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昼行灯(だった)トキの大雑把なひとりごと

クレヨンしんちゃんよりもユルく生きていた(当面過去系)私の備忘録と、大雑把なひとりごと。時々細かく語ることも。

これはキビシい。

2007-01-10 23:35:06 | Weblog
 前回の続きの前に覚え書き。
前にもちょっと引用した分裂勘違い君劇場ですが、いやはや、昼行灯を決め込んでいる私には非常に厳しい。
 不器用で時間がないと何もできないタイプの私は、落ちて行くばかりということか。
 ところで、私が上記のようなタイプにもかかわらずそこそこやってこれたのは「好きなことを我慢してでも、自分にとって最低最悪の状態だけは避ける」ことを徹底していたからです。つまり、具体的にいうと娯楽とか余暇を犠牲にしてきた部分が大きいと思います。それでも、仕事なら仕事だけ、勉強なら勉強だけをとりあえずやり続けるだけの胆力はあったので、辛うじて何とかなっていた訳です。
 実は、今は仕事も家庭も結構いっぱいいっぱいで、そういった胆力というか、余裕がありません。
 ここで、更なる仕事上の実力アップを求められるとなると、最悪「発病」かもしれない、という危惧はあります。(体にくるか頭にくるかわからんけど)

 体力にはあまり自信がないので、それなりで過ごす為の簡単な解は「生活水準を下げる」なのですが、これだって簡単ではない。何より、私だけの問題ではない。
 「そうさせてくれ」と言えば、妻は同意するでしょうが、できればそんな思いはさせたくありません。
 とにかく、最低でも「気がついたら激しく周回遅れ」とはならないようにしないと。でも、いやぁ、難しい。
 
 

賃金の問題と企業の海外移転を考える

2007-01-10 00:33:07 | ものおもい
 以前から、企業の高収益に対して労働分配が進まない、それどころか財界は総力を挙げてさらなる人件費の抑制を図っていることを問題にしています。
 ところで、人件費抑制の論拠として挙げられるのが、「国際競争力の維持」です。これは、要約すると以下のようになります。
1)企業の人件費は、アジア諸国等のまだ賃金が安い地域との競争になっている。
2)増収増益だからといって、労働分配を増やしてしまえば、収益性の点でより安価な労働力を確保出来る地域に負けてしまう。
3)そうなれば、企業としてはより安価な労働力が確保出来る地域に生産拠点を移さざるをえなくなる。
4)この場合、日本国内の雇用環境は一層厳しくなってしまう。
5)だから、労働分配率は上げられず、むしろ下げなければならない。
6)労働分配率の問題は、総額の問題ではない。「不当に高い賃金を得ている」既得権者ー正社員や公務員などーの分を、非正規雇用者等に回せばよい。(と言いつつ、上を切り下げるだけで差額は企業利益に化ける)

上記6)は蛇足ですが、1)~5)は様々な所で主張されていて、経営者の私利私欲と一蹴してよい問題ではないような気がしてきました。そこで、このモデルの問題点と、このモデルに基づく日本経済の将来像を考えてみたいと思います。

まず、問題点ですが、
・このモデルでは、長期的には、日本の雇用労賃は他のアジア諸国並み(の低水準)にならなければいけない。
・なぜなら、そうでなければ、企業はいずれ海外に拠点を移すこととなるから。
ということが最初に考えられます。他方、内需について考えると、
・企業が日本国内で収益を上げるには、物価が他のアジア諸国より高い状態を維持する必要がある。
と思われます(でないと収益が維持できない)。この場合、
・労働分配率が下がれば、国内購買力が著しく低下し、内需が大きく冷え込むことは必至
な訳で、やはり企業経営にはマイナスです。では、
・そうなったときの売り先は?欧米?中印の富裕層?
ということになるのでしょうか。
また、別の変動要因として、
・アジア諸国の経済成長は、当該国の人件費を上げる効果があるだろうから、日本の人件費も下がりっぱなしではないだろう
という点も挙げられるでしょう。

