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女流詩人 江馬細香

2025-06-09 21:32:29 | 勉強

今日は土曜日の詩吟講座で学んだ女流詩人 江馬細香について調べてみましたわ~

江馬細香(えま さいこう)

天明(てんめい)7年(1787)、大垣藩医で蘭方医(らんぽうい)である江馬蘭斎(えまらんさい)の長女として生まれ、かわいがって育てられました。

細香は、小さいときから書や絵をかくこと好きで、どんどん才能を伸ばしていきました。
 13歳のとき、細香は、京都の玉潾和尚(ぎょくりんおしょう)に墨竹画(ぼくちくが)を学びました。
細香は、めきめきとウデを上げていき、細香が描いた絵をほしがる人もあらわれ、才能をみとめられるようになりました。
18歳のとき、父蘭斎の妹の次男・温井元弘(ぬくいげんこう)と結婚(けっこん)の話がありましたが、妹が元弘のことを好きだと知っていた細香は、結婚をことわりました。

そして、細香が27歳のとき、人生に大きな影響(えいきょう)を与える男、頼山陽(らいさんよう)がやってきました。
この日、細香は、山陽から書の指導(しどう)を受け、細香にとって忘れられない時間となりました。
 その後、細香は山陽の門人となり、詩文や書を学びました。それから2人はおたがいのことを好きになっていきました。
 次の年に、山陽から結婚の申し出がありましたが、おたがいに好きだということを知らなかった蘭斎は結婚をことわってしまい、細香は、ひどく落ちこみました。
しばらくして、蘭斎はおたがいに好きだということを知り、山陽に結婚の話をしに行きましたが、すでに山陽は別の女性と結婚しており、細香の恋は終わりました。

細香が33歳のとき、山陽や梁川星巌(やながわせいがん)とともに、詩社「白鴎社(はくおうしゃ)」を結成(けっせい)しました。
細香46歳のときに、山陽の死を知らせる手紙がとどきました。先生であり、永遠の恋人に別れをつげるものでした。

その後、細香は書画に打ち込む日々を送りました。細香が62歳のとき、小原鉄心(おはらてっしん)らとともに、詩社「咬菜社」を結成し、リーダーとして活躍しました。
細香は、70歳のときに脳出血(のうしゅっけつ)をわずらい、75歳でこの世を去りました。細香は山陽と初めて会ったお勝山の景色を気に入り、自分が使っていた筆をお勝山にうめてもらいました。

女性として何とも悲しくもあり、逞しくもある人生を生きられたことに感動しました。

ずっと、頼山陽作を愛し続けたのですね


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