野老の里

奥武蔵をメインに日帰りの山歩きを中心としたブログです

奥武蔵へようこそ 平成25年6月8日 蕨山から棒ノ嶺へ(後編) 日向沢ノ峰からさわらびの湯

2013年06月15日 | 奥武蔵へようこそ
(白谷沢のゴルジュ)

日向沢ノ峰からの続きをご覧ください。


しばらくのんびりとしていたい気持ちもあったが、まだ長い下りが待っている。そろそろ下山に取り掛かろう。分岐に戻り、棒ノ嶺方面への道を下っていく。道標には6kmと書かれている。う~ん、遠いなぁ…。まずは標高差150mほどを一気に下る。緩やかなのは最初だけで、あとは転げそうな斜面をジグザグに下っていく。厳しい下りでかなり消耗しつつ、一頻り下ると有間山と書かれた道標が立っている。先ほど鉄塔のピークを過ぎた後に見た分岐からの道がここまで来ているのだろう。分岐を過ぎると傾斜が緩やかになるので、いくらか落ち着いて歩くことが出来る。途中巻き枯らしをするためなのか、幹にぐるりと切れ目を入れた木が目立つ。伐採を容易にするために巻き枯らしをするのは別に反対するものではない。ただ登山道脇だと事故が起きやしないだろうか。

(棒ノ嶺分岐)


(急な道が続く)


(有間山分岐)


(巻き枯らしだろうか)

鉄塔50号の黄色いポストを見送ると落合・有間ダムを示す道標が置かれている。山と高原地図や地形図にも記載はないが、地形図の有間川へと下る破線路につながる道なのかもしれない。この分岐を見送ると鉄塔50号の建つ小ピークに出る。鉄塔の南側は奥多摩の山が眼前に迫る。川苔山らしいが、少々近過ぎるのか、全体像がわかり難い。鉄塔の北側には林道が走った山が見えている。最初は蕨山かと思ったが、どうも仁田山らしい。ここに来てシャリバテ気味で体が動かない。とりあえずカップラーメンを作ることにした。お湯を沸かしていると、ブ~ン、ブ~ンと羽虫が寄ってくる。ラーメンにお湯を入れたが、とても落ち着いて食事できない。カップラーメンをビニール袋に入れて、下の樹林帯に入る。檜の近くにいると羽虫は寄ってこない。ようやく落ち着いてラーメンを食べることができた。

(50号のポスト)


(落合分岐)


(鉄塔50号)


(仁田山 背後はタタラノ頭かもしれない)

時計を見るとそろそろ14時になるところである。日が長いとはいえ、そろそろ下山に向けて急ぐ必要がありそうだ。杉・檜が植わった急坂を下りきると木の根が張り出した痩せ尾根に出る。ここを抜けると山ナシ山(1087)に着く。山の名を書いた赤テープがなければ、ここが山ナシ山だとはわからないだろう。山ナシ山から先は変わり映えの無い道が延々と続く。行程も後半に入ったところでこれは精神的に辛い。檜が比率を増した痩せ尾根を進むとクロモ山に着く。山ナシ山から一つ進んだピークだと思うが、場所はよくわからない。長い急坂を下りきると尾根の南側を巻くように道が付けられている。律儀に尾根上を進むこともないだろう。次の小ピークを南に巻く。広くなだらかな傾斜を持った尾根という感じだ。振り返って写真を撮っていると後から登山者がやって来る。先に行ってもらおうと待っていたが、なかなかやって来ない。やむなく長尾ノ丸まで進むことにした。

(相変わらず急坂が続く)


(木の根が張り出した痩せ尾根)


(山ナシ山)


(檜が多くなってきた)


(クロモ山)


小ピークを振り返る)

細い尾根へと変わるように、植生も檜から雑木林へと変わる。日も傾いてきたので、明るい雑木林のほうが気分は良い。長尾ノ丸に差し掛かると傾斜はやや急になり、檜が目立ってくる。ここを何とか登りきると長尾ノ丸(958.4)頂上だ。頂上は檜に覆われ、展望はなく、中央に三角点が埋設されている。三角点の周りに置かれた石の上にザックを下ろし、しばし休憩。水の残りが1リットルを切った。三分の一までに減った計算だ。山頂の様子などをカメラに収めていると先ほどの登山者がやって来た。帽子を被った若い男性だ。都県境尾根に入ってからは数人の登山者と擦れ違ったが、皆ソロの男性ばかりだ。ただ意外に歩く人は多い。

(細い尾根には大岩もある)


(再び雑木林に)






(長尾ノ丸 長尾丸山ともいわれる)

