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トドママのあるがままに

難病指定を受けている母親です。
笑顔を忘れないように、そんな思いだけでつらつら書きます♪

リハビリ(筋トレ)

2021-04-12 21:59:00 | 病気

筋トレ、と言っても、筋トレとは言い難いですけれども。

リハビリです。

 

スクワットができないので、足を鍛えようとした場合には横になって足を上げ下げします。

Y字バランスができるようになったらいいなあ、と思って、ストレッチも試みていますが、痛くてそこまで足が上がるようになるまでにも、ずいぶんと時間がかかりました。

ということで上げ下げって、ほんとにちょっとだけなんです。

 

そもそも腹筋も

ふんっ!

と言って微動だにしないところから始まりました。

今も、10回くらいしかできません 笑

それでも「やらないよりマシ」!

合言葉ですね。

 

しかし、どうしても階段の登り降りとかは辛い。そこで先生に相談してみました。

「先生、どうもまだ筋肉がつかないようです。効率の良い筋トレはありませんでしょうか。」

「はあ?こんな立派な足しておいて、何を言いますのか?」

先生、実に、大変に呆れておられます。めっちゃ笑っていらっしゃる。

「えー?いや、筋肉少ないって聞いたので、とにかく頑張ってるんですよ。」

「何を?」

「ですから、筋トレを。」

「もういいですよ、筋トレは!もう十分ですよ!」

「えー!?」

診察室の会話です。一応。

 

面白いですね。筋肉が破壊された時に出る物質の血液検査の値、私は低いんですね。そのために筋肉が少ないと、他の医療機関では指摘されました。

ところが、その値はその時々によってかなり変化するものらしく、あまりあてにならないらしいのです。また、神経系等の問題だったりすると筋肉そのものが存在していても意味がないと言いますか、そういうこともあるらしいのです。

●筋肉が衰えている訳ではない、したがって他に何か問題があると考える主治医の先生

●筋肉そのものに問題があって筋肉に問題を引き起こすステロイド薬の問題にする先生

と、私の病状は今もってしても真っ向から対立するような見解が出ることがあるのです。

 

セカンドオピニオンというのも頷けます。同じような検査データにもかかわらず、見解が真っ向から違います。また、一方から他方にこういう診断が出ていますと伝えたところで、それぞれ信念も根拠もあるらしくて、「だから?」という世界なのです。

患者は、どの先生がおっしゃっていることが正しいのかを知識や学問的に判断することはできないですから、この先生についていこう!と決めてついていくしかないのかなと思います。

できる限りの勉強を患者がしなければならない理由はここにもあるのかな、と思います。

 

ちなみに、本件はステロイド薬の減量も必要でしたし、他に問題もありましたので、両方必要でした!

なので、いずれも間違っていないですね。

 

話は戻しますが、私なりの筋トレ、とにかく、とりあえず、頑張ってます。

でも、外見上、全く成果が出ません!なんだこりゃ。

ちなみに、体重の増減と血液検査のデータってほんとにリンクしないです!

この間、こんな話題になりました。4キロも痩せたのに、去年の健康診断と全く結果変わりませんでしたーって話を聞いて、私は1キロも痩せてないのに血液検査の数値はかなり良くなりました、と。

血液検査って何なんだ〜?

健康って、外見って何なんでしょう〜?

疑問がいっぱいの中で、自己流の筋トレは続きます。


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華麗なるご一族

2021-04-10 13:15:00 | 病気

ペインクリニックの先生は、自分の親戚だから気軽に行きなさいという感じでポンと紹介状を書いてくれました。

そこには同じ苗字の先生が何人かいるから、下の名前もきちんと伝えてね、と言われました。

 

私の体が楽になるのかどうか、そもそも私に気合いでどうにもならない病気が見つかるのか、全く分かりませんでしたので、やはり新しいところに行くのはすごく嫌でした。

先生のご親戚でも、やっぱり嫌でした。

主人に何度か促されて、それで連れて行ってもらう日にちを大体決めて、翌日クリニックに電話をし、予約を取りました。

混雑するクリニックで、しばらく先の予定でした。

 

初診の日はほぼ検査と問診で終わりました。

検査結果が出るまでまた数週間この痛みを抱えるのかと、分かっていたくせに、やっぱりぶつぶつ思いながら帰りました。

結果を聞きに行く2回目の受診の時は、どうせ何にも検査結果は悪くないのでしょうねと思いましたが、予約した日に受診しました。

「えっとねえ、これ、ちょっとちゃんと診てもらった方がいいです」

え?

