これは男同士の愛の物語だ。放牧の仕事で出会った若者二人が恋に落ち、それぞれが家庭を持つようになっても人目を忍んで互いを求め合うのである。それを観て「道ならぬ恋に落ちた者はツラいよね」と共感するか、「あれじゃ奥さんや子どもが可哀想」と思うかは、観る者がどういう立場にいるのか(男なのか女なのか、既婚なのか未婚なのか、同性愛者か否か、自分の現状に満足しているか、などなど)によって変わってくるだろう。僕としては、「けっこう好き勝手やってんじゃん」と思った、ってのが正直な気持ちだ。だってさ、年に数日とはいえ、二人きりで風光明媚な山奥で過ごしてるんだよ? もちろん、相思相愛。もっともっと愛に恵まれていない連中に比べたら、この二人はめちゃめちゃ幸せ者じゃん。
それはともかく、この映画が物足りなさを感じさせるのは、「アメリカの田舎じゃ同性愛者は迫害を受ける」という事実が明確に提示されているにも関わらず、主人公たちは最後まで迫害を受けたりしないことだ。せいぜい雇用主から蔑まれる程度。なんか肩透かしを喰らったような気分になっちまったなぁ。しかも、「死」が唐突すぎ。いや、現実の世の中ではそんなもんかもしれないけどさ、映画の話法としてはどうよ。
とはいえ、決して悪い映画じゃない。しがらみに縛られた主人公たちが窮屈そうな日々を過ごす姿には共感を抱いたし、映像も美しい。金を払って観るに値する作品だとは思う。
さて、ここからが本題。この映画を観ていて僕が驚いたのは、二人が初めて愛を交わす……というか、性交する場面だ。なんとジェイク・ギレンホールの方が、ヒース・レンジャーに背を向けるのだ。背を向けるってことは、つまり尻を向けるってことね。要するに、ジェイクはヒースに「入れてくれ」と求めているわけだ。そ、そういうもんなの?
キャラ的に見たら逆のような気がするけど、それはまあいい。問題は、こういう場合、どっちがどっちの役割(と呼ぶべき?)を担うのかをどうやって決めているのか、ということだ。これが男と女から、役割ははっきりしている。しかし男と男の場合は、どっちが……う~ん、どういう表現をしようか。えっと、どっちが凸でどっちが凹なのかを、二人の間で決めなきゃならないわけでしょ? どうやって決めるものなの? 本能的に察するんだろうか? すんません、ものすごくお下劣な話で。でも、それがこの映画で一番気になったことなのよぉ。
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