表現するのがとても難しいのですが、精神的に何かがおかしいという感覚は時々訪れていました。
例えば涙がこぼれて止まらなくなってしまったり、イライラする感情をおさえきれなかったり、ソワソワするような焦りを落ち着かせることができなかったりと、非常に困ることがおきました。
これらの現象は、実はどこかに別の自分がいて「おかしい」という警告を発してくれるのですけれども、どうにも感情が暴走して止まらないのです。感情失禁と呼んでいました。
そういう時は往々にしてステロイド切れを起こしていたり、痛みの程度がかなりのものになっていたり、とにかく体調が悪いことが多いので、何らかの薬を足すと落ち着くことが多いということが病気とお付き合いして何年かしてくるとわかってきました。
お薬を飲めばいいのです。
ステロイドか、痛み止めか。
でも、そうやって感情が暴走している時に何度も思い、衝撃を受け続けていることが
こんな小さな薬で私は私の性格まで変更できてしまうのか
ということです。
私という人間は一体どこにいるんだろうか。
こんな小さな薬で性格がまるで変わってしまう。
最近は慣れてきましたので。
些細なことでイライラして止まらない、という自分に遭遇した時には痛いのではないか、だるいのではないか、と問い正します。
最近は大体痛いことが多いのですが、確認のために痛むポイントを触ってみます。
激痛であることがほとんどですね。
それで薬を飲んだほうがいいのかもしれないとなるわけなんですけれども、それはそれとして、こうした感情を私は理性で抑えることができないのだという情けなさと悔しさと、やるせなさと、そして何よりも私を苦しめている肉体的な辛さから泣いてしまうことも往々にしてあります。
薬は大変にありがたいものです。
しかし、私が私でなくなるような、いや、そうではなくて私を取り戻すのに必要なものなのか、いずれにしても性格や感情が劇的に変化するというのは、とても怖くて、やるせない気持ちになります。
まあ、例えば陣痛でいてててと苦しんでる方が超冷静に突然仕事の話とかはじめたり、ご近所さんの様子を気にしたりし始めたらビックリするとは思うんですね笑。つまり痛くてギャーと私がなるのも正常な反応なのかもしれません。しかし陣痛は異常な空間で行われる非日常ですが、こちらは日常の生活の中で突拍子もなく普通に訪れるので、そこはなかなか。はい。
そして最たるものが精神科薬だと思います。
正直助かる側面ももちろんありますが、きつくもあります。
今まで、自分の考え方や意識を一生懸命に変えながら踏ん張ってきたのに、薬ひとつで全部パーな感じなんですね。
自分の努力はどこへ行ってしまうのでしょう。
薬や病状と心との、こんな闘いがあること、ちょっと知っていただけたら幸いです。
なんだかんだで一番からだにいいらしいよ、と教えてもらったウォーキング。
たかが散歩してるだけじゃないの、という悲しいツッコミをしていられたのも再発前まででした。歩けなくなったのです。
歩けなくなるほどなぜ痛みが増したのか、またなぜそこまで病状が悪化したのか、そうした原因は今でも不明です。
おそらく下垂体の機能が一層落ち始めて、それに伴って体の方がうまく機能しなくなって、それで、、みたいなデフレスパイラルのような状況だったと思います。どこに手を加えても関連してしまっているので著効するものが見つからない状況でした。
そんな折、同年代の人から比べて筋力もずいぶん足りないから、運動してくださいね、ととある別の医療機関に検査したあとに軽く指導がありました。
筋力の低下は百も承知だけれども、筋力をつけられるだけの運動などとてもできる状況にないのです。
一体どうやって運動しろというのだろうと、その時は非常に困惑し、悲しくなりました。
私は痛くてだるくて辛くて動けないと言っているのに、どうして運動しろと言われなければならないのか。
運動させてほしい、その私の願いは届かない。
またしても、誰も理解してくれないのだという危険な思想が私を包んでいました。
家にいると塞いでしまいますので、主人が休みの時には外に出してもらいました。車椅子で連れ出してもらい、娘の手を杖代わりにしたり、主人につかまったりして、それはそれは短い距離をたいそうな時間をかけて歩きました。
車椅子を押して道を歩くというのはとても重くて大変そうで、娘もタイヤに手を挟まないようにだなんだと注意を受けまくりで、申し訳なく思いましたが、私には大切で幸せな時間でした。