ところで、現在、既に労働賃金は他のアジア諸国等、日本より安い地域が多く、実際、多くの企業が中国等に生産拠点を整備しています。ということは、
・現時点で企業が海外への生産拠点の移転を行わないのはなぜか?
という疑問が挙げられます。すなわち、国内の情勢がどうであれ、企業としてはどんどん海外移転してしまえば、労働単価だけで見れば収益性は改善するはずです。すなわち、
・「いま人件費を上げると企業が海外へ逃げる」というが、別に有利ならいま逃げても構わないはず
ではないでしょうか。もっとも、もちろん初期投資やら教育が必要だから、すぐにとはいかないのかもしれません。
ところが、
・「長期的にはいずれ日本から逃げる」のであれば、結局は「日本国内の労働者の可処分所得が増える」ことは期待できないのではないか
としか思えない訳です。
企業が海外移転しない理由としては、労働コストの低下に比した初期投資の必要性とのバランスの他、
・言葉の問題、日本的な慣習の問題、教育水準の問題が日本企業の海外移転を足止めしている
と私は思っているのですが、
・企業活動上、これらはどう評価されるのか?又、日本のこれらの質が下がれば企業はどう動くのか?
というのが、よく分かりません。
 また、この図式を論ずる人が、日本経済の将来像について聞かれると、「企業が成長を維持できれば、いずれ労働者にも富が回り、全体が好況になる」と、具体的な労働者への富の再分配方法を明示せずに、曖昧に述べることが多いように思います。
 さらに、団塊世代の大量退職により、労働市場の需要が増すため、賃金の上昇も見込めるかのように言われたりもします。
 ところが、
・上記モデルによれば、労働市場で人件費が高止まりになれば、企業は海外移転を進めることになるから、人件費が市場原理で上昇する余地はない
 ように思えます。つまり、いずれにせよ雇用単価は下げはあっても上げはない形です。

 つまるところ、私はいまのところ、これらの疑問に答えるような日本経済の将来像を目にしていない。(ちゃんと探している訳でもありませんが)
 ということで、仕方がないので、次回以降、この「将来像」を、自分で考えてみることにします。

科学と日本人。

2007-01-06 13:30:53 | ものおもい
 科学哲学というジャンルは私好みのはずだが、なぜか一度もまともに勉強したことはない。
 なので、以下の話はまるっきり的外れかもしれない。

 昨夜の番組で「日本人が好きな100人の天才」というのをやっていた。
 どういう集計かは知らないが。1位は「アインシュタイン」であった。

 はて、この結果と、「水伝」を信じるメンタリティとは、一見すると矛盾するように見える。
 上記の結果は、相対性理論が革命的な物理理論であったことが日本人にとって常識であることを示していると考えられる。
 そのくらいの科学的知識が常識であるなら、「水伝」がどれほど荒唐無稽かも分かってよさそうなものだ。
 というよりも、両者を同時に信頼するというのは本来無理なのではないか。
 
 番組でも紹介されていたが、アインシュタインの来日時は大変な熱狂ぶりであった。ということは、当時からその評判が日本人には広く受け入れられていたということになる。
 そして、太平洋戦争を終わらせた原爆が彼の理論に基づいているという事実も、彼の日本での名声には影響していない。

 私は、ここで、日本人のアインシュタインに対する評価が、「正当でない」のではないか、ということを疑う。
 いや、なにも私が「相ま派」だということではない。

 唐突であるが、仏教伝来のエピソードを思い出していただきたい。
 正式な伝来の前に、朝鮮半島から流れ着いたと思われる仏像を手にした当時の日本人は、異国の神として、とりあえずそれを祀ったとされる。
 のちに仏教が正式に伝来したときも、基本的には上記と同じ態度だった。そして、仏教(象徴的には仏像・教典)に伴って輸入された当時の最新知識及び技術と相まって、それらは尊崇され、広まっていった。
 
 さて、当時も今も、仏教教典=お経を崇める日本人のメンタリティは、どういうものか。
 一言で言うと「ありがたいお経」という言葉に集約されると、私は考える。
 すなわち、「お経」は、その書かれた内容(教え)も無論重要だが、それらは主に僧侶を通じて広まり、お経そのものを読むことから伝わるものではない。「お経」は、「ありがたい」という属性を示すシンボルとして扱われる。
 つまり、「内容」は副次的な問題に退いている。ここで最も重用視されているのは、僧侶によって示された「ありがたい」という属性の方である。そして二番目は最新の技術・知識だ。
 
