優勝の顔じゃないよ」、と書かれ、決戦を前にしても、「やっぱ体力と自力で負けるな」と言われ続ける。それでいて、みんな何かを期待していた。そして、勝った。優勝。腕白、がむしゃら横綱が戻ってきたのだ。土俵中央、両手で派手なガッツポーズ――。
ここで、ほんとうは座布団が乱れ飛んでほしかったのですが、一、二枚だけ、当てがはずれたように朝青龍の顔をかすめてふわふわと飛来した程度でした。最近は、大ぶりの座布団を升席の縁にくくりつけて、はずして投げ飛ばさないようにしたということを新聞で読んだ気がします。私は千秋楽以外、時間的に大相撲を実況で観ることができなかったので分かりませんが、ほんとうに座布団は飛ばなくなったのでしょうか。もしそうなら、武蔵川理事長というのは、なんとも酔狂のない人間だと、半分腹を立てて思います。(あとの半分は、飛んでくる座布団によるけがの予防対策ということですから、やむをえませんが・・・。)それに、優勝後日、「土俵上のガッツポーズ」に厳重注意をしたとか。理事長としては、立場上、厳重注意をせざるをえない「建前上のポーズ」が必要だったと言ったら穿っていますか? なにしろ、相撲は「神事」なのですから。
神も歓喜するような出来事が起きた時は、人間は踊り狂ってもいいではないですか。神も酒に酔い、歌い、踊る、それが洋の東西、神話にも出ています。土俵は、神のいる場、なおさら一瞬の祭に酔いしれればいい。
それにしても、朝青龍という相撲取りは憎めない。やたらガキっぽくて、それでいて妙に大人ぶっている。ふてぶてしい、しかし、いつまでも子どもごっこをしている。理事長に諌められても、マスコミにたたかれても、うつむきながら舌を出して、にやりとしているのでしょう。
相撲は神だ、神だ、と言う相撲協会。神事が先か、勝負が先か。神事が先ならあそこまで勝負に沸くか、勝ち負けにこだわるか。それこそ人間のどろ臭いお金が乱れ飛ぶ八百長相撲の噂はどこへ飛んでいったのか。稽古で弟子をかわいがり殺して踊りまくる暴力はどこへ行ったのか。薬物で土俵の塩を汚染する力はどこへ・・・。土俵の外で闇の力が乱れ飛ぶより、土俵上で座布団の花が舞い飛ぶほうがよほどいい。