先生!先生はちゃんとみられないんですか?みたいな謎な質問が思い浮かびながら話を聞くと、どうも線維筋痛症ではないと。

でも検査データ上おかしいので、ちょっと別のお医者さんに診てもらいましょう、と目の前のお若い先生は言うのです。

待合室に出ますと、主人は首を傾げています。

「どこに異常なデータがあるんだ?」

さっぱりわからないと言います。

そして、しばらく待ったところで別の診察室に呼ばれて入りましたところ、大変怖そうな先生がいらっしゃいました。


だーんだーんだーんだだ、だーんだだだーん。

ダースベーダーのテーマソングが私の頭に流れてきました。


人間の本能というか反射というのは、時におかしいです。

先生はちっとも黒くないし、むしろ白衣を着ていらして白いのは間違いありません。今考えれば絶対おしゃれなワイシャツにネクタイを着用されていただろうに、なぜか流れてきたのはダースベーダーでした。

どうしよう。

私は悪いことをしたつもりはありませんでしたが、先生に怒られる気がしました。

 

「んー。」

先生は検査結果にくるくると丸をつけまして、さるさると私のわからない筆記体のような文字を書いてこう言いました。

「うん、君ね、RS3PE症候群ですわ。」

は?

シースリーピーオーでしょうか?


もう、先程のダースベーダーといい、C3ピーオーといい、なんで今日はスターウォーズがこんなにも関連してくるのでしょうか。

 

ということで、私の治療は始まりました。

ちなみにですが、ペインクリニックの先生曰く、リウマチの主治医の先生は

「病気に対しては怖いのよー。変な体勢になっていくでしょう?」

と、足をゴミ箱に乗せてない?とか、カルテの見方を真似してみたり、私をしばらく大爆笑させてくださいました。

また、私が読めないと思っている筆記体はひらがなで、読めない字を書いちゃってるだけよーとケラケラ笑って教えてくださいました。

リウマチの先生は、病気の診断をしている時や薬の種類を考えているときはすごく怖いです。話しかけちゃいけないオーラしかありません。本当に医療や病気に真剣な先生なんだなと勝手に横から見ていて思っています。私は何か物事に対して、こんな風に真剣に向き合ったことはあるのだろうかと、いや、ないな、と自分を戒めつつ、こんな素晴らしい先生に診てもらっているんだよなあ、よくなりたいなあと思っていました。

先生の治療が批判の対象になることもあったので、そんなことないもん!って、自分の体でもって証明したいと今もなお願いながら頑張っています。

医療というのは、私が思うに、やっぱり自然科学なのです。

方程式のようにすんなりいくことは少ない。

ちょっとずれちゃったりする、そうするとデータは「当てにならない」こともありますよね。

個体差もあるので、薬の量や組み合わせはオーダーメイドです。

新しいものがいい人もいれば、古いやり方が極めてしっくりくる人もいます。

そういうものを言わば「勘」でもって治療したり、新しいやり方を試みたり、それはそれは大変な仕事だと思います。

そういう「古いやり方」や「新しいやり方」は、時に批判の対象になります。

そんなやり方は「古過ぎて死んだ方法だ」とか、「そんな奇抜な処方は見たことがない」とか。

でも、新薬を使ったら「奇抜!」なんて言われないわけですから、そういう批判はおかしいと今は思います。

私は最新の薬を使っていますが、第一選択薬というトレンドの薬は全く合いませんでした。古い薬も使っていますが、それらをおかしいと批判されても、私には効いているのですからそれがいいです。古いことの何が悪いのかわかりません。

