トモ楽考

魂に尋ねる旅日記。
社会の出来事、アクエリアス時代考察、占星学、古代史、秀真伝、波動・予防医学、チューナー音叉.etc

秀真伝二綾①

2022-02-14 03:49:26 | 日記
秀真伝 御機の二



二綾は私たち全ての成り立ちのところで、感心深く系譜も氣になるところだ。

大元の根源の張り詰めた二次元に観測する意識が入り素粒子が出てくる。そこから天と地ができた。

唸る二次元とは、愛と平等と博愛。
横に広がる私達の故郷だ。

そして、私達は故郷に帰るまで変化し続けるのだ。





神代(八代)、天照大御神。
伊弉諾尊と伊弉冉尊の子供。
生まれた時は大日霊杵(うひるぎ)という名前。

東宮忍仁尊(をしひと)とは、神代(九代)天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)で、母は瀬織津姫。

高木命(万麿命)は高杵尊の嫡男とあるので、今回の栲機千乳姫の兄弟。


………………



天神七代夜床の紋(現代誤訳)
あめななよとこみきのあや




この時は 〈1〉東宮忍仁尊(をしひとのみこと)と栲機千乳姫(たくはたちぢひめ)の 〈2〉婚礼の前なり。

〈3〉高木命が、天照大神に 〈4〉床酒(とこみき)の由来について請う(こう)時、天照大神の教え給うなり。



……

〈1〉「忍仁尊」天照大神の世嗣皇子、天之忍穂耳の諱(いみな)である。
御母は中宮瀬織津姫穂乃子。

〈2〉「婚姻前」(とつぎまえ)天之忍穂耳尊と栲機千乳姫との結婚前。千乳姫は、第七世高皇産霊尊の女(むすめ)。

〈3〉「高木命」第七世高皇産霊尊の高杵尊の嫡男、万麿命のこと。

〈4〉「床酒」調盋(ちょうさん)の儀ともいう。婚礼の三三九酌(ど)のこと。
……




「太古天地未だ別れず、〈5〉渾埿(あわうび)の極なく漸く牙を(ようやくきざしを)生じて、二つに分離し 〈6〉渾埿(あわうび)は陰陽をなす。
渾(あわ)は清く軽く外に昇りて天(あま)と成り、陽(お)の勢心は日輪と成る。
埿(うび)は重く濁り中に凝りて地(つち)と成り、陰の伊霊は月輪と成る。

……
〈5〉「天土渾埿(あまつちうび)の極なきに」天地が未だ分離せず、渾然一体(こんぜんいったい)の時をいう。

〈6〉「渾埿(あう)の陰陽(めお)」
は渾(あわ)、 は埿(うび)の略したもので、渾(あわ)は陽(お)を、埿(うび)は陰(め)の牙を含む。

……



然して(しかして)後に第一神明が生まれ国常立尊(くにとこたち)と号す。
この神は〈7〉 常世の道を立てて、教え治む故に国を常世の国と称すなり。

この神は 〈8〉八子(やつご)を産みて民を治む道を授けた後に、地球八面に遣わしてその国を治めしむ。
これ国君(くにぎみ)の初めなり。

……

〈7〉「常世国」三輪容聰訳に「第一神明を国常立尊と号し、常世立つの道を似って治む故に、その国を常世国と名付く」とある。常世は常に変わらぬこと。永久不変であること。常世国とは地球八面(やおもて)をさす。

〈8〉「八面八降りの御子生みて」
国常立尊は、常世の道を立てた後に、トホカミヱヒタメの八神を生み、地球八面を天降らせて、その国々を治めしむる。これが君主の始めで、我が国は、「暏(ト)と柍(え)」の国狭土尊、崑崙(こんろん)の国は「カ」の国狭土尊と名付く。

……



第二代の嗣子を国狭土尊(くにさづちのみこと)と号す。
この神は〈9〉狭霧(さぎり)の道を受けざる故に、狭土を以って(とうばって)国を治むなり。
この八神を合わせ祭りて天(あめ)の八降神(やくだりのかみ)と称すなり。
八神は各々御子(おのおのみこ)を五人生む。
第三代目の嗣子は豊国主尊と号す。
国を治むるに、君・臣・民の三行に分かち、 〈10〉天成神道(あまなるかみのみち)を以って(とうばって)農・工・商の業を分かつ。故に天の三行の神とも称すなり。
この神は各々百二十人の御子を生む。
天成神道は自ずから成るが陰神はまだ出現せず。治世三代の暦を経るなり。


……

〈9〉「狭霧の道をうけざれば狭土に治む」
第二世を国狭土尊と号し、狭霧の道を天より授けられなかったので、狭土即ち農耕を教えて国を治められたと考える。
⚫神戴山書記高天原成紋(ミカサフミ)に「天譲る日は天の狭霧、国譲る月地の狭霧、出れば讚ゆる御中主尊、天霧に乗りて八面に行き、日月の道を譲り」とある。以上から推考するに、狭霧の道とは、宇宙雄神(うつろい)を馬とし、級長戸辺神(ひばたまのかみ)を轡(くつわ)と、光を鞭(むち)として空中を飛翔して、地球八面に万物を生み治む力をいうと思う。第二世は、この狭霧の道を天神より授けられず、よって農耕を似って(とうばって)葵生に教え治められたものと考えられる。