私の相棒の杖がやってきてからもしばらくは本当に歩くのが苦痛でした。恥骨痛みたいなものや坐骨神経痛みたいなものに加えて、股関節がうまく動かないような感覚、そして膝に力が入らず、足首から下は痺れて感覚がおかしいのです。
牛歩戦術!と言って笑いながら歩いていましたが、足を引きずりながらようやっとこさ。歩いているというのもおこがましいレベルです。痛みと暑さからか、あぶら汗でふうふうです。
もう情けない姿だったと思うんですけど、必死すぎて恥ずかしいとか、情けないとかそういう感情も湧いていませんでした。
それでいて1時間かけて歩いたのは100m、みたいな 笑
よくもまあ家族たちも付き合ってくれましたよね。夏のあっつい日に。娘なんか顔を真っ赤にしてついてきてくれていました。
危ないから水分補給!とか偉そうに指導してましたけど、お前さんが歩かなければそれでいいのにねとその場でこっそり自分につっこんでいました。ごめんね、娘よ。
主人もまた滝のような汗を流して、手ぬぐいを2枚ほどびしょびしょにしてもなおTシャツまで大変なことになっていましたが、それでもついてきてくれました。私は主人に対しては、汗をかいた方が健康になっていいよ!と言っていましたが、それは心底そう思っていました。なんせ運動不足で健康診断で問題が出てきましたので、これは由々しき問題です。がんばれ、夫よ。
こうして牛歩散歩を続けること数ヶ月。
正直、散歩ごときと馬鹿にしていた自分を責めました。立派な運動だと胸を張れない分、余計に惨めな気持ちになったこともありました。たかが散歩ができない自分が受け入れられない時もありました。でも、散歩くらいしかやれないので、やるしかない、その一点張りでした。
激痛に耐えながら日々、どこが痛いのか、どこが楽になったのかを報告し、自分の中で消化していきました。
ストレッチも自分では痛くてうまくできないので、自宅でマッサージもしてもらっていました。
プロテインも様々に、量も内容も、サプリメントも工夫しました。
とにかくひたすらにがんばりました。
これはもう、自分で言います。がんばりましたし、今も継続してがんばっています。
教えてくれたママさんに言いたいのは、確かに歩くことは体にとてもいいのだということ!その教えがなければ、本当に効果があるのかも疑わしい中で辛すぎて継続できなかったかもしれません。地味な運動だけど、効果はあるのだと言い聞かせて言い聞かせて頑張ったら本当に効果が出ました!
確実に私は良くなっています。ありがとう!!
コロナ禍にあっても、散歩だけは続けています。頑張っています!!
歩くのって基本的だけど、結局のところいちばんいいって聞いたよ!
と教えてもらったのは娘が幼稚園のとき、近くの公園で井戸端会議をしていた時でした。ママさんたちはマラソン大会に出るとか、テニスを習ってみることにしたとか、自分たちの体調を何とか維持して生き続けなければという話をしていたので、健康なのに立派だなあと思っていました。人間苦しまないと「わかっちゃいるけど」という発想になりがちですから、健康なのに努力をはじめるというのはすごいなあと今でも思うのです。
そして私もマラソン大会に、と声をかけてもらえたのですが、残念ながらその時から足は腫れていて厳しい状況でした。みんなに迷惑をかけたくもありませんし、私自身病気を悪くするわけにもいかなかったので、応援だけはするねとお伝えしました。
幼稚園の送迎のあと、何人かのママがマラソンの練習に繰り出して走って行きます。
自転車を漕ぎながら「がんばってねー!」と手を振って応援しますが、すごいなあという感情とは別に、ちょっぴり羨ましいなあとも思っていました。
そんな折、公園でちょっと走ったりしてみたんですね。でもうまくいかない。どうも足がとにかくぐらぐらするので、力が入らないのです。思いっきり走ろうとすると、着地する時にぐねっと捻挫しそうになりますし、蹴り出す時にはすっぽ抜けるような感覚で力がうまく足に伝わりません。危なっかしいことこの上ないので、先生に相談してみようと思いました。
「先生、あのですね、運動をそろそろきちんとはじめようかと思っているのですが」
「いいですよ、運動は。」
「ありがとうございます、しかしですね、足がいうことを聞かずに、どうもうまく走れませんで」
「はーーしーーるーー!?」
・・・・・・せんせい。。一体どうしたのでしょうか?
