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軍国主義的風潮の復活 ?

2005年11月08日 | この国のゆくえ
> しかし、私は、民主主義とは、本来、つねに、衆愚政治だと思います。このMLでは、皆さんは、真剣に「考え」、討論をされていますが、すべての国民に、そのような、真剣な「考え」や討論を期待するほうが無理です。大部分の国民は、選挙の投票行動では、「心情」的に動きます。

であるのであれば、であるからこそ、言い続けなくてはならないのです。
「もう一度言っておけば良かったと後悔しないうちに」

私は戦後60年もたって未だに云々、という言説は間違いだと思います。これは日本人、個々人が実は日本の戦争犯罪がどのようなものであったのかを具体的に認識していないことが原因だと思います。だから中・韓の民衆の声を理解することができない。

「もうわかったよ、悪かったと思っているよ、いつまでもグダグダ言うなよ」
という論理は非常に卑屈です。また本当に日本の民衆が悪かったと思っているのであれば自民党などが政権の座にいるわけがないのです。

いつものことですが、森村誠一からまた引用させてもらいたいと思います。
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民主主義というものは、本質的に脆い。それは民主主義に反する主義思想をも体内に抱含する。自分を破壊し、覆そうとする敵対思想をも認めなければ民主主義は存在し得ないところに、この体制の脆さと宿命があるのだ。

民主主義の敵を認めて、ひとたび敵(ファシズム=独裁主義)の天下になれば、ふたたび民主主義を取り戻すために多量の血が流されねばならないことは、歴史の証明するところである。民主主義はその敵に対する絶えざる疑惑と警戒の上に辛うじて維持される。

われわれが「悪魔の飽食」を二度と繰り返さないためにも、民主主義を脅かす恐れのあるものは、どんなささやかな気配といえども見逃してはならない。われわれは民主主義の敵に対して警戒しすぎるということはないのである。そのことをこの実録によって再確認できれば筆者の幸せこれにまさるものはない。
---新版悪魔の飽食、森村誠一著、角川文庫、301P---


STOP THE KOIZUMI - 改革ファシズムを止めるブロガー同盟に書いた記事ですが当ブログは同盟を脱退しました。

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