そもそも私のような変な病態の患者はそう滅多にいないのですから、変な処方になるに違いありません。

治療そのものは決して楽ではないし、辛いですけれども、先生方がこうしてこんな私を見捨てないでいてくださたこと一本で、必死に食らいついていっている気分です。こういう信頼感みたいなものも、患者には必要なんだと身を持って感じました。

 

話は戻りますが、先生のご一族はよく聞いたらお医者様のご一族で、よく発言のなかで「おじ」「姉」「父」「おい」など、さまざまな家族の名称が出てきます。お立場も、ちょっとひっくり返りそうになったことがありました。そんなご一族なのに、ものすごく治療とか診察とかに対して貪欲でいらして、こうして現場に出て臨床をすることをやめないのが主治医の先生です。決して立場とか金銭とかに固執してない感じで、どこにその原動力はあるのだろうと、不思議に思ってしまうほどです。

いろんな思いに押し流され、潰されそうになる私を救ってくれたのは、こんな華麗なるお医者様ご一族でした。


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痛み止め

2021-04-09 13:31:49 | 病気

私の痛みは、とにかく尋常ならざるものでしたので、とにかくいろんな痛み止めを服用しました。

ロキソニン

カロナール

ボルタレン

リリカ

トラムセット

それから痛み止めとして効果があるものとして以下のものも服用しました

サインバルタ

セルシン

偏頭痛の薬も試してみました。

湿布、お灸、筋肉が硬かったので筋弛緩薬。一体どれほどの薬を服用してきたのか、もう判然としません。

 

その量も、ほぼ全ての薬で最大量に近いところまで服用しました。

ペインクリニックにかかりながら、星状神経節ブロックの治療に加え、トリガーポイントという注射も行ってもらいました。

それらが仮に対処療法(その場しのぎ)に過ぎないと分かっていても、私の場合最悪だったのは痛みによる炎症が身体中に起こっていたので、ステロイドホルモンが使われてしまっていたのですね。下垂体からのホルモン分泌もわずかながら悪くなっている体にとって、ステロイドが欠乏すれば、クリーぜを起こすこともしばしばありました。このクリーゼが気を失うことに繋がりますので、なんとしてでも避けたい、そのためには必要な治療だと私は考えていました。

とにかくすがるように受けていました。

痛み止めは、特にトラムセットやサインバルタ、リリカはふらつきや吐き気も引き起こしますので、非常に難儀しました。

それでもほぼ全ての薬を最大量まで服用を引き上げるということは、それだけ「生きたい」という私の執念だったのかもしれません。

 

それぞれの効果などを書きたかったのですが、実はほとんど無我夢中の中に生きていて覚えていないのです。ごめんなさい。

あまり、効果がなかったということになると思います。

私の場合、セルシンは筋肉の硬直に有効でしたので、助かりました。

夜、就寝前に痛いので主人に注射してもらうこともありました。

そうしてようやく数時間まとまって眠ることができました。

 

ひとつ言えることは、痛み止めにも種類が結構ありまして、それぞれ効果も副作用も全然違う感じがします。ですから、ひとつ合わないからだめなんだあとか、ではなくて、他の種類もたくさん試してみると良いと思います!

 

ちなみに、私はペインクリニックの先生に

「あの、もうモルヒネとか、そういうのは使ってもらえないのでしょうか。」

と聞きました。

したところ、

「うーん、それは。」

と珍しく先生は口をつぐんでしまいました。使えないけど、使えないと言えないのかな、となんとなく察しました。

私はこれらの痛みから開放されるのは、死ぬ時なのだと覚悟しました。

生きて肉体的に穏やかな時間を過ごすことはできないのだと思いました。

その後、やっぱりあなた何かおかしい!と、ご親族の別の病院を紹介してもらいました。

そこが、私の今通うリウマチのクリニックになるのです。


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ジプトーン

2021-04-08 10:15:43 | 病気

私が3PEの方の病気を見つけてもらう前にも、生活に及ぶ支障は相当なものでした。

とにかく痛くて起きられない、動けない、歩けない、立っていられない、気を失ってしまう。

これらの現象は「仮病」なので、気合いでなんとかしなくてはいけませんでした。

でも、気合ではどうにもこうにも、限界がすぐに訪れてしまいます。

 

