音と美と文と武と食の愉しみ

自己参照用。今まで紙に書いていたものをデジタル化。
13歳でふれたアートが一生を支配するようです。

20240908 野村胡堂「平次放談」

2024-09-08 04:24:33 | 日記

■江戸のよさ

江戸のよさということを、いまの人は忘れていると思います。江戸というものは、いいものだし、たいしたものでした。

当時、両国にはたいへん猥褻な見世物があって、いまのストリップ・ショーなんか、とても追いつくものではなかったというんですね。

ところが、そこに行くのは、折助とか、やくざとか、田舎から出てきた江戸見物の人たちで、江戸の堅気の人たちは、決してそこに近づかなかった。

それから比丘尼(比丘尼姿の売女)とか、船饅頭(浜辺の小舟で売色した私娼)という下等の売春婦に、江戸の市民は決して近づかない。あそこに行くのは落ちぶれた、だらしのない生活者に限られていました。

もちろん江戸には、ずいぶんイヤなものが多く、強権でもって封建的に人を押さえつけたこともあるけれども、一方によいことも一杯ありました。江戸払いとか、江戸構えといっても、実際は名前だけで、あいかわらず江戸に入っていたそうです。つまり「叱りおく」といった程度で、江戸におることができた。かりにそれが分かっても、誰も摘発なぞ、おせっかいはしませんでした。

むかしの人には、そういった一種の嗜みとか、思いやりがあったんですね。

いまの人には、他人が見ていなければ、何をしたってかまわないという気持ちがある。江戸の人は他人が見ていなくても、へんなことはしなかった。たとえば両国の見世物に入ったところを他人に見られようものなら、とんでもない恥としていた。こうした江戸の気風というものは、パリやロンドンあたりの伝統的な気風と、よく似ているように思われるんですがね。

江戸人には、たしなみというものが、それくらい大きな支配力を持っていた。それで私は、たしなみのある女こそ一番美しい女じゃないだろうかーーーというテーマで小説を書いたことがあります。

これを江戸の人は、みんな持っていました。それをいまの人は持たなくなっている。私が平次、八五郎を書くと、回顧的だとか退嬰的だとかいわれるが、それは間違いで、江戸のもつたしなみとか、江戸の所作とか、江戸の郷愁(ノスタルジア)とか、これを忘れてはいけない。あれを振り返って考えることは、新しい文明を作る上に必要なことなんだから・・・・・

案外、日本のマゲ物小説が読まれるというのはーーーいまのマゲ物はチャンバラじゃない。チャンバラのマゲ物は大正末期から昭和初期のもので、いまのものは、江戸という回顧の世界のなかに、一つの理想郷(ユートピア)を求めるという書き方になっています。ーーー作中に、いまの世の中になくなった道徳や心構えが出てくるが、人間は誰でもノスタルジアを持っているから、それを読んで喝采をおくるんじゃないかと、私は思っています。だから日本の思想的混乱がつづく限り、もっと混乱的な、破綻的な小説よりも、かえって昔ながらの整った江戸を回顧して、読んだり書いたりするのは、むしろ当然の傾向ではないでしょうか。

現代を舞台としては書けないことでも、徳川時代にもって行けば、すらすら書けるしね。その徳川時代の作家の人たちは、幕府の勢力があったんで、舞台を鎌倉に借りて物語を書いていたんだね。だから『鎌倉三代記』なんか、実は大坂城のことだったりします。

■ベッド・ルームの本

「銭形平次」を書きはじめてから、もう二十何年になりますかナ。・・・・まあ二十四、五年というところでしょう。もう三百篇以上も書いている。こうした種類のものでも三百とは、例がないと思うんだが、人間ていうのは不思議なもので、ふいと書きはじめて、調子づいたというだけのものでね、格別の動機というものはありません。

「銭形平次」を、吉田首相が読んでいる。ベッドで、寝ながら読むという話ですね・・・。これは非常に面白いと思いました。誰でもぜひベッド・ルームで、平次と八五郎を読んでもらいたいものです。

なぜというと、私の若い友だちがフランスに行って、あちらの上流や中流の家庭を訪問してみると、サロンに飾っている本箱は、せいぜいヴィクトル・ユーゴーで、その他はコルネーユとか、ラシーヌと行ったところだという。ユーゴーと同時代の作家でも、デュマは入っていないんですね。

それならデュマをフランス人は読んでいないかというと、どうして、巌窟王でも、三銃士でも、大いに愛読している。友だちが妙に思っていろいろ研究したら、そういう大衆小説は寝室におくんだというんですね。つまりそれですよ。

