◆優秀な人材を得たいと思ったら、その人だけでなく親と家柄を見るべき
優秀な人材が取れないんですよ~ とぼやく人事の人とか、優秀な部下がほしい上司である立場の人に向けて
優秀な人材がほしい というが、優秀とはなんだろうか? それによって着眼点が異なるだろう。 自分にとって優秀な人を定義できない場合論外だが、定義できたとして、どうすればその特性を有する人に高確率で出会えるか? は難しい問題だろう。 これがヒントになるかはわからないが、2点、思うところを書いておこう。 あまり、こういう観点で見る人はいないのではないかな。
ここでは優秀=賢い 優秀=性格の良さ の2面で考えてみよう。
賢いとは、単に知識がある ではない。
知識を得る方法を知っている(ので、自働的に成長できる)、
知識の使い方を知っている(鋏は使い方次第)
性格の良さとは、単に明るいとかではなく
他人への配慮、協調性、指導力など
人の集団=組織に対しその人が及ぼす影響の大きさと方向性である
まず、賢い から見ていこう
「親の顔が見たい」という表現があるが、この逆である。
「この親にして、この子あり」と言われる。そういった考え方が良い人材の獲得には必要だろう。
なぜそうかと言えば、賢い親の形質は子に継承されるからである。
これは遺伝的な要素があるからというわけではたぶんないだろうと思う。
親の教育の仕方の問題である。
なぜ賢い親の子は賢くなるか? それはこういうことだ
賢い(優秀な)親は、自身が優秀であるがゆえに優秀とはなにかを知っている
同時に優秀な人は自身の欠点・限界も知っている。(無知の知)
だから、賢い人材がほしいなら、その人自身だけでなく、その親の立ち位置(社会的な地位)や人生の成果を合わせてみるといい。 そうすれば望外の良い人材が得られる可能性が上がる。
次に、性格の良さを見ていこう
家柄の良い人ほど性格が良い可能性がある。
性格の良さ、自身以外への協調や貢献という姿勢を重視するなら、生まれが良い人を得ると良いだろう。
これは、家柄が良いという事=上流階級の生まれの人は、生まれながらにして、はじめから、社会の頂点近くにいる。 その地位を他人を押し退けて得たわけではない。 故に他人を押し退けるという発想には乏しい。 成り上がりの人は現在の地位を自身の努力で得ているために上流階級から見ればがさつさが目立つ。
また、上流階級の人にはそれ以外(中流以下)の人々のために貢献すべき、施しをすべしという考え方を持っている。 富めるものは貧者に施しを という価値観があるということである。 このような価値観のなかで育つと当然ながら、回りの人々に対して(上からの目線かもしれないが)貢献してくれる性格が育まれる。
他人への配慮に限れば、幼少時代の家庭環境が円満か否かだけでも性格の良し悪しは予測できると思うかもしれないが、上流階級の人が生まれながらにして教えられている要素に「指導力」というものがある。
これは、上流階級とははじめから指導階級であるためである。 国家や組織のあるべき姿を決めてそれを実現するために、下々を導く事が責務であると知らぬうちから刷り込まれているため、自然と常に他者を指導する思考が訓練される。
この点まで視野にいれるなら、成長時の家庭環境という1代限りの視野ではなく、もっと長い視野で人材を見る方がいいだろう。
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