『老い』
この言葉は嫌いですね。
しかし、こればかりは加齢と伴に確実にやって来て、どんなに嫌いでも避けて通れないものですけどね。
昔、クレオパトラや秦の始皇帝など世の権力者も老いに対する恐怖心はかなりのものだったようで、これを克服するために色々試したようですね。
しかし、結局克服出来ませんでしたがね。
私は若い頃(自分自身では、ほんの少し前までと思いたいのですがねー)記憶力だけはかなり自信を持っていたのですよ。
例えば、少しでも面識がある人であれば何かのおりにその人物の話題が出ると、「○○会社の△△さん」というように頭の中に直ぐ出て来ました。
ところが、少し前から「〇〇会社の…?」となかなか出て来なくなってしまったのです。
初めの一二度は、『あれっ?』くらいにしか思いませんでした。
しかし、確か三度目の時だったでしょうか、立て続けにこれがあってさすがにかなりのショックを受けると同時に“老い”を覚悟しましたね。
「〇〇のあの人。」と、言っていたのです。
この“あの人”が曲者で、これが多く出始めるとヤバイと最近妻と話しています。
近い将来、老境に入って行く訳ですが、いつまでも元気に頭脳明晰なお年寄りになりたいものです。
この言葉は嫌いですね。
しかし、こればかりは加齢と伴に確実にやって来て、どんなに嫌いでも避けて通れないものですけどね。
昔、クレオパトラや秦の始皇帝など世の権力者も老いに対する恐怖心はかなりのものだったようで、これを克服するために色々試したようですね。
しかし、結局克服出来ませんでしたがね。
私は若い頃(自分自身では、ほんの少し前までと思いたいのですがねー)記憶力だけはかなり自信を持っていたのですよ。
例えば、少しでも面識がある人であれば何かのおりにその人物の話題が出ると、「○○会社の△△さん」というように頭の中に直ぐ出て来ました。
ところが、少し前から「〇〇会社の…?」となかなか出て来なくなってしまったのです。
初めの一二度は、『あれっ?』くらいにしか思いませんでした。
しかし、確か三度目の時だったでしょうか、立て続けにこれがあってさすがにかなりのショックを受けると同時に“老い”を覚悟しましたね。
「〇〇のあの人。」と、言っていたのです。
この“あの人”が曲者で、これが多く出始めるとヤバイと最近妻と話しています。
近い将来、老境に入って行く訳ですが、いつまでも元気に頭脳明晰なお年寄りになりたいものです。