書斎、サロンにかざってある本は読まないものなんです。読まれない本はご承知の通り、『戦争と平和』といったものですね。そういう本は飾ってあるだけの本で、読まない本が多いんだそうです。みな読んだような顔をしているだけで・・・。

ところがベッド・ルームのほんは読まれる本なんですね。幸にして、吉田さんがベッド・ルームの本として「銭形平次」を愛読して下さるということは、作者として大変ありがたい。無論、首相は、「なアに銭形平次なんぞ・・・」と言っているかも知れないけれどもーーーー。

ともかく私は、読者が寝ながら楽しんで読む、ベッド・ルーム用の本を、今後もずっと書いて行きたい。私自身も書きながら、できるだけ楽しんで。

■平次はこうして生れる

私は執筆するとき、いつもレコードをかけています。

今日も長時間レコードを仕入れてきたが、これは一面が二十五分だから、一枚で五十分きけます。それを伴奏にして、仕事をするんですよ。長時間レコードを十枚ばかり、自動装置の機械にかけておくと、四時間くらいは大丈夫。それを裏返しすると、また四、五時間聴けるんだから、手数入らず、のんきに仕事ができて、実にいいんですよ。それを伴奏にしながら、仕事をするのはなかなかよいものだ。

今はジャズがはやっているが、これは私とは畠違いで、ジャズは何を聴いても同じに聴こえて分らない。

というのは、ジャズの重大な要素はシンコペーション(音楽の強さ弱さが急激に変動すること)であって、これは人間の心を興奮させる。だからジャズは考えごととか、執筆向きじゃない。いつでも興奮的なんですね。

ジャズは若い人でないとダメで、私どもはクラシックの音楽しか分らないから、興味もそちらに限られ、平次を書くとき伴奏してくれるのは、いつも個展ばかりということになる。

ラジオも、もちろん手数がはぶけて面白いんだが、長つづきが貸しない。十五分から長くて三十分で、それも何が出てくるか分らないから困る。せっかくいい音楽を聴いて、好い気持ちで筆が進んでいるとき、次に浪花節が出てきたりするんで、八五郎のやつが胆をつぶしちゃうんですよ。

やはり長時間レコードを十枚ならべておいて、仕事をするのが、一番、能率的ということになります。ところで私には妙な蒐集癖(しゅうしゅうへき)があって、昔から小遣いをすっかりレコードにほうりこんだんで一万枚以上もたまってしまってそのために倉庫を一つ建てねばならなくなった。しかし、そのなかには長時間レコードは一枚もない。だから長時間レコードが発明されると、どうしても普通の盤はL・P盤(長時間レコード)に征服されて、いまでもあの倉庫のものは廃物みたいになってしまいました。

しかし、これは一方からいうと、私とは長い道連れだし、友だちだったし、あれがあったお蔭で、いろいろなものを書き散らして、そのために本も何冊かできるし、まんざら無駄にもならなかった。幸い空襲もまぬかれたので、ちゃんと保存してやらねば義理が立たないと思っています。

この間、ある雑誌に私が蓄音機を二十台もっていると書いたら、さっそく税務署から課税されたには驚きましたね。これらの蓄音機は、手でまわすといった種類の、全くの骨とう品なんで、それも長い間に心がけて集めておいたものなんですよ。それを税務署は新品と思い違えた物らしい。

■酒と煙草の弁

酒と煙草がなかったら書けない。という人が多いが、まあ私にはレコードがその代用品で、今でも西洋の大家が演奏にくれば必ず聴きに行っている。そうすると何かしら一つの新しい境地を見いだして、生活上のいいうるおいになる。

しかし私は酒も強かった。三十代の新聞記者時代、ちょっと飲んで、それから途中で二十年間よしていた。戦争が始まって酒が配給になってから、また飲みだしたが、どうも身体に良くないと思ってね、今年の春からずっとよしている。のめば身体が大きいから強い。強いからかえって毒になるんですね。飲みはじめると、私の方が若いものより、ずっと強いんですよ。

煙草も、ひどい煙草好きだったんだが、関東の大震災によしたから、やめてちょうど三十年になります。で、私は若い人に、煙草は百害あって一利もないから、よした方がいいと、よく言うんだが、いったん喫煙癖がつくと、なかなかよせないですね。

煙草をよす意志の力があったら、世の中のことは何でもできると言われているのは至言ですね。

酒は簡単によせるが、煙草はなかなか止められない。

(後略)

 

1958年(昭和33年)「銭形平次捕物全集第26巻」河出書房新社