味スタ満員化計画

FC東京ービッグクラブへの道

原さん死すとも攻撃サッカーは死なず

2008年02月20日 | ビッグクラブへの道
いや、お元気に生きておられますけど(笑)。

昨年の不振を全部原さんに押し付けてるだけでは
クラブとしての進歩がまったくありません。
ですので、昨年までの原さんのサッカーを振り返ってみたいと思います。

以前の雑誌記事を切り抜き、ファイルしてあるのですが、
Numberの記事を改めて読みかえしますと、
原さん、いい監督だったなぁ、やっぱり。と思います。
03年の記事です。

03年と言えば、
セカンドステージ第12節で2位に浮上、優勝の目が出てきたところで
アウェーガンバ大阪戦で、怒涛の攻撃をしたのにもかかわらず、
ガンバGK松代がスーパーセーブを連発、
0対1で負けてしまって優勝も逃す…そんなシーズンでした。
松代?マツダイ?マツシロ?いえ、マツヨと読みます(笑)。
鬼人の如きスーパーセーブは、
当時東京サポーターの胸に「マツヨ」の読み方とともに
苦い、そして優勝の夢を一瞬で見られた甘い記憶とともに
刻まれたのでした。
よもや、お忘れじゃないでしょうね。

03年と言えばレアルマドリーと戦ったシーズンでもあります。
つづく04年、ナビスコ優勝へと続く、伏線となったシーズンでもありました。
03年の優勝争い、銀河系軍団との戦いなくして、
翌年の初タイトルはありませんでした。

原さんの東京は、この03年と04年がもっとも強く、
もっとも楽しく、夢にあふれていたように思います。
とにかくわかりやすい。
03年前期、失点はリーグ最小、得点もリーグ最少。
その反省から後期は得点がリーグ最高、だったと記憶する。
だがそのぶん失点も増えるという(笑)。

とにかく、相手がどこだろうが、自分たちのサッカーを変えない。
3バックが主流の当時、頑なに4-2-3-1。
強豪と呼ばれるチームが、東京のサイドをケアするために、
自らのスタイルを捨て、4バックにしてくる様は、
見ていて気持ち良かった。
どんなに順位が上でも、実績があっても、
東京が相手の時はリアクションサッカーをしてくる、
せざるを得ない。この優越感は、気分が良かった。
当時のジュビロがカウンター狙いしてくるなんて、
それだけでワクワクしていた。負けたけど(笑)。

原さんは、なんだかんだ言ってカリスマなんだと思う。
「ガンガンいくよ」って、監督の言葉としてはよくわからん(笑)。
もっとこう、具体的に説明して欲しいんですけど…とは思いつつ、
そのヒラメキがハマれば強い。その分余計に面白い。
カウンターサッカーして、それで勝っても面白い?
ジュビロに負けても、僕らの口から、そんな負け惜しみが出るくらいの
「攻撃サッカー」って色が、確かにあの頃の東京にはあった。

一番のヒラメキは石川じゃないでしょうか?
マリノスでくすぶってた石川に、
「ウチに来れば、すぐに出しちゃうよ~」と誘い、
本当に来ちゃう石川と、本当に出しちゃう原さん。
石川のデビューとなった、駒沢でのナビスコ清水戦は
今でも僕の、ベストマッチのひとつです。

自由奔放で破天荒なサッカーは、
04年ナビスコ決勝で、ジャーンが退場になって10人になっても、
戸田を下げずに前から「ガンガンいく」サッカーを維持したことで、
優勝と言う実を結んだ。
もし戸田を下げていれば、
対峙する山田にサイドを制圧され、
延長に突入することなく終わっていたかもしれない。
最後まで「ガンガンいく」ことで、東京の色は
PK戦まで褪せることがなかった。

誰が168cmの藤山をセンターバックに据えるか。
高校生だった梶山とチャンを同時に使うか。
特別指定選手で来てる大学生徳永を、
日本代表加地のかわりに試合に出すか。
そういう原さんのヒラメキは、そのまま東京の面白さだった。
昨シーズン、初戦にルーキー吉本を抜擢したが、
このヒラメキは凶と出た。
以後出始めて消えることのなかった原さんの迷いがふっきれることは
ついに最後までなかったように思う。
03年04年と光り輝いた東京の色は、
再び輝きを取り戻すには至らなかった。
ただのにぶい青赤でしかなかった。

温故知新。古きをたずねて新しきを知る。
と言っても、そんなに昔じゃないですね(笑)。
と言うことは、
たかが2,3年前が昔と言われてしまうほど、
東京は猛スピードで進歩している、と言うことです。
自分たちの進歩を信じましょう。

トキオ


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