ある日、主人が通勤の途中で「ペインクリニック」という看板広告を見つけたと話し出しました。

早速インターネットで調べてみると、麻酔科の先生のクリニックで、痛みに関していろいろアプローチしていますということでした。

もう藁にもすがる思いで、ダメ元でも(先生!ごめんなさい!)いいから行ってみよう、ということになりました。

 

しょっちゅう訪れるし、今も私に訪れるのが「病院に行きたくない症候群」です。

はああ、めんどうだなあ、お金もかかるし、みたいなそんな適当な理由ですが、とにかく病院とかクリニックに行くのが嫌です。

今も、病院に行く日の前日から、ため息を漏らし続けています。

夫も娘も、わかるわあ、とここは支持的精神療法でもって、くさくさする私を放っておいてくれます。

そんな私がドクターショッピングをするのですから、それはどういうことか、お察しいただければ幸いです。

決して、働いているみなさんの血税を使い果たしに行っているわけではありません。

ほんとに、なんとか、なんとかしてほしい、なんとかなってほしいという切実な願いでした。

 

診察を受けましたところ、とても元気な女性の先生でした。

明るくて、思考も明瞭かつ闊達な感じで、看護師やスタッフの皆さんも静かな中にも元気な印象があって、その空間がとっても眩しく感じました。

診断の経緯などは覚えていないのですが、とにかくブロック注射をしてみましょうということになりました。

ブロック注射とは、局所麻酔のことです。

私は星状神経節ブロックというものを試みることになりました。

首の付け根のあたりにですね、ずずずと注射針を刺しまして、そこに麻酔薬を入れてもらうという治療です。

左右に2つありますから、受診1回につきどちらか、交互に打ってもらいます。

打ってもらった後は、最低10分ほど経過を観察して問題がないことを確認できたら帰宅できるので、しばらく処置ベットに横たわっていました。

作用は交感神経に対するアプローチとかで、今考えればリウマチ系疾患の対処療法として非常に有効だったろうと思います。

打ってもらった方の瞼のあたりの筋肉が全く作用しなくなる現象が起こります。ですので、はっきり言って片目を開けられません。フランケンシュタインみたいな?とにかく、これが効いている証でもあるので、よし!と思うのですが、変ではあります。

目をつぶっている状態でてくてく歩きます。時々ふらふらしますが、それは神経系統の問題なのか、はたまた視覚が不自由になっているからなのかは私自身わかりませんでした。

でも、痛くなくなるので、私には大切な治療に思いました。

 

慣れてきた頃に、ふと処置の準備風景を拝見しましたところ、太い針なんですね。

「おお!こんなに太いのか。」なんて思ったりして。

先生は子供にも寛容に接してくださったので、通院することができました。

「ふといね!」という娘に「そうよお、お母さんは全く痛がらないね、強いわよお。」と励ましてくれました。

娘はいつも「すごいすごい、先生すごい!ママすごい!」と目をキラキラさせていました。

結構痛いらしいです。が、私は全くと言って良いほど痛くありませんでした。

全身が痛かったため、もうそんな注射くらいどうでもよかったのだろうと思います。

効果は長続きしませんので、週に3回とか通っていました。

 

常連さんのようになった私を不憫に思ったのか、はたまた自然体なのか、看護師さんたちも先生も私に楽しい話をしてくださることもありました。

辛い時も悲しい時も、楽しい時も忙しい時も、どんなときも、私の見つめる風景は病院の天井でした。

病院の天井はジプトーンというあの黒い点々がついた天井の素材です。

ようやく娘が幼稚園に行き始めたころの話でした。

夫が仕事に出かけ、娘を幼稚園に送り届け、その足で病院に向かい、治療を受けて戻るとお昼ご飯を食べる時間を過ぎます。食べ終えて、自分のできる家事をほんの少しやれば、また娘を迎えに行く時間でした。

 

家の天井と病院の天井。

そればかり見つめる日々。

私は一体なんのために生きているのか、だんだんわからなくなってきました。

あくまでも対処療法であることは私も主人もわかっていましたが、私が動くためには必要な治療でした。

動くことは、私のしたいことをするのではありません。

トイレに行くとか、食事を食べるとか、そういう人間の基本的な行動のためでした。娘の送迎をするのがやっとこさで、育児をやってるなんて偉そうなことは何一つ言えませんでした。

