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トドママのあるがままに

難病指定を受けている母親です。
笑顔を忘れないように、そんな思いだけでつらつら書きます♪

無知からの挑戦

2021-02-16 13:46:35 | 病気

これでも一応、一生懸命学生時代に勉強してきたつもりでした。

でも、何にも知らないなということに気づくのに、そう時間はかかりませんでした。

一生勉強だとはよく言いますけれども、本当にそうだなと身を持って実感し続けています。

 

例えば離乳食。

離乳食って、赤ちゃんから大人になるにかけて食べるものでしょう。

って、ことを知っていたので、まるで知識があるかのように思っていましたけれども、こんな知識、知ってるうちに入りませなんだ!

そもそも何ヶ月から始めるのか、何から食べさせるのか、そして離乳食に段階があるとも知りませんでした。

売られている瓶詰めやレトルトにも「生後◯ヶ月」なんて書いてあって、そんな常識中の常識を、私は知らなかったのです。

 

そして今、忘れました。あれ?10ヶ月くらいって何食べてたっけ?みたいな感じで、もうさっぱり忘れていますが、まあちょっと本を開けば思い出すのでしょうから、学習効果はあったかなとも思います。

たかが離乳食、されど離乳食。離乳食ひとつでそんな具合ですから、子育てなんてもうてんやわんやです。

 

そのほかにも、いやー、もう知らないことばっかりだな!と生活をしていると思います。

先日、味噌を仕込みました。去年は出来なかったので、ちょっと久しぶりでした。10年くらい前から取り組み始めているので、夫と娘に指示しながらでしたが、夫も案外慣れたもので、娘は見様見真似ですが意外と上手に味噌玉をつくり、仕込みはちゃっちゃと終わりました。

そもそも味噌を作ってみようと思ったのも、自分が知らない世界、それに挑戦できるわくわく感からでした。

知人が「味噌作ってみたのよー」というので、「え?自分で味噌を作れるんですか?」と聞いたところ、「それが作れるのよー」というのでもうびっくり。早速帰宅して調べました。当時はまだこんなに味噌を作る人はいなかったので、味噌瓶ひとつ買うのにもあれこれ思案しながら買いました。およそ1年後に味噌ができて食べた時はちょっと感動しました。しかも意外とおいしいのです。

手前味噌ですがー!

なんて言いながら、実家にお裾分けしました。おいしいでしょー?おいしいでしょ?などと、子どものように自慢していました。

毎日のように口にしている味噌なのに、私には絶対作れない謎の特別な調味料だと思っていました。その作り方を知ることができたのも、実際に作ることができたことも、私にとってすごく大きな経験でした。なんでもやればできるのではないかと思い始めたのです。

 

それからいろいろ挑戦してみました。学校で教えてくれないことはこんなにもあるのかと、本屋さんに行ってびっくりしたものです。

家庭菜園もしてみましたが、なんとまあ難しいこと。

虫はつくし、水をあげすぎてもダメだし、売っている野菜のなんとすばらしいことかと感嘆したものです。

これまた本を買って、知識を得て実践するとうまくいくこともあるし、やっぱりだめなこともあるので、生き物を相手にするのは大変なんだなとつくづく思いました。

 

毎日の食卓に並ぶものが全部謎って何なんだろうと思いつつも、少しずつ挑戦しては自分のダメさ加減を知るにつけ、感謝の気持ちがいっぱい芽生えました。そして、挑戦できるんだというワクワク感が私をいろいろな世界へ連れ出してくれたと思っています。

 

子どもの世界はまた、私をいろんな世界に連れて行ってくれています。これは多くの方が実感しているところかと思います。

そして病気もまた同じです。知らなかった世界を見せてくれています。知りたくなかった世界も含めてたくさん見せられて、苦しい時も往々にしてありますし、今も落ち込んだりしている最中ではありますが、それも含めてあたらしい世界です。

で。

農業も料理も、私にしたら全く知らなかった世界だったのですね。医学も病気も同じだと気づいたんです。

つい、「医学部は頭のいい人たちがいくところ」と思い込んで、超プロフェッショナルな世界で、不可侵だと思い込んでいたんですけれども、そんなことはないなと思うのです。私でもいろいろ勉強してみれば見える世界もあるかもしれないし、何より人体実験を自分でできるんですよね。これはむしろ、とんでもないアドバンテージ!

