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トドママのあるがままに

難病指定を受けている母親です。
笑顔を忘れないように、そんな思いだけでつらつら書きます♪

未来に目を向けるために

2021-06-25 09:47:20 | 病気

私は、「終わったことなんだから仕方のないこと」と割り切ることはできない人間です。

 

この病気生活の中で一番えぐられたのは

「なぜ病気になったかを考えるよりも、今後の未来を失わないで。娘さんとの時間を大事にしてください。」

という言葉でした。

 

思いの外、すさまじい衝撃を受けました。

私が病気になった理由を考えたり追求することは、娘との時間を大切にしていないことなのか?

病気になったことを考えるのは、私がうじうじしてダメな人間だからなのか?

 

この時の衝撃は、本当に抑圧して忘却の彼方に押し込めないと、思い出すだけで涙を流してしまいそうなくらい辛かったのです。

 

人の悩みとは本当に面白いものです。

私自身も、こんなことでこんなに傷つくんだ、とか、あれ?思いの外ひっかかってないぞとか、予想していない心の動きをし続けてきました。

自分って何だろうと思ったくらいです。

 

だから、この言葉そのものは誰しもを傷つける発言ではないことも知っています。

私が重く捉え過ぎているのかもしれません。

ただ、いろいろあった中で

「終わったことの理由を追求して、何が悪いんだ!輝かしい未来を手に入れるために必要な作業なんだ!」

という認識を私は自分の核にしました。

 

これはあっさり生活の役に立ちました。

例えば、大事に取っておいたつもりのお饅頭を夫が食べちゃって、ショックだったとしますね。

「食べられちゃったんだから仕方ない」

って諦めることも可能なんですけど、もう一度があっては困るんです。私としては。

だから、原因を追求するんです。

「いい?1個しかない場合には、必ず確認してよ。みんなで分けて食べようと思っていたんだから。」

「えー、1個しかないから、みんなはそれぞれ食べ終わって僕の分が残っているんだと思ったんだよ。」

「そうだとしても、確認はすべきでしょう?」

「そうかもしれないけど。」

「そこにドラマがあったりするかもしれないじゃん。パパに買ってきたプレゼントなんだよ、とかさ。」

「なるほど。」

「そして仕事で一番大事なのはホウレンソウでしょ!」

「ここは家庭だよ・・。」

「いいの!家庭も仕事の良い理屈は取り入れないと。」

だんだん私の理屈も感情的になってきましたが、ここで娘のきつーい援護射撃です。

「みんなで楽しもうと思ってたのに、ぶち壊していいと思ってるわけ?」

「はい。ごめんなさい。」

「その発想がない。ひとりで勝手に食べていいなんて普通思わない!」

「ごもっともです。」

ということで、パパ、ノックアウトでした。

まあ、変な事例ですけど、これのおかげで1つしかないものを分けて食べることは、我が家のスタンダードな楽しみになりました。

「なんか、変な習慣だな。」

と夫は笑っていますが、「太っちゃうけど、いろんなもの食べたいもん!」という女性サイドの思いを汲んでくれて、楽しい未来が手に入りました。

 

私はなぜ自分が病気になったのか、今でも考えています。

でもそれでいいんだと思っています。

おかげで、病気と闘う覚悟をもらっていると思っています。

折れそうになるとき、考えることで結局は諦めからくる、怒りからくる、希望からくる勇気をもらっています。

娘も、ずっと自分のせいだと思っていたのに、私がいろいろ考えてぶつぶつ言うのを聞いて、自分のせいではない!と思えるようになったのです。

断片的なことだけで、うじうじと考えるダメなやつと評価されては、とても悲しいなと思います。

うじうじ考えることで、実際に明るい未来は手に入っていると思うのです。

 

そして今は、私が病気になったことの意義を自分で作り上げようと思っています。

うじうじマンだからできることを、これから証明してやりたいとすら思います 笑

ということで、悩んでいる時には、思いっきり悩んだらいいと、私は信じています。


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病気のお母さんの子どもの大変なところ

2021-06-21 10:33:21 | 病気

病気の母親をもつ子どもの大変なところ。

 