家事は、大方ひとまかせ、機械任せでした。

 

私は娘を幼稚園に行かせている時間は、治療を受け、痛みに耐え、生き続けるために使われました。

生きること、息をし続けること、そのために生きていました。

私がしたいことややるべきことなんて、考えてはいけません。

ジプトーンを見あげながら、何やってるんだろうと思ってしまう私がいました。

いつか、きっと思い出になる日が本当にくるのだろうかと思いました。

きっと思い出になる日はくる、だから生きているのだと、ただ流れてくる感情を流し続ける、そんな日々でした。


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憧れていた世界

2021-03-17 09:48:01 | 病気

私は自分の外見に非常にこだわっていて、それは一体なぜなのだろうと自分でも呆れるほどなのですが、いくつか理由があると考えています。主には2つです。

ひとつは、外見と思い通りに動かない体が頭の中でリンクしてしまっていて、動かないという不満が外見に対する不満に直結する時があると思っています。

それが証拠に、最近は少し動くようになってきたので、見た目はさほど変わらないにもかかわらず、あまり気にならなくなってきました。

変な話ですが、最近は「あれ?私ってこんなに太ってたっけ?」と鏡を見てびっくりする始末で、要するに脳内では私の体はもう少しスマートなのです。根っからの楽天家が降臨しています。動かないとつい、しげしげと自分の体を見てしまうので、ぶよぶよしてるなとか、もたもたしてるなとか、体の異常に気付きやすいのかもしれません。ちゃんとダイエットしなさいよと、鏡に向かって言っているところですが、また3歩歩けば忘れて、私の体はスマートなのです 笑

 

もうひとつは、やっぱり過去の経験があるかなと思っています。

確かに私は生来おっちょこちょいで、ぼーっとしていますし、見た目からして間抜けを絵に描いたような人間です。

でも、それでも元気な時はその元気でそうした欠点をカバーしていたようで、要するに元気な時には受けなかったという扱いを受けることになりました。

 

いくつもある中で、一番印象的なエピソードがこれです。

ある日、用事があってホテルに行きました。娘関連の用事で、大変に久しぶりのホテルでした。私はホテルという空間は憧れていて、厳かな感じや綺麗で誇り高き気品が備わっている雰囲気は時々味わいたいなあと思っていました。

本物に触れさせる、なんてよく教育的に話されますが、美術館やコンサートホール、博物館、あまり子どもを連れていけていません。ホテルも本物のひとつだなと思うのですが、おもてなしから始まって、生花や装飾、他にも例えばレストランに入れば食器も一流のものに触れさせる機会に恵まれるわけです。教育的にも良い機会だなと、ホテルに足を踏み入れてからジーンと胸が熱くなりました。私も少しは母親らしいことをすることができたかなと思ったのです。

用事を済ませた頃、娘がお腹が空いたと言いました。何も考えていませんでしたので、どうしようと思いつつ、このままホテルで食べてしまおう!となりました。奮発だ!パパには写真を送って自慢しちゃおう!などと二人でわくわくして、いくつかあるレストランから選ぶことにしました。

ところが、時刻はお昼時。子連れには一番良さそうだったレストランは満席とのことで、しかも複数の方が待っているとのこと。あらら、お腹が減っている娘を待たせるのもしんどいなあと思いました。他に空いているレストランはありませんか、と聞いたらひとつ提案されました。もしかしたら満席かもしれませんが、と付け加えがありました。

別のフロアにえっちらおっちら、情けない足取りで向かいました。

レストランの入り口にお店の方がいらっしゃいました。

二人です、と伝えるや否や

「もう満席でございます」

と間髪入れずに言われました。

「そうですか、しばらく待ちそうですか?」

とちょっと面食らって聞いてしまいました。

「そうですね、今しばらく空くことはないと思います。」

帳面を一度も見ることなく、食い気味の対応に、ようやく私も気づき、すみませんと言いながらレストランを後にしました。

娘には、ごめんね、満席なんだって、ごめんね、と説明しました。

確かに私の身なりはドレスコードギリギリの見窄らしいものでありました。でも、本当にドレスコードだけなら、このような言われ方はしないなと思いました。

私はホテルに相応しくない雰囲気を醸し出していて、他のお客様の迷惑になるということだったのでしょう。そのことに気づかない私がデリカシーのない、常識のない人間。そういうことだったのだと思います。