〈10〉 「天より三つの業を分け」
小笠原長武訳には「第三世を豊国主と号す。天成神道を以って農・工・商の号を分つ故に、天の三行の神とも称す」とある。




見聞録 鬼と桃

2022-02-09 05:37:44 | 日記
「鬼は外、福は内」

鬼は和爾氏、福は徐福で内は武内宿禰ではないかと聞いて驚いた。

武内宿禰の「武」や「建」と云うのは修飾語で名前ではなく美称。


古代史を語る人達は、とにかく内側が熱く面白い。
知識は意識と言えるからか、とても穏やかだ。

むかし独身の頃、徐福継承の職場に長く勤めていたことがあったのだが、近年、ようやくルーツ感覚が芽生えてきて熱くなる。

古代史から未来が見えて来そうだ。


「徐福」の話は、「徐福」を筆頭に「モン族(モンの部、物部)の青少年」の移民船だったのか?

不老不死と若返りの妙薬を捜しに蓬莱山を目指す。

太秦の「ウズ」は「光」、「マサ」は、「たまもの」という意味があり、メシアの意味もあるのだとか。


桃は不老不死、若返りと関係するのか!?

「岡山県立美術館所蔵」の江戸時代頃の桃太郎絵巻では、
桃を食べた老夫婦が不老長寿となる桃を食べて若返り、故に桃太郎を授かった筋書きになっているらしい。

陰陽五行説からの節句、
3月3日は桃の花を飾ると、一綾にも書かれている。

桃に限らず、果物全般に多糖類が殆どであり、腸内細菌叢を元氣にする食べ物という事は間違いない。
そして桃は特に女性に良さそうだ。

子供の頃は熊野地方では桃畑が庭にあったが、今は有難いことにスペイン産が美味しい。



二紋に進もうとしたが、かなり難しい紋だと分かり一番大事で興味深い内容だ。
その二綾の難しいところの説明書きだけでも記して置きたいと思った。


睡眠が魂にとっての蘇りらしい。

そして、
魂は全てを知っているのだから…。




…………

(9)「狭霧の道をうけざれば狭土に治む」

第二世を国狭土尊と号し、狭霧の道を天より授けられなかったので、狭土即ち農耕を教えて国を治められたと考える。

神戴山書記高天原成紋(ミカサフミ)に「天譲る日は天の狭霧、国譲る月地の狭霧、出れば讚ゆる御中主尊、天霧に乗りて八面に行き、日月の道を譲り」とある。以上から推考するに、狭霧の道とは、宇宙雄神(うつろい)を馬とし、級長戸辺神(ひばたまのかみ)を轡(くつわ)と、光を鞭(むち)として空中を飛翔して、地球八面に万物を生み治む力をいうと思う。第二世は、この狭霧の道を天神より授けられず、よって農耕を似って(とうばって)葵生に教え治められたものと考えられる。


2022/02/04 秀真伝一綾⑤

2022-02-04 03:15:20 | 日記
秀真伝 御機の初




日本に長く帰っていないのだが、
(たった2年)

時間の感覚はどんどんなくなっている。

過去や遠くを偲ぶ時、
逆に時間が流れているようだ。

意識の中では、未来も過去も今で、
時間はない。

そういう世界に私たちは生きているのではないか。

皆が自由に描いて生きれば良いのだろう。


先日は、少しだけ驚いた。
天蓋は瀬織津姫なのか。
私達の空の上は、水で覆われているのかもしれない。
実証している動画を見た。

嵐だったのか、稲妻の光の後に、

天空の高い位置で光に反射した大きな水しぶきが綺麗に見えたのだ。

フラットな時代へ。






天照大神の和歌や阿倭歌は三十一字。
払い除く歌は三十二文字。






六、和歌の宇宙的原理



祓いに使用せる玄参(をしぐさ)は烏羽玉色をなし、園花の色は白蠟色(はくろういろ)で曙とし夜明けに配す。烏葉は赤色 斑(まだら)をなし日の出に配す。

日扇(ひあうぎ)と名付け実を烏羽玉(うばたま)と称す。これを模して桧の板を持って扇を作り、国を守護する人は常にこの日扇を持つなり。

教えを説くにその道を忘るること無きよう、烏扇型(からすあうぎがた)を表して末広の扇を作るなり。


烏羽は十二葉ありて月に配し、日扇(ひあうぎ)は阿倭歌の四十八葉に配す。
また三十二葉は尽く(ことごとく)祓う教草(おしえぐさ)にして、その徳を忘ることのなからんためなり。