・普通の育児をしてもらえない

・お母さんが変、と指摘されてしまう

・1番の相談相手のお母さんやお父さんこそが一番苦しんでいるので、相談することができない

 

ざっとここに集約されているかなと思います。

これらは、もちろん我が子に限ったことではありません。

親に相談できない、というのは「よくあるじゃないの」と言われなくもありませんが、これは普通ではありません。

親に相談できない年齢は思春期くらいからというのが一般的です。もっと低年齢の、義務教育前の幼少期に親に言えないことといえば、悪戯など、自分が悪いことをしたパターンなのです。

もし低年齢の時期に本当に何も親に相談できないとしたら、その親には何か問題があるのではないかとすら思うほどです。

(例えば、言葉がうまく操れないので、相談したくてもできない、というパターンなどが考えられます。でもそれらも理由もなく泣き喚いたり、親をしっかり困らせます。大人は理由はわからないけど、子どもに寄り添うことで相談に乗っていることになっている、というパターンも多分にあると思います。後になって「あー、そういうことだったのね!」というおまけもあったりします。)

 

1番の相談相手が、傷つけたくない相手だから、このことだけは相談できない、という構造は仕方ないのですが、心底気の毒だなと思います。

 

多様性がもっと認められれば、病気のお母さんという存在も卑下されるものではなくなるかなと思います。

もっと真の意味で個性を尊重した子育てが実現するといいのになと思ってもいます。

が、今しがたできることは、子どもたちに声をかけることかなと思います。

「お母さん、病気で大変ね。大丈夫?」

と心から心配されているならば、子どもが嫌な顔をすることはないと思います。

(悪意があれば、それを理屈でなくサッと感じるので、子どもってすごいなあって思うんですけどね。)

悩みを聞き出せなくてもいいんですよね。こういう大人もいるんだなあって思ってもらえるだけで、子どもにとっては希望になると思うんです。

 

ぜひ、できることから、勇気のあるお声かけを、善良な大人の皆様にお願いしたいと思います。

どうか、よろしくお願いいたします。ひとりでも多くの子どもが笑顔になれますように。


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ヘルパーさん(スーパーヘルパーさん編②)

2021-05-06 06:08:00 | 病気
ヘルパーさんに、なぜこのお仕事に?というお話を聞きました。

資格も必要だし、はっきり言ってものすごく重労働で汚いこともたくさんしますし、大変すぎる職業なんですね。

大体、皆さんギックリ腰は経験済みです。
他にも何かしら体に異変や異常を感じていたりして、整形外科とか整体とか通わない人はいないのでは?というくらいです。

皆さんいろんな理由がありますけど。

「親御さんを看取る事ができなかった」

というのがスーパーヘルパーさんの主な就職理由だった気がしています。

利用者さんは大方介護保険利用のお年寄りの方が多いので、ちょうど親御さんと重なるところもあったかと思うのです。

親御さんにできなかったことを、という感じでしょうか。

そんな少し切なくなる理由がある方はたくさんいらっしゃって、私は甘んじてその恩恵に預かっていたわけですが、甘えすぎてはいかんといつも思っていました。

ヘルパーさんたちも、元気が有り余ってる訳ではなく、何なら無理をしながら私たちを支えてくださっている。
それを忘れてはいけませんと、思っています。

だから、仕事なんだからこれくらいはやってよね、みたいな発想の出来事を聞くと、とても悲しくなってました。
利用者サイドも、決して権利ではないというか。
優しい心を、おざなりに受け取ったり、受け流してはいけないと思っています。

「この間、初めての利用者さんのところで、トイレ掃除したんですね。一度綺麗にしておけば、その後が楽ですし、気持ちもいいじゃないですか?だから頑張ってゴシゴシしてたら、顔にビシャっと!」