よく、患者は主治医になるなと聞きますし言われることもありますが、そんなことはないと思います。ある本を読んだところ、敵を知らなければきちんと闘病できないのだから、大変でしょうが正しい知識を得てください、と書いてありました。そこに行き着くまでも十分大変ですし、そこでわからないことがあればどんどん先生に聞いたらいいんだと思うんですね。特に私みたいなケースは先生もわからないことがあるので、いっぱい考えれば考えた分だけサポートになることもあります。もちろんなんだそれは?みたいなこともありますけど 笑。

だから、私は無知ではあるんですけれども、挑戦できることは臆せずしたいなと思っています。

そうして繰り広げられる実験に付き合わされる家族は大迷惑としか思えないんですけれども、意外と腐って泣いて文句言ってるよりもずっと楽しそうについてきてくれるので、本当に実験に付き合わせています。

今の私の実験は、

●アレルゲン探し(つまり除去しています)

●腸内環境の改善方法(食べ物やサプリなどをある一定の周期で変更しながら、どうなったかを家族で報告しあっています)

こんなこと、もちろん教科書にも書いてないし、治療の指示も環境改善の指示もされたことはありません。

でも、免疫は腸内フローラが関係しているとか言いますよね?だから少なからず私の体にも関係しているのではと踏んでいます。

いわゆる民間療法的な?あやしいのかなあ。でも実は一定の効果があるとみています。

さーて。私の体は一体どこまで良くなるのでしょうか!!??


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病気になってよかったこと

2021-02-14 10:11:09 | 病気

なぜ病気になったのか、という問いはあまりしたことはありません。

が、なぜ病気は私を選んだのだろうと考えたことは何度もあります。

 

どちらの問いも、一体何が違うのよ!という総ツッコミが聞こえてきそうですが、私の中ではニュアンスが違いまして、前者はかなり後ろ向きの問いなのにたいし、後者は多少なりとも前向きな発想です。

病気になったのだけれども、きっと意味があるのだろうし、何か私がすべきことを提示されているのだろう

と、考えています。

 

しかし、残念ながらその答えは出ていません。笑

あたりもついていません。ま、そんなもんですよね。

 

そんな中ではありますが、「病気になってよかったこと」は割とたくさんありまして、自分でも気づいています。

病気にならない方が良かったに違いないのですけれども、でもその中でもよかったなあということはたくさんあります。

 

私には大切で素敵で稀有な友人・知人がいるんだということを改めて教えてもらいました。

 

その私の知人のひとりは、清楚で凛とした佇まいの、落ち着いた美しさのある女性です。

出会いは中学生ですが、中学生の時からそのような感じでしたので、当時は特に憧れを通り越して雲の上の存在のように思えました。

綺麗な人にはどこか腹黒いところがあったりするのも仕方ないと思うのですが、そういった裏のない、不思議なひとです。そうですね、心がきれいなんですよね。外見は内面を表すと言いますしね。

そんな素敵な人が私の友人です。

以前、「自分が生きている限り、誰かひとりでも幸せになってくれたら」と思ってお仕事をしていると話しているのを聞いて、なんて素敵な考え方を持ち合わせながら生きているんだろうと感銘を受けました。

私は私に何ができるのかばかりを考えていた時期で、できないことに目が行きがちだったのです。

困っている人を助けたいとか、そういう発想でもありました。マイナスからゼロに、そういう思考でしょうか。

だから、「誰かがひとりでも幸せに」という考え方は私に圧倒的に足りない考え方だと、目から鱗でした。

友人から感銘を受けられるなんて、私はとても幸せだと思いました。

 

その友人が、最近、私のことを心配してくれて

「深呼吸してる?」

と連絡をくれました。

 

いやー、見事に忘れていましたよ。

すぐさま、ふうふうと深く深く呼吸を3度ほどしまして、肩の力が抜けるのを感じました。

知らず知らずのうちに肩に力が入っていたのだと驚きました。

見抜かれていて恥ずかしいなと思う一方で、心底感謝しました。

私にはまだまだ自分にしてあげられることがある。筋トレ、栄養、ダイエットに薬、そういうことではなくて、いたわること。

すっかり忘れていたような気がします。

 