男性は出発する様子がないので、槙ノ尾山そして最後のピークである棒ノ嶺を目指して出発する。何度目なのか数えるのも面倒なほどに現れる急坂を下ると、林道を見下ろす尾根に出る。林道のすぐそばなので、見晴らしは良い。正面に見えているのは藤棚山から大ヨケノ頭への尾根だ。地形図には林道の記載はないが、現在は大ヨケノ頭の東にある鞍部を越えて、西平山まで林道が延びている。今いる尾根から下に見えている林道へ下りることができず、先に進むにつれて林道は遠ざかっていく。槙ノ尾山へは緩やかな登り坂となっている。山頂手前の急坂を登りきれば、槙ノ尾山(945)頂上に出る。ここも樹林に覆われ、展望はない。道標が置かれ、落合への道も下っている。道標にはあの達筆標識も掛けられている。



(林道を見下ろす展望地から 藤棚山から大ヨケノ頭)




(槙ノ尾山への登り)


槙ノ尾山

槙ノ尾山から棒ノ嶺へは一旦鞍部へ下って標高差70mを登り返す。ただこれまでに比べれば楽な登りだ。棒ノ嶺の山頂に近づくにつれて尾根は広く、雑木林も多くなっていく。棒ノ嶺を歩くのは2年以上前のことになるが、この登りは北東尾根の雰囲気とよく似ている。きつい登りも無いままにカヤトの原が広がる山頂へと近づいてきた。北東尾根の入口は酷い藪となっていた。広い棒ノ嶺(969)の頂上には夫婦らしき中年カップルが一組だけ居て、人気の山にしては至って静かである。頂上からは相変わらずの大展望が広がる。水蒸気のため、薄ぼんやりとはしているが、眺めが良いことには変わりない。パノラマ写真を撮ろうとすると、やはりというべきか羽虫に襲われる。虫除けを掛けても来るのだからどうしようもない。ベンチで休憩していると長尾ノ丸で会った男性のほか、権次入峠からも男性がやって来た。そろそろ出発しようか。

(棒ノ嶺へ向かって)


(棒ノ嶺山頂)


(真ん中が伊豆ヶ岳)


(子ノ権現と関八州見晴台)


(真ん中の台形が大高山)


(奥は武川岳)


(傘杉峠と八徳集落)


(左から大持山・武甲山・武川岳)


(最奥には堂平山も見える)


(河又集落を見下ろす)






(棒ノ嶺からのパノラマ)

棒ノ嶺から権次入峠への下りは土留めの木段続きで大変だったという記憶がある。で、権次入峠へと下ろうとしたら、かつての木段は植生保護のため通行止めの措置が取られていた。はっきりと言って、もっと早く通行止めの措置が取られてもよかったのではないかと思う。棒ノ嶺と似た所として堂平山があるが、堂平山は樹林の中を通ってから、芝生の広場へと出られるよう道が付けられている。棒ノ嶺も醜悪な木段など設置せずに檜林の中に道を付けておくべきだったのではないだろうか。木段を設置したことで、木段を嫌った登山者が芝草の中に足を踏み入れるのは容易に想像できたことだし、実際そういった光景は棒ノ嶺に登るたびに何度も見てきた。木段を設置するならせめてステップを低くすべきなのだが、埼玉県人は足が長いのかと揶揄されるほどステップも高かった。本当に馬鹿としか言いようが無いのだが、通行止めの措置を取っただけでも救いはあるというものだろう。

(通行止めの措置)

撤去された木段跡の脇には檜林があり、その中に代替路が付けられている。元々踏み跡があったのを追認した格好だ。道がフラットになるとベンチが置かれた権次入峠(ごんじりとうげ 893)に着く。以前紹介したときにも触れたことだが、権次入峠は鞍部ではなく、ピークのひとつである。岩茸石への下りは土留めの木段から始まる。ボクが母親を連れて初めて棒ノ嶺に登ったときは、木段は朽ちて危険であった。その後工事をし直して木段を新しくした訳だが、もう既に一部木段が抜けて、危険な状態となっていた。木段の脇には踏み跡が付けられ、ここもまた植生が酷く痛めつけられている。こうした木段の道を何時まで続けるのだろう?お金を掛けて工事をした結果、環境破壊を促進し続けているなんていうのは馬鹿げている。この状況で良しと考えているお役人は、現場を見て、一度よく考えてみてほしい。土砂の流失を止めるためどうしても木段が必要だというのなら、榛名山系の天目山辺りや国師ヶ岳のように木の階段を設置したらどうだろうか。特に榛名山を見ると古い土留めの木段の上に木の階段を設置しなおしている。階段登りがきついのはかわりないのだが、それでもハードルのような木段を上り下りするよりは楽だし、安全である。山頂への木段を通行止めにしたのなら、ここも見直してはどうだろうか。

(代替路)


(フラットな道)


(権次入峠)


(権次入峠からの眺め)