相当驚かれて、笑いながらですがちょっと怒られましたです。笑
要するに、運動というのはウォーキングだったり、家での体操やヨガのようなゆったりとした動きをさしていたようでして、走るとか球技とか柔道とかそういうのはダメなんだそうなんですね。
私の中では「運動」って、運動会ですよ!オリンピックの競技ですよ。
猛ダッシュして、球技やって、綱を引っ張ったりなんかしちゃって。無酸素運動ですよね。
だからもう有酸素運動のことを指しているとは思わず、あ、そういうことなんですか?と笑いながら答えました。それなら私毎日幼稚園の送迎してるんで多少は運動してますーなんて言ってました。あとはプールに行って歩いていたんですけど、それもこう、4泳法でガツガツ泳ぐとかじゃなかったんで、リハビリプールで歩いてるのがほとんどで、泳ぐのはわずかだったので運動にまではいたってないよなあ、頑張ってるんだけどなあくらいに思ってました。
あなた、自分の病気をねえ、もう少しちゃんと理解しなさいと指導されました。
それからですね、ようやくリウマチってなんだろうって知ることを始めました。
正確には私はリウマチではないので、読んでも意味ないだろうと思っていたんですね。でも参考になることはたくさんあって、あー、やってしまった、今まで何していたんだろうと思いました 笑。
子育てで、特に悩んでいたわけでもないけれどいっぱいいっぱいだったりもして、自分のことはとかく後回しにしがちですね。
だからこそ気づくと極限状態で、症状もずいぶん悪くなってから先生に報告、みたいなことも往々にしてあります。
でも、自分の病気と向き合い続けると、心がこう暗くなってくるんですよね。
うっかり、あゝ、なんで私はこんな病気になっちゃったんだろうって思いが。去来してしまいます。
だからあまり向き合いたくもないんです。
適度に、というバランスは非常に難しいし、私はそれがまだうまくできません。
運動というリハビリ内容も、時に無茶していたりするのかなと今でも思いますが、とりあえずウォーキングは続けています。
サインバルタを継続して飲んでいますが、少しだけ楽になってきました。
勝手に泣いてしまうことは無くなりました。
しかし、どうもやる気は出ません。そして残念ながら、まだまだ痛いです。うー。
主人に聞きますと、
「意欲というのはね、なかなかあがらんもんです。もうすこし辛抱だね。」
と言われました。
「悲しくなくても、やる気が出ないって意外と辛いんだよー」と伝えると、そこも理解してくれますので、そういうところは感謝です。
朝起きて、朝ごはん用意しているだけで感謝されるので、嬉しいです 笑。
(朝起きられずにリビングのベッドで打ちひしがれたり、痛みでうなだれていたので、確かにとんでもない大躍進!!)
吐き気もあるので、料理が嫌いではないはずなのに、ちょっと苦痛な出来事になっています。献立を考えるのが一番おっくうになってしまいました。
一方で、食べはじめると止めどなく食べたくなってしまうので、菓子パンとかお菓子とかこの際カップラーメン食べたい!ポテトチップだ!チョコレートかぷかぷ食べてやる!とか、大きな声で堂々と言い放っています。超不健康なことをしたくなる不思議。
実際、コーヒーを何杯も飲みたくなって飲む日があったり、お菓子をぱくぱく食べてしまう日があったり。そんな自分を許してあげなさいと夫も言うので、罪悪感バリバリではありますが、時々ハメを思いっきり外しています。がつがつ。
そんなこんなで。
食事の準備は仕方がないので、娘に食べたいものを聞いて、それを作ってみたりしています。それなら何とか。
やる気が起きないので、お散歩も行きたくありません。でも仕方がないので行きます。
家事も最低限はやりますが、それ以上はできません。
病状は、改善傾向です。
こうやってここに報告できるから、がんばれているところも大きいです。読んでくださってありがとうございます。