私は生活していく上で一番大切なことを忘れていたのかもしれません。

こうしてひとつずつ、成長していけたらいいなと思います。


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リハビリ(写経③)

2021-02-03 03:43:56 | 病気

写経生活といっても、これまた自由すぎて、本当に信心深い方には怒られてしまうと思います。

でも、最近の私のポリシーは

●良いと思ったものは遠慮せず挑戦してみる

●無理しすぎない

であります。

 

失礼承知で、いろいろと挑戦しては挫折してみたり、継続できてみたりとしています。写経もそのひとつです。

 

ひどいもので、心を清めて机の前に鎮座し、などということが全く叶わないときの方が多いです。

もはや隙間時間ですね。ぴらりと写経の用紙を取り出しましてですね、すっと筆ペンを持って書き始めたかと思ったら、ピンポーンとか、洗濯洗濯とか、ああ、足が痛くて座ってられないとか、さまざまな理由で中断します。中断が通常運転なので、今日は数行かければよし!みたいなそんな感じで「継続」していることだけを誇りにしています。

本当に罰当たりなことなんでしょうけれども、これでも私はありがたい恩恵を受けているなあと思うのです。

 

まずは、筆ペンというものの扱いが上手くなりました。

当初はなんだこりゃ!と自分で驚くほどのミミズ文字っぷりで、そもそも線の太さが統一されません。へえ、こんなにもうまくいかないものかと驚きました。その筆ペンで字を書こうというのですから、とんでもなく下手というか自分の字とも思えないような凄さがありました。

よく考えたら冠婚葬祭の折に少し持ったことがある程度で、数十年ぶりに長時間筆を持っています。

日本人ですが、筆というものと縁のない生活を送っていました。

 

そして我が家に筆という筆記具が定着しつつあります。

写経を始める際に。

娘がいいないいな!と筆ペンで物を描きたがったので、私と同じ種類の筆ペンを購入しました。

それを聞いて、主人もいいないいな!と言いましたので、主人も購入しました。

我が家の鉛筆たて、なぜか筆ペン祭り。

案の定主人はあまり使っていませんが、娘と私は毎日のように使っています。娘は筆で絵を描いたり、文字を書いたり。漢字の練習ね!とか言いながら筆で字を書いて楽しそうに覚えています。筆のある生活もいいなあと楽しげな絵や文字を見ると思います。

筆記具を変えるだけで、こんなに世界が楽しくなるのか、と面白く感じています。主人はいくつか持っていた万年筆を一本あげたほどです。筆記具の面白さは、また別の機会に。

 

そして私は隙間時間だし、娘の自宅学習のついでに隣で写経みたいなときも往々にしてあるのですが、それでも不思議と落ち着く時間になるんです。罰当たりでもなんでも、私がありがたいと思っているんだから仏様は許してくれる!と開き直り、明らかに雑な写経を、続けています。文字は少しずつ綺麗になっていますし、心が落ち着くのも早くできるようになっている気がします。

指はおかげさまでずいぶんとスリムになる時間が増えました。鉛筆を持つのと筆を持つのではまた違う筋肉を使うのだと思います。痛みは相変わらずありますが、すっぽ抜けることももちろんありますが、そういう残念な出来事は減ってきているような気がします。

 

まだお供えできるほどの写経をできる気がしませんので、お寺で購入した写経は丁寧にしまわれたままです。

いつになるのかは、皆目検討もつきません。

でも、おかげで我が家に素敵な習慣がやってきたことは、とても楽しく、ありがたく思っています。


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リハビリ(写経②)

2021-02-02 03:43:49 | 病気

写経との出会いのエピソードをひとつ。

 

般若心経といえば、高校生の時の世界史の授業で暗記したことが出会いです。

世界史の先生はとても独特な、それは外見からもはっきりとわかるほど独特な世界観を持っている方でした。

 