「えー!そんなあ。」

「もうね、何の仕打ちかと思いました。うおっとなって。しばらく動けませんでした。情けなくなってね!」

私もスーパーヘルパーさんとケラケラ笑いながら聞きましたが、この話はひとつの出来事ですが、お仕事全般に言える事ですよね。
私は、跳ね返る便器の水にならないようにと振り返るべきだと思っています。便器の水であることは確かですから、それを何とか綺麗にして流してもらえるようにと。その程度は頑張らないといかんと思うのです。

そんなスーパーヘルパーさんに言われたことは
「この時代、他人に頼めるものは頼み、使える制度は精一杯使っていいんですよ。家族で抱え込まなくて大丈夫。」でした。

ボロボロだった家族が、まともな生活を送れるようになった大きなきっかけでした。

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ヘルパーさん(スーパーヘルパーさん編①)

2021-05-04 11:39:00 | 病気

私は何人ものヘルパーさんにお世話になりましたが、みなさん、とんでもなく心根の暖かい方達で、単純に支えてもらうだけではなく、いろんなことを学ばせてもらいました。

ただ、中でも特にお世話になった、と言うより今もお世話になっているヘルパーさんがいます。

 

スーパーヘルパーさんと呼ばれていたその方が最初にいらした日は、なんかものすごくあちらこちら家中動き回ってくださいましたので、大変に驚きました。

数ヶ月した頃にお風呂の床が汚れている、というのを教えてくれたのもスーパーヘルパーさんでした。

我が家のタンスの中がピカーンと綺麗になったのも、スーパーヘルパーさんのおかげでした。

私が怠けてるとか、気合いが足りないとか、他のお母さんはできてるのにとか、そういう苦しさとも闘っていた時に、私の状況はおかしいと散々励ましてくれたのも、スーパーヘルパーさんでした。

「もっとヘルパー入れてもらいましょう!」と、明らかに業務外のことまで提案してくれました。こういう風に相談してみてですね、と私に手続きの仕方とかもアドバイスしてくれました。

 

 

こういう幸運な出会いがあって、私はここまで生きてこられたのだと、心底感謝しかありません。

しかしこのように素敵な心を持ち合わせる方々が、それぞれ幸せな生活を送っていらっしゃるかと言うと、実はそうではありません。

本当にいろんなことを抱えていらっしゃる。

そうしたいろんなことが素敵な人間を作るのだという、矛盾のような、当然のような、そうした事実は確かにあります。

苦労はしてほしくない、けど、そうした優しさや綺麗な心を作るひとつのきっかけは、そうした苦労なのかもしれません。

 

いろんな方の苦労話を聞く中で、本当に辛い経験の数々に心を痛めてきました。

しかし、そのことが素晴らしい人格を形成する糧になるかもしれないから、頑張って欲しいと思ったり、よくぞ耐え抜いて、生きてくれてよかった、と思うように変化したかもしれません。

 

心の綺麗で優しいみなさんが、今笑って過ごすことができているといいなと、願わずにはいられません。


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体の声を聞こう(食べたいものを食べる)

2021-05-01 05:08:29 | 病気

食べるものについては、病状の変化と共に、治療の中で挑戦をし続けています。

 

前提として、下垂体の前葉は

・副腎皮質ホルモン

・成長ホルモン

・甲状腺ホルモン

・婦人科系ホルモン

の4つを司る、とんでもなく体に大事な臓器なんです。

そこがちょっとおかしくなった、というだけで体に及ぼす影響はさまざまで、正直なんかむちゃくちゃです 笑

 

当初、成長ホルモンの分泌が悪いというのが私の病状を治療するとっかかりでした。

でも、成長ホルモンの継ぎ足しを行う前に、と先生がおっしゃったことが

「昼から、ステーキ食べましょう」

でした。

これ、治療ですよ!

さも、すごい病名なんで、すごい珍しい薬とか飲んでるのかと思うじゃないですか?

