21世紀中年

昭和オヤジのときめき、ひらめき、感激、嘆きを思いのままに書き連ねます

くそくらえ都知事選!

2014-01-28 19:36:28 | 政治にモノ申す
 猪瀬氏の失態で、急きょ真冬の決戦となった都知事選だが、争点が脱原発・五輪・災害対策と並んだものの、生活感のない漠然としたテーマゆえになんともしまらない選挙戦が展開されているようだ。たぶん投票率は、首位打者並みではなかろうか。野次馬から見ても、緊張感がまるで感じられないないのだから、ただでさえよそ者の集まりである都民は我関せずではなかろうか。

 まあ、あほらしい人気投票で終わるのはいつものことだが、以前も指摘したが候補者が都政を語る時、あたかも日本全体に影響を与えるかのような上から目線だけは反感を覚える。特に石原氏などは自立した都の財政をタテに、地方を小馬鹿にした発言を何度もしていたが、その度に嫌悪感を覚えた。

 大体、都が特別交付税をもらわずに自立できるのは、地方あってのことだという現実がわかっていない。

 都の財政が豊かなのは、ゼネラル企業の本社が集中しているからにほかならない。下請も含めて、そこから吸い上げる法人事業税は半端な額ではない。もし、東京都民だけを相手に商売をしているなら、威張って当然だが、大きければ大きいほどマーケットは全国、あるいは海外となる。言ってしまえば、都外の人間にモノを売っては儲け、道路や橋を作っては儲け、その儲けから事業税を吸い上げているのが東京都ということだ。法人税のみならず、そこで働く個人の都民税も多くは地方で商売をした結果といえるのだ。早い話が、江戸時代同様に、地方は東京都に年貢を納めているのだ。オリンピックにしても、本来なら地方に対し、僭越なが東京にオリンピックを誘致していいですかとお伺いをたてるくらいの謙虚さがあってしかるべきなのだ。

 どう考えても、東京は地方に足を向けて寝られないのだ。しかし、多くの政治家は勘違いして、豊かな都の財政は自力で賄っていると思い込んでいる節がある。その代表が石原新太郎ではなかったか。

 東京から日本を変えると豪語する政治家は、みんなそのあたりを勘違いしている。

 だから、分権、さらには道州制を真剣に議論すべきなのだ。しかし、分権の旗頭を気取っていたあの橋下氏ですら、最近は目先の政治に取りつかれている。

 日本を変えるには、権力構造を変える、政治の仕組みを変えるしかない。中央集権が続く限り、地方の発展など夢のまた夢だ。もっとも、何が発展かも問題ではあるが。極論をいうなら原発と引き換えに金をもうけることが、果たして地方の健全なる発展といえるのか。福島が失ったものこそ、今、東京も地方も考えるべきなのだ。

 能天気な都知事候補の演説を聞くと無性に腹が立ってきた。くそくらえ都知事選である。

 

 

 
コメント
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