でも、私みたいな人間は、ホテルのレストランで食事をすることはできないのでしょうか。

その事実を自分で認識したこともありませんでしたし、ここまで言われてもなお、受け入れられませんでした。

私は普通の人間です。そう思って生活していました。

わきまえなさい、と言われても、何をわきまえたらいいのかわかりませんでした。

その結論が外見、逆にそれ以外の理由はさらに認めたくなかった部分もあります。外見以外に理由があったとして、それを認めたら何かいろんなものが瓦解してしまいそうでした。

 

その後もいぶかしがる娘に、お母さんがゆっくり歩いているうちにいっぱいのお客さんが入ってしまったのよ、と言い訳をするのが精一杯でした。

まさか、お母さんが見窄らしいから入れてもらえなかった、とはどうしても言えませんでした。

 

そのままホテルから自宅近くに帰り、ハンバーガー屋さんに入りました。

娘はポテトが好きなのですが、外食もままならない時分でしたので、久しぶりのファストフード店でした。

お店に入る前からわーいわーいと喜ぶ娘。楽しそうにメニューを眺めて注文しました。もちろん大好きなポテトも注文しました。私に数本ポテトをくれました。おいしいよと嬉しそうにくれたのですが、本当にホクホクとしていておいしかったです。奮発してこれまた娘の大好きな唐揚げも注文していました。残すな、と思いましたので私は飲み物くらいしか選ばなかったきがします。それでもこんな風に愛想良くものを売ってもらえて、娘のことも笑顔にしてくれて、なんと素敵な空間なんだろうとしみじみ思いました。リスのようにポクポクとポテトを食べる娘の顔が今でも忘れられません。こんなに健忘の激しかった私でも、はっきりと覚えています。

幸せとは、一流とはこういうことだと、教えられたような気がしました。

そして、私が憧れていた世界というのは何だったのかと、とてもさみしい気持ちになりました。

ぽっかりと心に穴が空いたように、乾いた風が流れていました。

私が目指すものは何なんだろう。

大馬鹿ものは私です。

 

今もまだ捉えきれていませんが、何か物事の本質を見間違えていたのだと思います。

 

相変わらず、ホテルはやっぱり素敵な空間だと思います。でも怖い部分があるのだと勝手に身構える自分がいます。

一方で、同じように憧れていたデパートという空間で、私のことを邪険にしないでくれたお店がありました。

病院も同じで、私をかわいそうな人として診察してくれるところと、私をめんどくさい人として扱うところといろいろあります。

こういうお馬鹿な人に教育しないと、という扱いももちろん受けてきましたが、なぜか存在してしまうプライドというか自尊心が傷ついてしまいます。こんなちっぽけなプライドなぞ、捨ててしまえれば楽なのにと思うのですが、どうしても上手く行かないのです。

 

何事もひとつのバイアスやひとつの出来事、断片的な価値観で判断してはいけないと思います。

これがあったから、ホテルは全部ダメとかそういうことではないです。

でも、まだ怖いです。傷つきたくないのです。

同じ理由で、新しいところにいくのがひとりだと今でもすごく怖いです。

私がみすぼらしいのはわかっているから、お願いだからダメなやつという扱いをしないでほしい、と思って、結局避けることが多いです。

 

私の外見は、相手方の優しさを見極めるバロメーターだなと思ってもいます。

しかし、どんなに頭の中で良い方に変換して考えようと思っても、さみしい思いをした事実が頭から離れず、もう少しでいいから良い体型になりたいと思ってしまいます。

相手の良心にだけ頼っていてはいけないなと。良い体型に持っていけない私の弱い心があるのは事実ですから。

毎日そんな弱い自分と向き合っています。


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