或る日、花杵尊(はなきねのみこと)(素戔嗚尊)は姉の下照姫(若姫)に問う。

「歌は五言と七言を綴るは何故なるや」。
姉姫の答えて「これは阿倭の歌の音の節なり」と曰す。

また花杵尊の問う
「祓いの歌は三十二言なるに、今三十一言に定まるは何故なるや」と。

姉姫答えて
「太古天神(いにしえあまかみ)は天周の度数を算え(かぞえ)、三百六十五と定なり。
これを上・中・下に分ける時、三十余りの一となれり。しかし、一月をみれば二十九余りなり。
これは月の遅く巡るに因る(よる)。
故に三十一を本数に定むなり。
季節によりては、前後の半日を
〈算え合わせれば三十二日となれり〉

この故に邪神のその日間(ひま)を窺いて(うかがいて)障害をなし、病を発し、蝗虫(いなむし)を生じ、葵生を障害する故に余声を詠うなり」。

人は敷島の上に生まれ、その日より三十一日に至ると産土神(うぶすながみ)に詣でその恩を謝す。

女子は魔を恐れる故に、三十二日に至りて産土神に詣で恩を謝す。
これは地神に感応するためなり。
故に和歌の音数と同じ故に、四季島の和歌の道と称するなり。

※「地球の公転」地球の公転が、太陽を1つの焦点とする楕円軌道であるため、地球からみた太陽の黄道上での移動速度が一定ではない。30度の角度を回るのは、冬は短く30日弱で、夏は31日強となる。
一年365日を12出割れば30日強なので、平均31日に及ぶ。
短い冬などは30日足らずで、多い時は32日にかかる。
また天球の動きからみると、一日につき太陽は、汚穢物黄道上を約一度遅れることになるが、月は平均約13度白道上を遅れていくことになり、27と1/3で天球を一廻りする。



早いもので、次は二綾へ。
とても楽しみだ。

秀真伝一綾④

2022-02-01 03:35:00 | 日記
今日は春節であり新月。

はっきりと年齢は覚えられないが今日が誕生日だと言うことだけは覚えている。
聞いた話では、元日に大祓の掃除をする習わしがあったのだとか。

ふと、年越しそばを食べ忘れた事を思い出す。

新月に切った竹は長持ちし、作物も月読で美味しくなるようだ。


若姫の廻歌は今日の春節のようだ。

金折命が聞いた天照大神の廻歌を2度読み、はたと驚いた。

感慨無量になる歌だった。




5、廻歌(まわりうた)


若姫の神 (昼子姫) は玉津の紃使阿智彦命 (おしかあちひこ) に恋焦がれて、和歌を詠み短冊 (うたみ) に書き(そめ)、思い兼ねて直接、阿智彦命に勧むなり。
阿智彦命 (思兼命) は、短冊を何気なく手に取りみれば、

紀志伊(きしゐ)こそ つまをみぎわに
ことの音の とこにわきみを
待つぞこひしき

( 紀志伊こそ 妻をみぎわに
琴の音の 床には君を
待つぞ恋しき)


阿智彦命の思うに媒酌人(ばいしゃくにん)の無くて、婚姻を結ぶということは、道に反き(そむき)適わぬことなり。


この歌を若姫の神に返さねばならぬ。
先ず高天原に帰りて諸神の評決を受けんと決心す。若姫の神には「言の葉の無きまゝ暫く待ち給え。我高天原の宮に帰りて後に、報言いたさん」と曰すなり。


阿智彦命は、こな短冊を持ちて高天原に帰り、天照大神の御前に出でて諸神に問う。

時に金折命の申すに「この歌は返すことのならぬ廻歌(まわりうた)なり。我昔天照大神の行幸の船に乗りて御伴をなす。

その時風激しく吹き大波の立ちて船の進行を阻む故、大波の打ち返さじと廻歌を詠むなり。


ながき夜の とほのねふりの
みな目覚め なみ乗りふねの
おとのよきかな

( 長き夜の 遠の眠りの
皆目覚め 波乗り船の
音の良きかな)


と、詠えば(うたえば)暴風止み船は快く阿波の港に着けり。
若姫の神の歌も、姫の恋情(こいみやび)を返さすことならぬ歌なり」と奏すなり。


【「44恋情を返さじと」には、幾通りかの意味があるが、この場合は、昼子姫の恋情を返させまいとする意。】


時に天照大神の勅宣(みことのり)を受けて、金折命は船と共に和歌の国に至り、昼子姫と阿智彦命の婚礼の儀を整えり。

昼子姫のと阿智彦命は、天晴れて夫婦となれり。昼子姫は結婚の後 安河の宮に居まして、下照姫と称し民に蝗虫祓いの歌を教え給うなり。


【 「喜びかえす紀志伊国」蝗虫が西の海に飛び去り、稲の若返る故、紀志伊国の諸民は大いに喜び、天日の前宮と、玉津宮を造り、これを奉る。中宮は天日の前宮を国懸宮と名を変え、暫くこの宮に入ります】