音と美と文と武と食の愉しみ

自己参照用。今まで紙に書いていたものをデジタル化。
13歳でふれたアートが一生を支配するようです。

20240804 折口信夫「鏡花との一夕」

2024-08-04 07:31:26 | 日記

ーー泉さんを二番町のお宅にお訪ねしたのは、お亡くなりになるやつと二月前位だつたらう。大学の夏期講習に引き出しに行つたのだが、ーー大して物事の判断に「おつかなびつくり」を用ゐぬらしい、大戯作者は、実に潔く、「出ますとも」と承引して下された。此事に関しては、その直後、私の師柳田先生から、とてもひどくお叱りを受けたものであるが、ーー私並びに私に唆された泉さんの軽はずみを、ご自身の身にひきつけて悔いるやうなお気持ちで、お咎めになつたことは、其時其場に感じ乍ら、先生の教誨の前に頭をさげて居た私であつた。

併し其時の泉さんと私とは、実に気持ちよく話しあうたものである。十数年以来、何処へでも同伴して行く習慣になつて居る家の春洋なども、単に金沢に少年時を育つたといふだけで、其はほのぼのとした愛情を持つた表情で、初め始中終顧み顧み話てやつて頂いた。

泉さんの持論の黄昏時の感覚と、其から妖怪の怨恨によらぬ出現の正しさーーかう言う表し方は、泉さんの厭う所でありさうだ。ーーを主張する情熱と言ふよりは、別の熱を持つた話になつて来た。自分の職に絡んだことに話が向いて来ると、竪板に水と謂った風に、流動して来た表現力、寧却て信頼をはぐらかしさうなまでの雄弁で、ーー今も手にとつて見る様に思ひ浮ぶ話ぶりで話された。

実は其時、甚だ申しわけない訣ないことだが、稲生武大夫と謂へば、篤胤が書いた「稲生物怪録」を触れて通つた位にしか読んで居なんだ私である。

それ、あのよく貸し本屋が持つて来たぢやありませんか。ーー写本でさーー、稲亭随筆だの、稲亭何だとか言ふし、御存じないんですか、ーーあきれた、と言ふ風で、私の無知を確めて、なんだか却て恥かしさうな顔をしながら、さうかなあと言ふ風な表情を見せられた。

物足らぬ話相手だと思はれたことだらうし、土台自分は無学な戯作者を、以て任じて居られた人だから、一目おいて来た学者といふものが、自分の知つて知つて知りぬいてゐるありふれた雑書を知らぬとなると、今までの謙遜な自覚が同様せずには居られなんだらう。でも、人に恥をかかせぬお人の事だから、あきれた表情を持ち続けることなく、新しい感興を以て話の方にみを入れて行かれた。

泉さんは、柳田先生などと同年代の若い時代を過ぎて来られたのだから、先生同様、私より一まはり以上は上の筈である。さすれば、あの日清戦争時期は、貸し本などを耽読せられた時代で、さう言へばその頃なら、まだ私装本を頭より高く、恰も見越し入道を背負うたやうな恰好で、雑書読みの居る家を何日目かに訪ひ寄つた時代であつたことだ。

 

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折口信夫は泉鏡花と会っていた。そしてその印象を書き残していた。場所は二番町だという。感慨深いことである。

踊り字の変換に難があり、原文を再現できないことが残念である。


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