その先生が般若心経を暗記しなさいと生徒たちにプリントを配ります。

「あのね!今覚えたって、絶対忘れちゃうんですよね。」

先生、元も子もないことを冒頭に言います。

「でもね、覚えたってことが大事なんですよ。はい、がんばってー。」

先生、がんばりますけれども、覚えるの結構大変です。全部漢字だし、しかも読んでみると絶対当て字じゃないの?という字がたくさんあって覚えにくいです。しかも、華の?うら若き女子校生がですよ?集団で般若心経を唱えながら登下校したりするんですよね。もう怪しい集団にしか思えない。私だったらぎょっとするし、近づきませんよと。

普通に元気な時だったのですが、あまり記憶がなくてですね笑、でも確か、一言一句間違えずに書けなかった生徒は追試だったような気がします。

先生、意外とスパルタ。

ぶーぶー言いながらも何とか覚えましてですね。みんなでカリカリと般若心経を書きましたとも。懐かしい過去の記憶です。

 

そして、先生のおっしゃるとおり、きれいさっぱり忘れました。

ただ、そもそもずっと疑問だったんですね。

先生は確か古代ギリシアがご専門で、授業の進捗からしても中国とかインドとか仏教とか、授業で扱っていませんでした。にもかかわらず突然「般若心経」を覚えましょうと言われるのですから、びっくりしたのです。経典の解釈とかも一切なし。ただの暗記大会です。

何なら別の教科の先生に「お坊さん先生」がいらして、その先生から暗記しなさーいと言われるならまだしも、そういうこともない。そもそもお坊さん先生も、僧侶としてのおもしろエピソードはたくさん話してくださいましたが、教えとか講和とかそういうことは全くなかったですね!要するに学校の方針というわけでもありません。

 

きれいさっぱり忘れはしましたが、でもこうやってずーっと引っかかっていたのは事実です。

 

何かこうしてつまづいた時に、出逢えるようにと先生が準備してくださっていたのかもしれません。

 

家族で旅行をした時に、お寺に行きました。

全く信心深くもないくせにいつものとおりお守りがほしいと思いました。見本が天井から下がっている板に綺麗にありますので、しげしげと見ていましたら「写経」というのがあるんですね。なんだろう、写経ってと。

娘と選んだお守りを買うついでに、写経とは何ですかと聞いてみましたところ、素晴らしい和紙と見本が入っていて、写経しましたら仏様にお供えしますとのことでした。そのお供え代としてお代をいただいています、というようなご説明でした。

途中、写経はしたことがありますか?と聞かれて、いや、全くと答えましても、嫌な顔ひとつされませんでした。ものみゆさんで聞いたのに嫌な顔されず、初心者も歓迎してくださって、興味をもってくれてありがとうくらいのやわらかな対応でした。何かこうしたやり取りだけでもすごくあたたかい気持ちになりまして、それこそご縁を感じて、これはやってみたい!と即座に思ったのです。

パパ、買っていいですか?

隣にいる主人に聞いてみますと、は?写経なんぞやるの?君が?みたいな反応かなあと思ったら、

「え?写経するの?ぜひやってみなされ。」

とまあ、こんな塩梅でむしろ背中を押されました。

 

その後、ちょっと素敵な筆ペンと写経練習用紙を購入しまして、私の写経生活は始まりました。


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リハビリ(写経①)

2021-02-02 03:03:24 | 病気

リハビリを兼ねて、ついに写経をするに至っています。

筆ペンで般若心経を書いています。

 

当初、写経をして般若心経を読んだりしている、などと友人に話したりすれば、何かよからぬことを始めたと思われるのではないかと心配しました。なぜでしょう、仏教のイメージは信長と延暦寺のせいなのかあまりよくないのです 笑。しかし、何か、それこそご縁を感じたんですね。やってみるぞーとなったのです。

 

そもそも、きっかけはペン習字でした。

手がぶくぶくに浮腫んで太って痛い。

何より問題に思っていたのは脱力してしまう体調の悪い時に、どんなに軽いものでも落としてしまうことです。

それが本だったりすると、運悪く足に落とそうものなら足に大きなアザができてしまいますし、そもそも持っているものが壊れてしまうかもしれません。一番怖かったのは料理中で、包丁を落とした時ですね。すっぽ抜けるので自分が一番驚いていると思います。