 仏教伝来から1400年を過ぎて後の、アインシュタインの来日時にも、同じことがいえるのではないか。
 すなわち、アインシュタインに対する日本人の熱狂は、まず彼が「よく分からないが素晴らしい物理理論を提唱したすぐれた学者である」という「属性」に向いている。そして次には、彼の理論が生み出した海外の最新の知識や技術の恩恵に、尊敬の念が向けられる。すなわち、それらは決してその「理論」そのものに向いているのではない。

 そして、加えて言えば、そもそも、日本は大陸文明の周縁国として存在した。したがって、その発祥から、最新の技術や知識は、基本的に海外から輸入されるものであった。そういった要素が、アインシュタイン≒海外の最新知識と技術の象徴≒かつての仏教のごときもの、という連想を可能にしている。そう思えてならない。
 だから、日本人にとっての彼は、80年前も今も「ありがたいお経」なのではないか。これが私の疑いである。
 畢竟、日本人にとっては、仏教文化も科学も、共に「舶来の高度な知識・技術」であるということだ。この国では、宗教と科学技術は峻別されていない
 そのため、一方では現代科学を否定するような「水伝」だって受けるのではないか。要するに、両者が矛盾しないのは、多くの日本人にとっては、どちらでも大した違いはないからだ。「科学のような外見」をしていれば、何となく「ありがたい」から信用できてしまうのである。
 
 ところで、日本では、アインシュタインは日本文化への敬愛とセットで紹介される。それらの話の中には、デマも含まれているが、多くの日本人は、そのことをあまり意識していない。「原爆開発の契機となった」という事実が意識されないように。
 それは「ありがたいお経」の属性にふさわしくない。だから無視されるのではないか、とも思える。
 
 
 

 

遅ネタですが。

2007-01-04 21:11:28 | Weblog
 昨年中に書けなかったのだが,以前の記事で取り上げた国際基督教大学の八代教授と,労働問題に詳しい弁護士の中野麻美氏の対論について(2006.12.29 朝日朝刊)

 まあ,一言でいうと,噛み合っていない。
 八代氏の主張,つまるところ労働ビッグバンをテーマとした対談なのだが,氏の思い描くモデルは,その時々で成長性の高い業種に労働者が流れ易くするというもの。そのために終身雇用制やそれに伴う人件費コストは弊害になり、それらを残すと「企業が海外に逃げ、更に国内雇用が減る」という。
 このモデルでは,労働者は成長産業でそのつど職を見つける。つまり短期雇用ないし転職が前提。そして,景気調整期には労働者も休みが多くなる。そういう自由度の高い社会が,成長の持続のためには必須ということだ。

 なるほど。労働の質(働き甲斐)ということをとりあえず措く場合,このモデルもありかも。ただしそれは,「十分な収入が確保される場合」である。
 十分な,とは,生活保護レベルではない。「余暇を楽しめる」レベルであることが必要だ。「休み」の故に糊口を凌ぐこともままならないのではお話にならない。
 八代氏のモデルでは(というより,いまの日本が目指すモデルでは),企業の成長による利益は株式市場を通じて分配される。成長を持続し,企業価値を高めるために,労働コストはゼロに限りなく近づけられる。であれば,一つの解は,「すべての労働者が投資家になる」ことだ。リスクは勿論あるものの,誰もが株式市場から分配を受けられるのであれば,休暇は休暇として楽しめる程度の収入は確保されるかもしれない。また,自身の労働単価の低さも,その企業の成長性を支えるものとして配当になるのであれば,利益と損失が相殺される余地もあると考えられる。

 さて,こんなことが実現出来るのか?
 現状では,配当される利益は外資が持っていくようにしか見えない。であれば,八代氏の述べる労働ビッグバンは,資本家による労働搾取にしかならない。おまけに,投資するだけの資本がない人はどうしようもない。この10年で無貯蓄世帯が急増したことは既に言われて久しい。
 他方,こんな記事もある。これが実現すれば,八代氏のモデルとも整合性のある解となる。ただし,経営者がこういうことに配慮しているとは思えないので,私は悲観的。
 
