今日今年5月に亡くなった彼女の妹さんから電話があり詳細を聞かせてもらいました
何もわからないままではやりきれない気持ちでしたから助かりました
彼女の病気は私と同じ卵巣癌で、昨年5月にわかった時はリンパに転移がありステージⅣBだったそうです
見つかったのは、本人が希望してかかりつけの大きな整形外科で検査してもらい、同じ病院の婦人科に紹介されたとのことでした
半年抗癌剤を通院で受け、その時は妹さんが毎回遠方から帰って来たとのことでした
治療を受けたあとの帰りは、彼女が運転するのが大変と行ったらしい
半年後12月のCT撮影結果で効果が見られなかったので、他の抗癌剤での治療を入院で受け始めた後、副作用が強くて急激に弱ってしまい入院したままになってしまったそう
5月に八幡の緩和ケア病院に転院して、たった4日後に亡くなったとのことでした
悔しいな~
同じ病だったから、サバイバーの私が助言すること出来たと思うのに
20年以上前の在職中はたくさん助けてもらった同僚なので、私が彼女の力になれなかったことが悔やまれます
半年治療して効果が見られなかった後、次の治療に入る時、彼女の体力を考慮してほしかった
なにせ、とっても小柄で偏食だったから
間違いなく痩せこけて小さくなっていたはず~
でも、頑固だったから先生は手を焼いたらしい~
そうだと思うけど、ふと緩むところがあるからそこに入ればスムーズに行くのに~
そんな時間のかかることしてはくれないよね
その治療内容などすべて本人の前で説明を聞いたらしい
そんなの聞いてもわかんないよね~
妹さんにしたら、とにかく助けてほしかったでしょう
当人はきつくて堪らなかったに違いないけど、我慢強い人だったから黙っていたのかも
緩和ケア病院の看護師さんが『何のお役に立てないままでした もう少し早くからでしたらと思い残念です』
と仰ったらしい
妹さんから見た彼女はずーっと苦しそうな表情のままだったそうです
ひっそりと消えてしまった彼女のこと、ここに書いちゃったけど、許してくれるよね
私自信、今は先生と直接お話出来て何でも決められるから助かっています
もし!何も言えなくなった後、キツイのも苦しいのも我慢したくないわよ
楽に過ごさせて欲しいと願っています
と言いながら~
えらく丈夫で悪運強いから、まだまだ長く生き延びそうです😛
あ、カテゴリーおばさんネタに転記しなきゃ~
坊っちゃんはもう大学生ですかぁ〜
よその子は育つのが早いと、言うけどほんとね
でも、あなたがとんでもなく大変な思いで子育てしていたこと
覚えています
2016年は。あの年で私の交友関係は変わりました
もう7年過ぎました
2016年に家族3人で日本への移住を決め、アパートを借り、正社員で就職して日本での生活を始めました。
が、結局息子が日本の学校に馴染めず半年程で断念。
ちょうどその頃父のすい臓癌がわかり、夫と息子は二人で夫の国へ戻り、私は父の介護の為それから約2年間日本で暮らしました。
介護の知識なんて何もなかった私ですが、いつかまた外国へ帰らなければいけない身なので、母が一人でも介護出来る道を探しました。今となっては懐かしい思い出です。
2019年の父のお葬式に帰ってからコロナが始まり、それからはまだ日本へ帰れていません。
息子は今大学受験真っ只中(こちらは9月が新学期なので)
17歳になりました。最終的に日本へたどり着くのが彼の人生の(?!)目標らしいです。
ところで九州の大雨、大変でしたね。
いつも北九州の様子は「お散歩がてら」で知ることに
しています。懐かしいスーパー、カフェなどなど
いつも癒されています。
これからは夏の猛暑、くれぐれも気を付けてくださいませ。
途中で送信してしまいました
大した内容ではなかったから、読み飛ばして下さい
前回のコメントをいただいだ頃、姉が2つのコンサートを抱えて忙しく暮らしていました
なんのお役にも立てないけど、写真撮影をして花を送るくらいのことをしました
がもう私は普段の生活以外のことをすると負担が大きくなり、少し雨に濡れただけで強い風邪を引いてしまいました
ようやく収まったら、次の治療が始まりました
昨日の治療でアルコールなどの薬剤の影響で、導眠剤を2回飲みましたが2時間で目醒めてゴソゴソしてます
私の母がひったくりに遭い、左手首腕を複雑骨折、右腕肘両膝打撲骨折して入院した時
入院手続きの際に認知はないかと問い合わされたときに、私は職場からの帰宅途中で、母が救急搬送された時は知らなかったのよね
なので、普通の病室に入院してから連絡が入り着替えや洗濯物を届けていたのです
そしたら、いきなり呆け症状で、夜中にゴソゴソ物音を立てるからと~
退院を強いられたのよ
今の私があぶないあぶない
今朝は4時からゴソゴソしてるのです
滅多にしないけど洗濯物をしてみようと思い立つけど、洗剤が何処にある~
テレビカードは、~
っとね
高齢者介護は出来るだけ行政の支援を受けていないと、次に続かないと、
今回の〇〇ちゃんのことで痛感しています
普段からあんなに動けないのに、お母さんの介護をして、とうとう支援は受けていなかったという
そして!ご自分は自宅介護は全く受けないから、病院からせめて看護師さんが、言ってみたいと訪問看護を申し込んだけど、最後まで拒み続けたそうです
妹さんが帰ってきて付き添って下さっていたので、それが本当に良かったです
長くなってしまいました
年寄りのボヤキです😅
お子様は大きくなったのでしょうね
亡くなった彼女と私は、子供を持つことが出来ませんでした
あなたが苦労している事は私達には永久にない苦労と喜びでした
なので、坊っちゃんのこと気にはなっているけど、なかなか問えないでいます
何時なのかはわかりませんが、もうひとりのお友達は、『〇〇ちゃんは子供は産んでみたかったと言っていたそうです』
それには大変な勇気が必要でしたし、今と違い当時の私にはお手伝いできることはなかったから、目標達成させてあげることは出来なかったよね
貴方とは途切れ途切れでしたから同僚扱いだったけど、直接なお付き合いは少なかったけど、あなたはしっかりとご自分の希望と目的を達成した素適な後輩だと思っています
あの職場で、目的達成した人はいないよ
私なんぞは仕事もお客様も私が放りだしたようになってるけど、早期退職とは、会社がケアをしないから仕事内容の精査もなく、家庭事情の調査もなくサッサと年齢で切られちゃったわよ😅
あなたには数ある武勇伝を聞かせて欲しいと思っています
コロナが、収束しそうでまた次の山がはじまりそうです
このままでは、私達病気持ち高齢者は人口減少と介護予算縮小の目標達成の良い対象なのでしょう
ひろこちゃんたちは健康保険証はどうなるの?
海外在住は大変ね
私はもう長いこと日本から離れていますし、あの頃の皆さんの連絡先など知らないのでご安心を。
ここにも書こうかどうしようかかなり迷いました。
突然のことでビックリして、そしてショックで。
でも書くことで彼女とつながれるような気がして…。
これからもブログを拝見させてもらうこと、
お許しください。
そしてどうぞお身体をお大事に。
遠くから勝手に心配させてもらっています。
突然のことで、私は驚いてしまいました
こうして共有していただいたことで彼女に気持ちを伝えましょう
そして、静かに送ってあげたいと思っています
声高なカラス集団やガチャガチャおばさんたちへのお知らせは、スルーして下さい
よろしくお願いします
ただただ…昔のことを思い出し、過ぎてしまった時間の長さを痛感しています。