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私の断捨離 

2021-08-26 12:44:39 | 会員ひろば

                    板野地区  藤田芳夫 

 断捨離とは不要な物を減らし、生活に調和をもたらそうとする思想で、不要な物を断ち、捨て、物への執着から離れる「片付け論」の一つであり、今の自分にとって必要かどうかを考え、自分の価値観や暮らし方について見つめ直すことだそうです。

 私は約十年前、それまで思ってもみなかった病になりました。直ちに命の危険はなかったのですが、少し落ち着いたとき、果たして自分は後何年生きられるのだろうかと思うようになり、終活という言葉が頭を過るようになりました。

 自分の財産などは微々たるもので、後に迷惑をかけそうにもないので、それを考えるより、今まで処分することが出来なかった「持ち物」を捨て、身辺を綺麗にしてはどうかと考えました。程なく両親が逝き多量の物が残り、その殆どが不要な物で、処分に苦労しました。

 自分はそうしないつもりで、まず何が不要な物かを考えました。「今後使うかどうか」「子供たちは必要とするか」「今、使っているかどうか」、後の二つで判断することと決めました。

 そうと決めてからは直ぐに実行です。子供時代(自分と子供達)の卒業証書・卒業アルバム・ほんの少しの表彰状・写真・不要な衣類等々。全てを捨てました。この考え方と行動は妻も同じで唯一、一番気の合うところです。似た者同士とはよく言ったものです。

 これは結果的に断捨離だったのですが、後悔はありません。むしろ良かったと今も思っていて、現在も継続中です。

 人生良かったことより、苦しかったこと、面白くなかったことの方が多かったように感じますが、断捨離によってそれを思い出すことも少なくて済むように思います。衣類などは必要なら新しく買えばよい、昔の重い服など着ていては損、超軽いダウンジャケット等を着ればつくづくそう思います。

 だが、困ったこともあります。この年になると同級生の顔が思い出せない時があります。卒業アルバムで確認することが出来ず、諦めるか思い出すのを待つだけしかないのです。まあ、学校を卒業してから半世紀以上会っていないし、その必要もなかったのだから、当然と言えばそれで済むことではありますが。

 それでも捨てられないものがある、それは孫たちの写真です。親元にも同じものがあるのに、いつも見ているわけでもないのに、子供の写真は全部捨てたのに、なぜか捨てられないのはどうしてだろう。しかしそれも孫たちが成人したら捨てようと思っています。

 もっともらしく考察しましたが、我が家では不要な物が散乱しています。ただ、想い出の証になるものは殆どありません。何しろ実家の家まで捨てた(正確には売却)のですから。これからも不要な物はどんどん捨てて「断捨離で行こう」と思っています。自分が断捨離になるかもわかりませんが。・・・賛否ありますよね!!

🎵は裸で、皆生~まれ・・・あ~あぁ迷わず揺れず~🎵