(土留めの木段 見た目には良さそうだか…)


(アジサイ)

木段と急坂が連続する道を下ってくると、滝の平尾根と白谷沢との分岐となっている岩茸石に下りてくる。計画書では滝の平尾根を下る予定であったが、歩く人が少なそうなので、白谷沢下りに変更することにした。白谷沢への道は綺麗に整備された道が続く。ここはかつて皇太子殿下が訪れた際に整備し直されたという。山頂まで土留めの木段が続く道をご覧になって、殿下はどう思われたであろうか。林道に一旦出るところで道は急激に下っていく。林道脇は東屋の建つ広場となっていた。かつてここには水場があったらしい。

(岩茸石へ向かって)




(岩茸石)


(整備された道)


(東屋の広場)

林道から木段を下るといよいよ白谷沢沿いの道が始まる。広葉樹に覆われた道ながらも谷が深いせいか薄暗い。写真に撮ろうと思っても、ことごとくブレてしまう。空梅雨気味ではあるものの、白谷沢は結構流れがある。水流の音が大きくなると白孔雀の滝の上に出る。上から見る白い流れはなかなか美しい。但し下から見上げる位置で見ることが難しいので、この滝の良さは今一つわかりにくい。白孔雀の滝から先は白谷沢の名所とも言えるゴルジュ帯に入る。前方に2,3のグループがいるようだ。白谷沢を下から登ってくると案内板に書かれているのだが、ゴルジュとは咽喉を意味する。両側に谷がそそり立つ様を指しているのだろう。渡渉を繰り返しつつ、ゴルジュ帯を抜ける。振り返ると両岸の岩が垂直に切り立ち、沢の流れがある所だけがスリットのようになっている。まさに咽喉のようだ。

(白谷沢 下り始め)




(白孔雀の滝)






(ゴルジュ)


(他にも滝がある)

ゴルジュ帯を抜けても渡渉は続く。途中若い男女混合のグループを追い抜く。他のグループはまだかなり先にいるらしい。やがて沢を離れて高巻くようになる。落石注意の看板がやけに目立ってきた。そういえば昔大ナゲシで頭骨大の岩に襲われたことがあったなぁ、と思っていると突然雷のような音が鳴り響いた。そして大きな物が水中に落ちる音がした。どうやら近くで落石があったらしい。暗いからといって、下ばかり見ては危険だ。落石に怯えつつ進むと正面に名栗湖が見えてきた。ここまで来れば一安心である。登山口にある白谷の泉には男性グループと親子連れがいた。皆ちょっと遅すぎやしないだろうか。泉で水筒に水を汲み、しばし休憩。あとはさわらびの湯までだるい車道歩きが待っている。ダムを過ぎ、バスを待つ乗客を横目にバス停を見送ると、特徴のあるさわらびの湯の建物が見えてきた。あぁこれで今日一日の汗を流せる。そう思っているとあと少しのところで無情にも看板が準備中に架け替えられてしまった。聞けば入浴時間は18時までで、受付は17時までで締め切っているのだそうだ。トイレで顔を洗い、バス停に戻ってくる。時間を見ると17時台でバスも終わりだ。終バスに間に合って良かった。バスが着く頃にはバス停は長蛇の列を作っていた。早く並べてラッキーだったというべきだろう。席に座ると少しも経たない内に寝入ってしまった。目を覚ましたのは飯能駅に着く手前であった。

(白谷の泉)


(ロックフィルダム)


(楢抜山)


(夕暮れの名栗湖)

DATA:
13:26鉄塔50号13:51~14:03山ナシ山~14:13クロモ山~14:44長尾ノ丸~15:12槙ノ尾山~15:27棒ノ嶺15:42~
15:51権次入峠~16:08岩茸石~17:06白谷の泉~17:25さわらびの湯バス停(国際興業バス)飯能駅

国際興業バス さわらびの湯~飯能駅 600円 

地形図 原市場 武蔵日原 

歩数 35,734歩(十万劫山よりも歩いている歩数は少なかったのね…)


奥武蔵としては屈指の長大な縦走路です。特別難しい所はありませんが、体力と入念な準備が必要です。エスケープとしては有間峠のほか、日向沢ノ峰から踊平へ下って大丹波林道へ下るのが一般的です。槙ノ尾山から仙岳尾根を下って落合へと下るルートも使われているようですが、疲れた時分に急坂を下りるのはしんどいのではないでしょうか。岩茸石から滝の平尾根を下るルートは良く整備されています。白谷沢ルートに比べると人は少ないでしょう。また暗くなったら東屋の広場から林道を下る手もあります。この林道は名栗温泉大松閣の近くに出ます。上述のとおり、さわらびの湯バス停は17時台が終バスです。それ以降は河又・名栗湖入口バス停からバスが出ています。


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