 そもそも,勤勉性を売りにしている日本人に,労働ビッグバンのモデルが合うのか?という疑問がある。このモデルでは,確固たる将来像というものは描けない。その結果が,ニート・フリーター問題ではないか。
 というより,八代モデルでは,フリーターこそが理想の就業形態だということになりそうだ。勿論,生活の質もそれでいい,という前提であるように見える。これは「ワーキングプア」肯定の思想なのではないか。或いは,自給的農業が出来る者のみがそこそこ豊かになれるモデルではないか。
 私には、中野氏の「いまは、何が適切な水準なのかの議論がないまま、ただ安上がりだという理由で仕事が決まる、しかも、明日仕事があるかが保証されないという状況・・・市場や競争だけに委ねると失敗する」という言葉の方が真実だと感じられる。
 八代氏は「雇用の質が悪い企業の製品は商品の質も悪いので市場から排除され、生き残った会社の商品は売れるから雇用者の賃金も上がる」と述べており、完全に市場任せのようだが、現実はというと、賃金の上がりは期待されたほどではないし、下げ基調の業種も多い。さらに言えば、いまの経営者のビジョンには「賃上げ」が全くないとしか思えない。このことをなぜ無視するのか。

 こういうのを「深謀遠慮が足りない」というのではないかと思う。生活の質の低下は,労働の質の低下ももたらす。そうなれば,日本における企業活動が従来レベルで維持されることはない。そして,義務教育だけではこういった「気風」は解決しない。愛国心や公徳心を声高に述べても無理だ。唱える人々と,それを聞かされる世代とでは,明らかに育った時代背景が異なるのだから。「昔は我慢していた。俺たちは昔十分我慢したんだから、お前らはこれから先ずっと我慢しろ。ただし、俺たちはもう我慢しない」なんてのは受け入れられない。バブルに踊り、不況を招いたのもまたそういう世代であることを忘れてもらっては困る。

 さて、それならば、となる。どうしよう。どういうモデルがありうるのだろう。今更のように「資本家が敵だ!」と言ってみたところで,共産主義の幻想に戻れる訳じゃなし(私の世代は冷戦の記憶が強いから,そもそも共産主義に幻想はないが。それを言うならその後の「ロスト・ジェネレーション」は尚更か),かといって他の説得力のある政策モデルが見当たらない。「資本家の搾取」しか選択肢がない社会は,悲劇だ。これを止めるのは「倫理」しかない。
 ということで,ひとつ言うなら,むしろ資本家というか,企業経営者にこそ「公徳心」を身に付けてほしいなぁ。あるいは「武士は食わねど高楊枝」とかさ。

 バブルに踊った経験のある人達には無理かな。

雑記

2007-01-04 18:42:31 | 読書
『アヒルと鴨のコインロッカー』仙台では5・12先行上映。ということは,それま
でに原作を読んでおかないと。
ということで,おそらく次回はこれを読むことになる。
『終末のフール』は,また後ほど。

 今年はStevie Wonder公演(通称アシカショー)があるが,2月の寒い時期に田舎の野外で11,000円ですよ。無理です。
 まあ,それ以前にペットの世話があるので無理なのだが。

それでも書かずにはいられない。

2007-01-02 14:02:09 | ものおもい
御手洗ビジョン 15年度めどに道州制 提言発表 消費税上げ09-11年度(西日本新聞) - goo ニュース

 私がこの報道に接したのは元旦の朝刊(朝日)が初なのですが、そこでは同提言の別の点が強調されています。見出しは「国旗・国歌 企業も尊重を」ということで、公徳心の涵養のため愛国心の必要性も謳っている、という内容。他紙が消費税増税とかそういうことを主軸に書いているのとは趣を異にします。
 「その記事の書き方がアカヒ」といったことは措いて、私が思うに、このビジョンは矛盾している。
 まず、愛国心を言うのであれば、あなたの会社は率先して国に税金を納めないかんでしょう!なのにゴリゴリ企業減税迫ってるってどういうこと?
 それだけじゃない。労働市場改革と言って、要するに低賃金化をどんどん進めようとしている。そのうえで消費税を増税して社会補償費の増大に備えるって、んなこと出来ると思ってるの?それでしかも労働力は確保しようとしているんでしょう?奴隷制でも始めようっていうんでしょうかね。
 おまけに、「企業で国旗国歌」って、企業活動とそれらとどういう関係があるのさ。こんなの、現政権におもねっているとしか思えないのですが。それは「愛国心」ではないよね。愛国心ってのは、国を愛するなら現政権を批判することも厭わないものですよ。(大和田老人の受け売りですが)
 国を愛するなら、国全体が幸福になる道筋を示すべきでしょう。今の世の中の図式は「企業の成長=個人生活の窮乏」です。そうならないようにするにはどうしたらいいかを、ちゃんと考えて欲しい。それを欠いた「愛国心のようなもの」は、結局、一企業の私利私欲のためのもの、としか考えられない。私は頭おかしいのだろうか?
 いや、前にも書いたけど、現在の大手企業トップの本音は、「日本の労働力を買い叩いて、企業利益のために国富を使い果たし、国力が疲弊したら企業本拠地を海外へ移して自分だけは豊かな生活を維持しよう」というものではないかと、疑っているのですよ。もしそうだとすれば、「愛国心」ゼロですね。
  