治療は食事なんです。

ぼーっとした頭で、「え?」と突っ込みました。本当にぼーっとしてるので、実際に突っ込むことはできなかったんですけど。

 

もちろん、昼からステーキを食べる金銭的余裕はないので、昼から豚コマとか、鶏のもも肉とかを200グラムとか300グラムとか焼いて食べてました。

これで、どんどん痩せていったんですね。

異常!異常!笑

でも、自分では異常だと思わなかったです。

精神的にも異常でしたよね。みんな頑張ってるのに、私は何で頑張れないんだろうって悲しくなってました。

食べた後に意識を消失するんですね。おそらく、低血糖だったと思います。

それでも意識を戻したら口に放り込んでいました。

食事のマナーの本とかを見ると、真逆ですよね。テーブルに突っ伏しながら食べるんです。

産後にずっと「産後の肥立が悪い」と暗示をかけ続けていたからでしょうか、まだ足りない、まだ足りない、ってそればかりでした。

今でもまだその名残はあって、

「私は気の持ちようでこんな風になっちゃって、いわゆる身体化?」

(身体化とは、精神的に困難がある中で脳だけでなく、体に病理を発出してしまうことです)

と、思う時があります。

何でもそうなんですけど、ほんと心の持ちようって難しいですね。

どんなに楽しく生きていても、ふっと引き戻されるように、突拍子もなくドーンと押し付けられるんですよね。

自分は幸せなのに、なぜこうネガティブになるんだろうと思うんですけど、まあ、人間そういうもんだと、ネガティブな私を否定しないでいます 笑

 

で、その後、今度は低血圧と低ナトリウムがわかって。

「塩をね、たくさん食べましょう。」

え?

今度は塩ですか!

薬もあるんですけど、それもステロイド系なので、自然のものに頼ってみましょうということになりました。

 

減塩の時代にあって、私、超増塩生活を展開しております。

先程の豚コマランチにですね、塩をかけまくります。

ご飯にも、何ならふりかけのように塩を。

あと、持ち歩くお薬ポーチにも塩が入ってます。

 

で、こんな生活を送っていましたら、

「あー、しょっぱいものが食べたいなあ」

「甘いものが食べたい!」

「水のみたい!」

と体の声が聞こえてくることに気づいたんです。

で、それに従ってみると、嘘か誠かなんか動ける時間が増えるんですね。

でも、こんな時間でしょ?甘いものたくさんなんて、体に悪いでしょ?とか、今まではずーっとそういう「常識」の中に生きていたので困惑し続けているのも事実です。

 

体にいいものって何だ?

 

よし!人の3倍くらい塩とってもまだ!まだ!って言われる体なんだぞ!もう体の声に従おうじゃないの!

と、完全に根拠もないままに開き直りました。

 

結果的に、大変に太りまして、先生に「はいー、ダイエットー」と言われるようになりましたけれど、

それより、第一の目標の「元気になる」が達成できつつあるんですね。

まともに歩く

食べ物を美味しいと感じて食べられる

今ひとつなのが、排泄だったりしますけれども、きっともう少しで達成できると信じています。

だから、今は、体の欲するままに栄養を与え続けています 笑

もちろん、薬が結局かなりのウェイトで私の体調を引き上げてくれましたから、食事だけで何とかできると思っていません。でも、お医者さんですらそういう治療から入るのだから、食べるものって大事なんだろうなと、当たり前のことなのかもしれませんが、今、猛烈に噛み締めています。

チョコレートもアイスも美味しいですし、お蕎麦もお刺身もたまりません!

あー、こんなに美味しいものを不自由なく食べられて幸せ!

 

一方で、こんなむちゃくちゃな体になって気づいたことは、心が健康であるということがいかに大切かということです。

私はどなたの役にも立てていませんし、ほんとに息をしているだけなんで、生かしていただいて申し訳ないんですけれども。

体がめちゃくちゃでも、心が穏やかだと何か楽しいんです。

そして、そんな私を見て夫や娘や両親が笑うんです。

私は何かできなくても、私が生きて笑うことで笑ってくれる彼らが、何か社会に還元してくれると私は信じているんです。

だから、私は笑って生きたいって心から今は思っています。

食事、食べること、大切にしています。


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