身体中、衰えしか感じませんでしたが、手に関しては殊更に強く不便さを感じました。

役立たずめ、と自分を非難するのは簡単ですし、とても虚しく悲しい気持ちになるのは仕方がなかったと思います。

 

しかし、クヨクヨしているくらいなら、手の運動をしなければならないなと感じていました。何か始めてみるかと考えていた時に、娘が「書き方」を、書写をしていたんですね。

これがまた!娘の書く文字は大変汚いもので、どうしたら多少でもよくなるのか頭を悩ませていた時でした。

綺麗に書くようにと注意してもですね、私も大概汚いのです。お手本を示そうにも、何か残念です。

そうか!私も一緒に挑戦してみようとなりまして、字が綺麗になったら私も素敵なことだわ、と本屋さんでなぞれば良いだけのペン習字を買い求め、始めることにしました。

 

私の教育方針のひとつに、とりあえず親も一緒に体験してみると言うのがあります。(教育方針とか言うと、何かご立派な感じですね!そんな大それたものではありませんが 笑、良い言葉が見当たりませんでした!)

やってみると、子どもに要求していたことがどんなものなのかを把握することができるので、私はこういうやり方を大事にしています。

どうしても、うっかり子どもに厳しくなってしまうんですよね。今の話でいくと「なんでこんな汚い字なのよー」とただ責めてしまう、みたいな。練習すればうまくいくでしょうに、とイライラして、なぜいつまで経っても汚い文字なのかとお説教してしまうのが私なんです。自分の字が汚いことを棚に上げて何を言うと、そんなところでしょうか。

そこで一石二鳥とばかりになぞりペン習字をはじめてみたのです。

しかし、なんとまあ、直らないこと!でも、根気強くつづけると1冊が終わる頃には思いの外良い雰囲気が出てきました。もう1冊買い求めまして、やってみる。毎日10分程度。それ以上やると関節が痛いんです。のんびりのんびり。そこは焦らず。でも毎日やるということは可能な限り続けました。

残念ながら、殴り書きをすればまた元のクセ字に戻りますけれども、落ち着いて書くと、始める前に比べたら格段によくなった気がしています。

おおー!

ん?

ということは、娘も少しは良くなるはずだと思いまして、結局鬼母の登場と相成りました。

やればできるはずだと。

と言って、子どもがきれいな文字を書くようになったら誰も苦労しませんよね。結局、学校のお友達で綺麗な文字を書く子がいるということ、先生が綺麗な字を書くとテストではなまるをくれることがきっかけで丁寧に書くことを心がけるようになりました。

学校、さまさまです。

結局心掛けの問題なのかーとがっくりした自分もいましたが、とにかく丁寧に書こうという時間が出てきたことに少し安堵しました。

ただまあ、私自身、バーっと書きたい時に綺麗な文字にならないのだなということがわかりました。あ、もちろん綺麗な方もいらっしゃるので言い訳にすぎないのですが、親がこんな状態ですから娘にはそれ以上を望んではいけないなと自戒できるようになりました 笑。 やはり挑戦してみてよかったと思っています。

 

それから、もうひとつとても良い効能がありました。

それは書いている間、落ち着くことができたのです。背筋を伸ばして座って書く。何を生み出すわけでもなく、全くの無になっているわけでもなく、何なら邪念や雑念の嵐ですけれども、だんだんと慌てている心やざわつく心が落ち着いてくるのがわかりました。

かれこれ、およそ1年くらい前の出来事です。

 

硬筆検定とか、何か成果を出したいなとも思ったのですが、今はまだそういう段階には至っていません。

子どもにはいろんなコンクールとかがあっていいなあと思ったのですが、大人も探せばいろいろあるんですね!でも、自分は出す段階にもないよなあと思うと、逆に子どもはたくさんの挑戦をして評価されていくのだということが大変だなあと思うようになりました。みんなも娘も本当によく頑張っているんですね。

目を見張るほど綺麗になっていなくても、こうして穏やかな時間が少しでも流れることだけでもありがたいなあと思って続けています。


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