まずは格闘技。

2007-01-02 13:13:55 | Weblog
 今年は社会派じゃないネタを増やしたいので、一発目くらいは趣味の話を。

亀田戦に続きTBSに抗議殺到?(スポーツニッポン) - goo ニュース

 タイガーマスクブーム世代の私はプロレス・格闘技ファンでございます。(マニアは結婚と同時に辞めた)
 なので、ここ数年の大晦日は、私にとってとても楽しいものでした。ビデオ3台若しくはHDレコーダを駆使して全部録画し、リアルタイムで1番組、他を元旦にかけて観るのが習慣になっておりました。
 今回は御存知のとおり、PRIDEが地上波を切られたためK-1 Dynamite!だけ。楽しみは減りましたが、まあ、カード的には出尽くした感もあるので落胆もそれほどでもありません。
 ただし、昨年ペットが増えた関係で、どうしても開始時刻(午後6時)には世話を終えることができない・・・というので、HDレコーダに録画して、手が空いたら追っかけ再生で観ることに。
 しかし、上記記事を観ると、世話が終わった辺りからリアルタイムで観てもよかった感じ。トーナメントじゃないから順番はどうでもいいしね。
 では感想。まず、全試合放送したのにびっくり。普通幾つかの試合はカットするもんだけど、短時間試合もあったから仕方ないのかな。石沢、永田弟の試合が放送されたので私的には満足。
 その石沢だけど、総合でしか使ってもらえないとはいえ、打撃対応の練習をしているとも思えないし、もう無理じゃないかな。金ちゃんはK-1草創期の知る人ぞ知る選手で、佐竹に次ぐ正道No.2の位置にあった人。最近復帰したのは、総合向けの選手が少ないせい?だったら平も復帰して欲しいなあ。ペタスも引退していたのに復帰。台所事情が垣間見える。今回も怪我。怪我が多いね彼は。
 永田弟は、正直勝てないと思っていたけど、打撃対応力が格段に進歩していましたね。秋山戦での側とKOが効いたのだろうか。TV的にはリアルタイガーマスクが勝ったほうが感動的だったでのしょうが。あと、目立ちたがり屋の兄貴がウザい(笑)。そんなことしてないで君ももういっぺん戦ってみいよ。そういや、イッシーのセコンドにはついていたっけ?
 面白かったのはダントツで所ですね。彼の試合は華がある。ひところの桜庭のよう。やはり年齢って重要なのでしょうか。
 元気引退は残念。まあ、10代からオランダに行って格闘修行を始めた人ですから、体はボロボロでしょう。ここ数年はハイペースで試合していたこともあるし。ゆっくり休んで下さい。
 魔裟斗は意外と危なかったように思ったけど、ローが効いて来てからは一方的。そんなもんでしょう。
 ボビー-崔洪万はサダハルンバも誤算の16秒決着。でも当然の結果ではあるわね。
 ボノさん・・・相手がシルバと聞いて、てっきり仕込みをするとばかり思っていたけど、さにあらず。シルバはジャージみたいなので試合ってナメてんのか。でも勝っちゃうしね。そういえば、同じプロレス経験者のドン・フライも空気読まずに激勝していたし、少々穿ち過ぎだったか。
 秋山は各方面で話題となっていたヌルヌル疑惑を発揮して勝ち。いや、それがなくてもサクに勝てたかってのは正直疑問なのだが。しかし秋山のヌルヌルは、意図的でないとすれば汗しかないわけで、インターバル中に抗議して拭き取ってもらえば違う展開になったかも。サクにしてみれば、得意の1ラウンド10分が仇になった感じ。基本グラップラー同士なんだから、5分×3ラウンドでやればよかったのに。


 ところで、11月に韓国でやるって言っていた「闘魂マツーリ」はどうなったのでしょうか??? 
 

初夢

2007-01-02 06:47:28 | Weblog
 前回記事をUP後、体が辛くてソファで仮眠していたら朝になったorz
 当然夢なんぞ見てません(主観的には)
 同じくパソコンで作業していた妻は・・・寝袋着て床で寝てましたorzorz
 しかも「今寝たばかり」ってもう朝ですがな師匠。


 一年の計は元旦にありと申しますが何か?



 ((((;゜Д゜)))ガクガクブルブル

それで元旦ですよ。

2007-01-01 23:01:05 | Weblog
 何事も無く年も明けました。
 さて、昨年からブログを始め、思いのほか社会派ネタばかりを書き散らしておりますが、ほんとうはもう少し趣味の話とか書こうと思っていたのですよ。
 しかし、どうも社会の変化のスピードが速過ぎて、この手のことであれこれ考えずにはいられない。
 その中でも、記録しておきたいことだけをここに書いているのですが、それにしても書かずにはおれないことが多過ぎます。
 実は最近、仕事中も頭が空白になってしまったりすることが多いです。考え過ぎによるストレスなのだろうか。
 そのため「ブログ更新を休止しようか」と思ったこともあります。
 ですが、過去に囚われるタイプの私としては、「何を考え、感じたか」を残しておくことは重要なのです。記憶力が弱くなった今では尚更。
 ですので、もの思いの記録として、もう少し続けてみようかと思います。

 年頭一発目は、「初夢に期待すること」
 まがりなりにも家庭(といっても妻とペットのみ)を持つ身になって、今の暮らしはそれなりに大変なこともありますが、概ね満足しています。
 ですから、無病息災とか一般的なことを除けば、「コレ」といって望むことというのは余りありません。重大ニュースがないことの裏がえしですけどね。
 ところで、私は亥年なのですが、翻って12年前のことを考えてみると、その年は卒業→就職を控え、卒論提出直後(年明け早々が提出期限だが、年内に出していた)の脱力感と、新たな生活への不安とが交錯していたような気がします。
 って、書いてみて気付きましたが、卒論は完成、卒業は、できるかどうかまだわからないけど、とりあえず3ヶ月先。
 てことは、この時期、随分ヒマしてた筈ですよね。実際は何をしていたんだろう?
 どんと祭の日、大学研究室で闇鍋やって、翌日急性胃炎でものすごく苦しんだことは覚えているんだけど。あとはまあ、大学に残る友人の相談に乗ったり、同期の卒論が仕上がるのを待っていたり・・・何だ、要するにダベっていただけか。
 当時は、間もなく卒業ということで、感傷的になっていたかというと、大学の友人達とも離ればなれにはなるけれど、一部は仙台に残ることが分かっていた為に、それほどでもなかった気がします。
 ほどなく始まる職業人としての生活はまったく想像がつきませんんでしたが、その分、余計なことを考えずに、残り少ない大学生活を楽しんでいた・・・と言って良いのでしょうか?うう、思い出せない。
 待てよ、ということは、この12年はほぼ職業人としてのみ過ごして来たことになる。
 この年になるとさすがに、職場での要領も心得て、変な緊張とかはしなくなりましたが、新採当時と比べ、私はどれほど進歩しているのだろう、と考えると、疑問。
 最初に配属した職場の先輩方は、いまの私の年くらいでしたが、いまの私よりもずっとずっと「プロ」で「大人」だったような気がします。
 まあ、我が職場は年々高齢化が加速していて、いまの私ですら下からウン番目くらいに若い状態ですので、大分勝手は違うのですが。それにしても、もう少ししっかりしないとなぁ。
 で、初夢ですが、卑近なところだと宝くじでも当たらないかなぁ、なんて。
 あとは本当に健康で過ごせればよいです。トラブルのない1年でありますように。いや、何があっても乗り越えてやるけどさ。
 生きていられるだけですばらしいのですよ。心は無い物ねだりをする毎日ですが、年頭くらい、そんな気持ちを思い出してみてもよいでしょう。


 ん?てことはブログで色々文句を言っていることは、要するに煩悩か?

 いや、そんなに割り切ってはいけないね。言うべきことは(ここでだけでも)言っておこう。